<ジャズ回想 第15回>暑い日にYoさん宅に集まった(その1)
リュウゼツランを観る会という名の音聴き会~
今回のYoさん宅集まりは、なんと言っても50年に一度の開花と言われる「リュウゼツラン」を観る会~といういこともあり、到着後、まず皆がその面妖なる植物の下に集まる。根っこの部分には、長くて先の尖った「葉っぱ」~サボテンのように肉厚でしかもその葉っぱの両側には棘(とげ)がある~が何本も放射状に拡がっている。Yoさんによると、どうやら、この尖った凶暴な感じを指して「龍舌蘭」と呼んでいるとのことだ。その根っこ部分のの中央から直径10cmほどの太い茎が天に向かって伸びている。高さは4mほどか。その茎の一番高いほうに、クルクルと蔓(つる)状の小さい茎がが7~8本くらい飛び出している。
その先端がどうやら「花」(小さい円筒系の感じ)の部分らしい。なんとも不思議な姿のリュウゼツランである。
午前中から軽く30度はあるかという熱さでもあり、戸外にそう長くは居られない。記念写真も撮ったので、「じゃあ・・・そろそろ」ということで、いつもの「音聴き会」に突入する我々である。
《上写真はYoさん提供~7月上旬のリュウゼツラン。訪問時にはもう少し高くなっていたかもしれない。どことなく中国大陸を感じさせる植物だ》
Yoさん、リキさん、recooyajiさん、konkenさん、それに僕:bassclefの5人がソファに落ち着く。Musashi no Papaさんはやや遅れるが、絶対に参加したいとのこと。みんな気合充分なのだ(笑)
まず、Yoさんがお気に入りの歌い手~オードリー・モリスのbethlehem盤を選ぶ。僕は、モノラル・カートリッジを含む4種のカートリッジで、出てくる音にどんな具合 に違いがあるかな?・・・という興味があったので、ちょっとお願いして、同じ曲を4種で聴き比べさせててもらうことにした。
モリスは落ち着いた声質(こえしつ)で、決して声を張り上げない唄い方の、とても品のある歌い手である。いつも思うのだが、ヴォーカリストへの好みというのは・・・本当に人それぞれだが、その理由は、最後は「声質」しかないと思う。その人の声が、好きなのか嫌いなのか?それは・・・純粋に感覚的、生理的なものだろう。「声」に対する(それぞれの方の)許容範囲があって、次に「巧さ」に対する評価~評価と言ってもこれも「好みの唄い方」かどうか・・・という類(たぐい)のものだと思う~そんなものから、さまざまな歌手への好みが決まってくるように思う。
当たり前のことだが、カートリッジを変えると・・・その声質(こえしつ)が微妙に違って聞こえてくる。
どう違ってくるのか・・・表現するのが難しいが、大雑把に言えば~
「声質~声が細めなのか、あるいはやや太めか」や「声の大きさ~声の出方とバックの楽器の出方のバランス」という辺りにおいて、わずかな違いが現れる・・・という感じかな。
《モリスの写真2点はYoさん提供》
