<ジャズ雑感 第26回>パーカー再び!
音色・・・その音圧感、存在感からくる説得力みたいなもの。
ジャズ聴きも長くなると、こんなことを言ったりする・・・「この人のサックスは重いね」 「う~ん・・・なんか軽いなあ」
楽器から発された音を聴いた時、聴き手はなぜ「重い」あるいは「軽い」と感じるのか? いや、感じられるのか?
それはおそらく・・・そのミュージシャンの「音色」からだけでなく、その「ビート感」から生じてくるのでは・・・と考えている。ここでいう「ビート感」とは・・・(僕の解釈では)「リズムに対してのノリ方」という意味合いである。
《April In Paris(Verve)MGV-8004 ~I'll Remember Aprilが好きだ。パーカーのなにやら白痴美的な音色に、しみじみした情感を感じる》
話しを判りやすくしよう。同じ楽器~例えば、アルトサックス・・・チャーリー・パーカーとリッチー・コールを比べてみると、どうだろうか?
どう考えても(聴いても)・・・やはり、パーカーの方が「重い」だろう。もちろんそれは純粋に感覚的なものである。だがしかし、そういう感じ方~「パーカーは重くて、コールは軽い」~は、ある程度ジャズを聴き込んだ人には、無理なく共通した感覚だとも思う。
ひょっとしたら、リッチー・コールという人のイメージ(ちょっとしたお笑い的なノリを見せるタイプ)が、「音も軽い」と感じさせてしまう部分も多少はあるかもしれないが、2人の「音」には、やはり相当な違いがあることは確かだろう。コールがパーカーと同じようなフレーズを楽々と吹いたとしても、当たり前の話しだが、受ける肌合い・質感・・・それはだいぶ違う。では、いったい何が違うのだろうか?
どうやら・・・この辺りの話しを突き詰めていけば・・・今回、僕が言わんとする「音色とビート感~それら全体から醸し出されるグルーヴ感」みたいなことの核心に、少しでも近づけるかもしれない。
この辺の話は、もちろん「好み」とは別である。だから「オレは重々しいパーカーより、軽やかなコールの方が好きだ」という方が存在していても何の不思議もない。ただ、ジャズを好きになって、そしてアルトやテナー~いろいろなサックス吹きのレコードを聴いてくると・・・どうしても、チャーリー・パーカーという人の凄さ~そうして、そういうミュージシャンがあの時代に存在していたということの凄さ~みたいなものを感じずにはいられない。ジャズ好きなら、たぶん・・・そうなるしかないのだ(笑)
皆がパーカーは凄い、凄いというが、いったい何が凄いのか? と、そう思ってる方も、案外に多いのでは・・・と推測している。おそらく・・・パーカーって、何やらパラパラ吹いているだけでよう判らん・・・音も悪いし(笑)という感じだと思う(笑) 好きで聴いているジャズ(音楽)なのだから、自分の感性にズバッと入り込んで来ないタイプのジャズを無理して聴くことはない・・・とも思う。しかし、パーカーだけはある意味、理屈抜きで「感じとって」ほしいという、少々、啓蒙的な気持ちもないわけではないので・・・僕は今こうして、とても難しいことにチャレンジしようとしているのである(笑)
「パーカーの凄さ」をヒトコトで言うと・・・「音色の凄さ」なのである!あの「太くて重い音色」。そして~なにやら白日夢を見ているかのような呆(ほう)けたような(これは僕の思い込みでしょう:笑)しかし~「力感のある音色」・・・この辺のことは、<夢レコ>の前の記事「エリック・ドルフィという人」にも少し記したかもしれないが、重ねて言えば・・・ジャズという世界では、こうしたある種の濃厚さは絶対的な勲章なのだ。
当たり前の話しだが、楽器を始めて最初の内は、たぶん音はヘロヘロである(笑)(管楽器の場合)ブレスや唇のコントロールができないから、安定した音量が出ないし、音程も定まらない。つまり楽器の初心者の音は、誰が聴いても「ヘタ」なのである(笑)しかしその初心者も、徐々に「巧く」なってくる。ある程度の音量も出てくるようになって、ピッチ(音程)もそこそこ安定してくる。
そして何よりも運指がスムースになり、ちょっと難しいフレーズもこなせるようになる。こうなると、嬉しい(笑) 管楽器というのは・・・(たぶん)曲のテーマを吹くこと自体が楽しい楽器なのである(もちろんアドリブも含めてだが)だから、どんどんと曲をこなしていく。速いテンポも軽々とこなせるようになる。とても巧い。そしてそういう「巧さ」にまで達したミュージシャンは、器楽の高みを目指す者として素晴らしいと思う。
しかし、そうしたタイプにわりとあるのだが、~テーマやアドリブをいくら「巧く」吹きこなしても、なぜだかこちらの心に訴えるものが薄い。そうして全体から受ける印象が、妙に「軽い」のである。
あえて分析的に言えば・・・おそらく「音色に(自覚的な)個性がない」「フレーズが方法論的」そして「ビートにタメがない」~そんなタイプが多くなっているように思う。50年代のジャズマンのそれぞれに個性のある吹きっぷりを知ってしまった身としては・・・そんなタイプのジャズ(ミュージシャン)には、どうしてもある種の「物足りなさ」を感じてしまうようだ。
そうしてそんなある時、パーカーを聴くと・・・これはもうぶっ飛ぶのである(笑)
パーカーは・・・まず音が大きい。バリバリと大きく響く。ひょっとしたらアルトのあの拡がったホーン全体がビリビリと歪んでいるのでは・・・と思うほど鳴っている・・・ように聞こえる。それから「ノリ」がまた凄い。判りやすく言えば「タメ」がある・・・ということだと思うのだが、その「タメ」とは具体的にはどういうことなのだろうか。それを僕なりに解釈すれば・・・例えば8分音符で長いフレーズを吹く時なども、たっぷりとテヌートの効かせて(一音一音を粘るように伸ばす感じのこと)うねるようにその長いフレーズを吹き倒す。だから「タメ」があり、どんなフレーズにも粘りながらキレがある・・・そんな感じなのだ。そうしてこれこそが・・・「ジャズ(っぽさ)の秘密」なのだと、僕は信じている。そんな吹き方をする(しようとしている)パーカーと、巧いだけのアルト(速いテンポも軽々とこなせる~テーマやアドリブをいくら「巧く」吹きこなしても~全体から受ける印象が、妙に「軽い」)とでは、その根底のところで大きな違いがあるのだ。
パーカーの凄さは「粘る8分音符」だけではない。アドリブが乗ってくると、時にパーカーが見せるあの16分音符! あの「倍テン」こそ、それまではおそらく誰もやらなかった・・・いや、やろうとしなかったパーカー独特のアドリブだと思う。そしてその「閃き」に満ちた16分音符でさえ・・・充分に重い(笑)
ハード・バップ調4ビートにおけるジャズのアドリブは、普通の場合、8分音符中心になるので、16分音符でのアドリブ展開になると、それを「倍テン」と呼んだりする。1小節4拍に乗っかって「パッパ・パッパ・パーラ・パーラ」と吹くのが普通の8分音符フレーズだとすると、パーカーは時にこう吹く~「パラパラ・パラパラ・パラパラ・パララ~」と。しかもそのフレーズの「閃き」ときたら・・・いったいパーカーという人のアタマの中はどうなってるんだ~!(笑)果たしてどんな具合で、彼のアタマにあんな宇宙的とも言えるフレーズが(それまでのジャズ言語には存在しなかった)浮かんできたのか? やはり・・・パーカーは凄いのだ。
そういえば、今回の記事~冒頭に僕はこんなことを書いた。
(音色が重いか軽いか・・・それは)《そのミュージシャンの「音色」からだけでなく、その「ビート感」から生じてくるのでは・・・と考えている。ここでいう「ビート感」とは・・・(僕の解釈では)「リズムに対してのノリ方」という意味合いである》