Yoさんが昨夏に導入したエミネントの2種は(モノラル、ステレオ)同じ肌触りの音質だったが、ソロ(モノラル)の方が、やや声が大きく聞こえて、少しだけ声が丸くて太いかな・・・という気がした。ジュビリーとSPUでも同様にSPUの方が、声が若干太くなったように聞こえたように思う。僕の場合は、どうやら人間の声の変化に対しては、大雑把にしか感じ取れないようだ。楽器の音だともう少し判りやすい。ジュビリー、SPUの次に、エミネントのモノラルで掛けた時・・・(僕の耳には)バックの楽器がすっきりして、明らかにいい音になったように聞こえた。こざっぱりした・・・というか。それがベツレヘムの品格みたいなものに合うようにも聞こえて、僕には新鮮だった。
カートリッジ別での聴き比べをする際・・・こんな風に変わってしまうこと自体を楽しむ~ということもできるが、それはたぶん、僕のようなヴォーカル初心者のノリだろう。ヴォーカルの「聴き比べ」としては・・・もっとモリスの声の質感の方に拘った聴き方もできるはずだ。その「拘り」とは・・・おそらくその歌い手への愛情が強い人ほど「微妙な質感の違い」が気になってしまう・・・という類(たぐい)のものだと思う。要は(この場合)オードリー・モリスという人をどういう声質の歌い手だと捉えているか・・・どんな声質で聴きたいのか・・・どの声が好きなのか」という(感じ方の)基準みたいなものをしっかり持つことだと思う。そうであれば「この歌手にはこのカートリッジが合う」という判断もできるだろう。
正直に言うと、僕はヴォーカルの声質(への感性)については・・・今ひとつ定見がない(笑)だから今回の4種カートリッジ聴き比べで、その声質が微妙に変わると・・・オロオロと迷うばかりだった(笑)やはりどこまでいっても僕は「ヴォーカル初心者」のようだ(笑)
そうこうしている内にPapaさんが到着した。事情で早く帰らねばならない Papaさんの手持ち盤から聴くことになった。
まず、デクスタ ー・ゴードンの「煙草の煙ジャケ」が出てきた。Dootone盤~ Hot&Cool だ。その黒い盤面を見て、recooyajiさんが
「red vinylが・・・」とつぶやく。「えっ?」とPapaさん。Yoさんも、そのデクスターには、たしか「赤盤」が出ていたはずだ~と付け加える。それを聞いて・・・Papaさんの顔がどんよりと曇った(笑)
「黒盤でも充分にオリジナルですよ」という僕の言葉にも「いや、もし黒と赤が同時だとしても、赤が限定で出ている以上は、それがオリジナルです!」と、早くも新たなファイトを燃やすPapaさんである(笑)
cry me a river を聴く。堅めの音色で吹き倒すデクスター。時々、与太ったようにもたれたノリになる辺りが、妙にかっこいい(笑)
1955年のデクスターは、このDootone盤とベツレヘム盤くらいしかないはずで、この後、しばらく(レコード上は)ブランクがある。
《上写真~papaさん所蔵のModern Art(intro)》
続いて、出ました! intro盤のペッパーが!見ると、ジャケットも盤もピカピカだ。う~ん・・・こりゃ凄い。茶色のセンターラベルに格調高いロゴのINTRO文字が誇らしげだ(笑)
この「モダン・アート」を僕はもう好きで好きで、東芝盤で聴き倒してきたが、オリジナルのintro盤・・・果たして音の方は・・・?
ペッパーの絶品バラード~ bewitchedを聴く・・・う~ん、参りました!