パーカーを聴いて感じる、その「重さ」の秘密。僕なりの答えは・・・こうだ。
《パーカーはその音色も重いが、それ以上に、「タメ」(テヌート)を効かした粘りのあるフレーズと、それら全体から表出されるビート感そのものが重い》
ごくごく単純に考えれば~パーカーはおそらく・・・たくさん息を吸い込み、それを強く長く吹き込みつつ・・・鋭いタンギングと柔軟なフィンガリングも交えつつ・・・閃(ひらめ)いたフレーズを自由自在に表出している~そんな風に言えるのかもしれないが・・・それがいかに大変なことか(笑)
パーカーが死んでから50年以上も経っているわけだが、パーカーのあの「太くて重くて速くて、しかもキレがある」感じに、最も迫ったのは・・・僕は、ドルフィだけだったと思う。
そんな風に、太くて重い音色で吹きまくるパーカー・・・それは聴く側にとっても、ある種の快感なのである。一番上の写真~April In Parisの紹介で「白痴美的」という表現をしたが、パーカーのちょっと切羽詰ったような濃厚なアルト音を聴くと、何やらこちらの脳髄が麻痺してくるような・・・そんな種類の快感であるような気もする。そんなことを含めて・・・パーカーの凄さは「器楽的な快感」をも含んだ凄さであり、だから・・・ひょっとしたら、楽器(器楽)そのものに興味を持っている方の方が、なんというか・・・直感的に、いや、肉体的にその凄さを感じ取りやすいかもしれない。
そうしてそんなパーカーの「純・器楽的」とも言える特質のことも考え合わせれば、あなたの「好み」のアンテナに、チャーリー・パーカーという人が引っかかるかとは限らないことも、充分に理解はできる。
でもしかし・・・敢えて啓蒙的に言わせてもらえば、パーカーだけはちょっとガマンしても聴いてほしい(笑)
LPでもCDでもなんでもいいので、ちょっとでも「いいな」と感じたテーマの曲を~それは「スクラップル・フロム・ジ・アップル」や「コンファメイション」、あるいはスタンダードソングの「アイ・リメンバー・エイプリル」や「ゼアリズ・ア・スモールホテル」かもしれない~何回か聴いてほしい。
それからその同じ曲の入った別の音源があれば、それらもぜひ聴いてみてほしいと思うのだ。
いくつかのパーカーのレコードを紹介しよう。
Night and Day(Verve)MGV-8003~写真左。この黒trumpeterラベルは2ndで、12インチのオリジナルはClef 5003。残念である(笑)
April In Paris(Verve)MGV-8004~写真、一番上の右。
Midnight Jazz at Carnegie Hall(Verve)MGV-8189-2(2LP)~写真左下。この2枚組の音は凄い。
僕はパーカーのストリングスもの・ビッグバンドものを嫌いではないので、自然にこの辺が集まった(笑)どれも12インチ盤のトランペッターのセンターラベルである。日本盤「ウイズ・ストリングス」は、おそらくこの3枚からの編集ものなので、同じ「ストリングスもの」でも、いろんなセッションが混じっているようだ。そんなことよりも僕が驚いたのは、音の違いである。「音の鮮度感」が、国内盤やCDとはだいぶ違ったのである。
パッと聴いて・・・黒トランペット盤には、パーカーの音色に「輝き」があるのだ。アルトの音色~その張り具合、ギュッと締まった響き具合。ストリングスの音の間を縫うように、倍テンで吹き抜けるパーカー・・・その音色が圧倒的に「重い」のである。
「重い」というのは・・・凡百のアルト奏者に比べて相対的に「重い」のはもちろんなのだが・・・僕が思うに、パーカーの「重さ」というのは、ある種の「絶対」かもしれない。
これらのレコードの音を聴いて体感できるサックスの音色についての違い・・・それは国内盤とは確かに違うと思う。
ただ、僕は「国内盤ではパーカーは判らない」などとは言いたくはない。実際、僕は国内盤やCDでパーカーを聴いてきて、理解して(そのつもりだが:笑)そうして、もちろんパーカーを好きになってきたのだから。
ただ僕自身のそうした経験の後でも(いや、後だからこそ・・・かも)これらのVerve12インチ盤を聴いて「改めてパーカーの音色の凄さに驚いた」ということも確かにあるのだ。
ジャズを聴き込んだ方で、パーカーは今ひとつ判らない・・・と感じている方が、これらの音盤を聴いて、そうした「音色の凄さ」を体感することになれば・・・あるいは一気に「パーカー開眼」となるかもしれない。
ただ、何をどう言っても・・・最後には「パーカーはパーカーだ」としか言いようがない・・・そんな感じの「絶対パーカー論」になってしまいそうだ(笑)
こういう話しになると・・・言葉は本当に無力だ(笑)ええい!もうめんどくさい!とにもかくにも、パーカーのあの音を聴いておくれ!パーカーという人については・・・それが僕の本音なのかもしれない(笑)
しかし、ここは《夢見るレコード》である。その無力な言葉であっても、そこにも拘りたい(笑)だから・・・実際に僕がパーカーのどういう部分に惹かれているのか~を少し話したい。
さきほど挙げた3枚のVerve盤は12インチとしてはオリジナルだが、その前に、本当のオリジナル音源として、10インチ盤があり、そしてSP盤があったわけで、パーカーの音そのものの鮮度感の違いを想うと・・・それらに拘りたい気持ちもあるのだが、誰もが10インチ盤(ダイアル10インチ盤については、以前にPapaさんの手持ちを聴かせていただいた。やはりひと味違うアルトの音色、その存在感だった)やSP盤まで入手できるわけではない。
だが、そのSP盤の良さ~音色の太さ・力強さみたいな感じ~を味わえる(想像し得る)国内盤レコードが実はあったのだ。
前回の「レッド・ミッチェル」でも触れたが、8月の終わりに3人会をやった。yositakaさんとsigeさんとは1975年からの付き合いだ。sigeさんとはジャズ研仲間で、彼はアルト、僕はベースで・・・2人とも我の強さでは良い勝負だったが、ここに2年先輩のドラム~yutaka氏が加わって、そうなるとなかなか面白いサックストリオになり・・・あの頃、僕らはジャズ研で本当に燃えていた(笑)
そうして、sigeさんは、高校でのブラスバンドの指導やエモリ氏らとのバンド活動も含めて、今でも管楽器を吹いている。
ここにsigeさんからの手紙がある。彼は何かの折には、メールではなく、筆書きの封書を送ってくるのだ。3人会の時、僕の古い機械で掛けたいくつかの古いレコード、それから自分が持ってきたパーカーの「ダイレクト・フロム・SP」の2枚(savoy編vol.1&2)などを、食い入るように聴いていた・・・それらの印象を書いてきてくれた手紙である。何事に付け思い込みの深いsigeさんならではの「熱さ」もあったりしますが~その点、僕も似たようなところはある(笑)~同時にまた、管楽器全般に造詣の深い、そして今でも楽器に触っているsigeさんならではの、唸ってしまうような表現もあったので・・・その一節をここで紹介したい。
《レコードによっては、奏者の管の鳴り具合、弦と胴の鳴り具合、場合によっては、吐く息、継ぐ息のリアリティさも体感できました。レコード総体に込められたジャズの空気と、大げさな言い方ですが、ジャズマンの体の中の瞬間的な構造や思惑さえ体感できたような思いになりました》