なんだ、このアルトの音色はっ! 一聴、大人しめのアルトなのだが・・・これは凄い。なんというか・・・ピシッとした「芯」を感じさせるアルトの音色なのだ! そしてそれは・・・ペッパーの心の奥底に秘めていた情熱が、抑えても抑えても、沸々(ふつふつ)と湧き出てくるようなあの吹き方・・・そして、そういう吹き方であることが伝わってくるような音であった。なんなんだ・・・この存在感は! いやあ・・・やっぱり「イントロのペッパー」は素晴らしいレコードだ。世のコレクター諸氏があれだけ「ペッパーのintro盤」に情熱を賭けるのも、これは無理からぬことだと実感させられた。
もうひとつ、ペッパーで行こう! Marty Paich Quartet(Tampa)だ。こちらは当然のごとく「赤盤」が出てくる。
黒盤(ジャケットが黄色でラベルがピンク色)の方はリキさん宅で聴かせてもらったことがあるが、あの黒盤も実にいい音だった。
たまたまYoさんがこの「マーティー・ペイチ・カルテット」の日本バップ復刻盤を持っていたので、並べてみる。バップ盤も見事な出来映えである。盤の重さもあるし、センターラベルの赤色も、ほとんどオリジナルの色具合に近い。そのセンターラベルに1箇所だけ違いを発見した。下のラベルの写真2点を見比べてみてください。「溝」の有無だけでなく、オリジナル盤にはある「ハシゴ柵」の模様が復刻バップ盤にはないのである。この違いは・・・僕は製作者の良心からだと推測している。
《左側~Papaさん提供、右側~Yoさん提供》
over the rainbowを掛ける。この赤盤オリジナルも、品格のある素晴らしい音で鳴った。Papaさんも嬉しそうだ。
このover the rainbow・・・もちろんペッパーの名演なのだが、実はちょっと面白い場面があるのだ。
このover the rainbowには、ちょっと変わったアレンジが施されており、ペイチのピアノがイントロとして先導フレーズ~なにやらバロック風の下降するフレーズ~を1小節だけ弾く。すると、ペッパーがあの有名なテーマを吹き始めるのだ。しかし、このバロック風フレーズがちょっとクセモノで、イントロとして1小節だけで終わらずに、アルトが主メロディに入ってもまだ1小節ほどそのバロック風のバッキングを続けるアレンジなのだ。それが・・・「判りにくい」(もう1小節そのパターンが続いていくかのように思える)
そしてたぶんそのためだろう・・・主メロディの2回目の出だし・・・ここでもイントロと同じ「バロック」をピアノが弾くのだが、そのピアノのフレーズが1小節を終えても、ペッパーが入ってこないのだ。ピアノはそのバロック風フレーズを続けているので、パッと聴いても「間違い」には聞こえない。聞こえないが・・・僕はこれはペッパーの勘違いだと思う。その証拠に「アタマの位置」からは、ちゃんとベースも入ってくるのだ。そのベースを聴いて「アッ、まずい!」とペッパーは思ったはずだ。しかし・・・出遅れたからには今さらメロディなんか吹いてたまるか・・・てなもんで、なにやらフワフワとしたフレーズ~まるで木の葉が風に舞っているような~を吹きはじめると・・・さすがはペッパー! それがちゃんとしたアドリブになってしまうのだ(笑) そのままサビ(ピアノのメロディの間にオブリガートを入れるペッパー)そしてエンド・テーマに入り短いコーダが付いて・・・その1コーラスだけで、実にあっさりと終わってしまう。このover the rainbowは・・・短いがしかし気の利いたエッセイのような、そんな逸品(いっぴん)だと思う。 そういえば、ペッパーには「もうひとつのover the rainbow」がある。ショーティー・ロジャーズとのcapitol盤なのだが、それについてはまた別の機会に(笑)
余談だが・・・このMarty Paich Quartet の裏ジャケットを眺めていたら、「おっ!」という小発見があった。engineerに、Val Valentineと表記してあるではないか! このValentineという人~僕などは60年代に入ってからのVerveの中心的エンジニア氏という認識しかなかった。そのValentine氏が、まさかこんな早い時期(1956年)の西海岸のレコードを録音していたとは・・・そして、このTampa盤のMarty Paich Quartet~僕は(1956年としては)なかなかの音だと感じたのだ。
Valentineという人は、Verveであれだけ多くの作品を録音しているのだから、もちろん名エンジニアのはずだが、これまで僕は、Verveでの彼の録音を特に素晴らしいとは感じていなかった。だからこのtampa盤のペッパーの音を聴いて「意外」な感じを受けたのだ。う~ん・・・これは、若かった感性の鋭いValentineだからいい音なのか、あるいは西海岸だからいい音なのか・・・加えて、Valentine氏にも西海岸時代があったということと、そしてValentineとWally Heider(西海岸の名エンジニア)の関係は? この辺り・・・まったく興味は尽きない。
《デクスター・ゴードン(dootone)とペッパー(intro, tampa)の写真~すべてPapaさん提供》
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