この「SP起こし盤」~パーカーの「ダイレクト・フロム・SP」の2枚(savoy編vol.1&2)・・・確かにひと味違う。まず、パーカーのアルトの音色が太い!音色そのものが分厚い感じか。だから・・・パーカーという人が元々「大きな音」で吹いていた、その音圧感がリアルに飛び出してくる。この「大きい音」という感じられる~ということは、再生音楽を聴く場合、ある意味、なかなか重要な要素だと僕は思う。録音バランスで調整した「大きい・小さい」ではなく、生の人間が吹いたその時、その空気中に拡がった音・・・そこにはその「ミュージシャンの真実」が響いているわけで、その「大きさ感覚」は・・・やはり、その真実の大事な一端だと思う。この「SP盤起こし」盤・・・アルトだけでなく他の楽器も、なにかこう「音が近い」感じで、強いて言えば、ブルーノートのヴァン・ゲルダー録音のような味わいかな。全体として、とにかく「強烈」・・・そのひと言である。
(この「厚い」「太い」という感覚は、savoy編~「サヴォイ・レコーディングス/マスターテイクス」(Arista/フォノグラム2LP)と、同じテイクを聴き比べした際の、僕の個人的印象です。
ダイアル音源については、以前の夢レコでも少し触れたが、パーカーのダイアル音源を耳にすることができる唯一のレコードが「バード・シンボルズ」だった時代が長かったと認識している。そしてその「バード・シンボルズ」の音ときたら・・・(笑)
「最悪」とはあの音のことかもしれない(笑) 僕は「パーカーは判らない」という方のほとんどは、あの「シンボルズ」の最悪音にやられたのでは・・・と邪推している。あれは、それくらいショボイ音だった。だから・・・英spotlightの「オン・ダイアル」と、その後に出た国内盤でも充分に「いい音」だったのです(笑)
この「ダイアル音源」関わりで、ひとつ面白い日本盤を紹介しよう。2008年3月にパーカーのオリジナル盤(Dialの10インチ盤)を聴く機会があった。その独特の鮮度感・生々しさに圧倒された僕は、そうした音色からパーカーの本当の凄さをより感じ取れたような気がした。アタマの中がしばらく「パーカー」で一杯になっていたその頃、たまたま地元の中古レコード店で「おや?」と思うレコードを発見した。それが「チャーリー・パーカー・オールスター・セクステット(ビクターRET-5021)である。
これ、ペラジャケの具合からみて、たぶん1964~1965年頃の日本盤だと思うのだが、マイルス、JJ.ジョンソンを含む6重奏団と収録曲目から「ダイアル音源」であることはすぐに判ったのだが、ジャケット右上のROOST SERIESが腑に落ちない。ROOST(ROULETTE)から、パーカーのダイアル音源のLPが出ていたのだろうか? どうも記憶にない。しかしこの日本ビクター盤のラベルは、ちゃんとした米Roost仕様じゃないか。そんな興味から、また日本盤ペラジャケにも惹かれるものがあり、とりあえず購入したのだが・・・いやあ、音を聴いて驚いた!パーカーの音が太いのである。鮮度感も「バードシンボルズ」とは比べ物にならない。spotlight盤よりも明らかにいい。日本盤でも時代が若い分だけ、鮮度の高いマスターやスタンパーに当たっていたのかもしれない。もう一度、じっくりとセンターラベル廻りを見てみると・・・ランオフ部分の刻印が目に飛び込んできた。
《Roost 2210A,2210B》となっているじゃないか!これは、Roostのスタンパーを使っていたことになる。いろいろ調べてみると・・・ありました!Roostのチャーリー・パーカー盤が。それはCharlie Parker/All Star Sextet(roost 2210)というやつで、そういえば・・・ガハッと笑っているパーカーのジャケット写真に見覚えがあった。あれが・・・ダイアル音源集だったのか。そしてその米Roost盤を受けての日本盤が、このビクター盤だったのだ。おそらく「ダイアル音源」が英spotlightから復刻されるまでは、「バード・シンボルズ」と、この「オールスター・セクステット」だけが市販されていたパーカーのダイアル音源だったのだろう。僕はこの日本盤の「パーカーの太い音圧感を感じる音色」で聴いた、パーカーのバラードの良さを改めて見直したのだ。特にDon't Blame Me、それからOut Of Nowhereである。(もちろんEmbraceable Youもいいのですが)特にOut Of Nowhereは素晴らしい!この曲がスロー(バラード)で演奏されるのは、ちょっとばかり意外な感もあり、しかしその意外性だけではなく、この曲の全体に流れるなんとも言えないような「寂しさ感」そんなものに僕は感動してしまった。正直に言えば、それまで聴いていたダイアル音源では、スピード感溢れるパーカーのスリルは感じ取っていたものの、スローものではそこまでのパーカーの「唄い」は感じることができなかった。パーカーの音色も含めて全体のショボイ音質に「負けて」いたのかもしれない(笑)
この日本ビクター盤の鮮度の良さに驚いた僕は、米Roost盤も入手することになった。日本盤でこれなら、米盤なら・・・というスケベ根性である(笑)スタンパーが同じなら、音も同じだろうって? それがですね・・・やっぱり(この12インチ盤としては)オリジナルの米Roost盤の方が、そうだなあ・・・もう少し、もう1枚、ヴェールを剥(はが)したようなヌケの良さがある・・・ように聴きました。この辺りはチャンスがあれば、またちゃんとした機器で聴き比べをしてみたいものです。
ただRoost盤というのは、(たぶん)もともとがそれほどいわゆる音のいいレーベルではないだろうし、この「鮮度感の高さ」は、あくまで、パーカーの他のダイアル音源LPよりも・・・という意味合いです。
さて、キングの意欲盤「ダイレクト・フロム・SP」そのsavoy編vol.1~なんと言ってもKokoが凄い!この曲のコード進行は「チェロキー」と同じで「チェロキー」がそうであるように、やはり急速調で演奏されているのだが、聴くたびに僕が「むむむ~っ」と思う場面がある。それはパーカーのソロの終盤に現れるのだが、そこでパーカーは実に不思議なフレーズを吹く。フレーズというより不思議なリズム(ノリ)なのだ。それは・・・チェロキーで言うと「サビ」に当たる曲調がちょっと変わる場面の最初の4小節の箇所だ。
(補記~このKokoは、サヴォイに残した1945年11月の最初のテイクです。CD(コンプリート8枚組)で聴くと2分20秒辺りからの4秒ほどの場面。ただし、この2分20秒は、冒頭約40秒の失敗テイクも含む)
この箇所を聴くたびに僕のアタマはクラクラしてしまう。
そのフレーズをなんとか音で表すと・・・「(ウン)・パラ・パラ・パラ/パラ・パラ・パラ・パラ/パラ・パラ・パラ・パラ/パラ・ラ~~~」という感じの8分音符の連続フレーズなのだが、なにせかなりの急速調での8分音符だ。そして、その連続する8分音符が、どうにも普通の「ノリ」には聞こえないのだ。普通に2拍・4拍の切れ目ではなくて、どうやら3拍のフィーリングで刻みながら吹いているように聞こえるのだ。しかしそれは単に変則ノリということではなく、そのノリが見事にコントロールされているので、パーカーのこのフレーズは・・・まるで川の急流を浮いたり跳ねたりしながらも乗り切っていくラダーボートのようじゃないか!
これは・・・凄い! これこそパーカーだっ!と僕は叫びたくなる(笑)
僕はほとんどの場合、音楽を分析的に聞こうとは思ってないが、パーカーのこの一節には猛烈に興味が湧いてしまった。その「3拍フィーリング」の正体を暴いてみたくもなった。だから何度もレコードのその場面に針を落とした。20回以上は聴いてみた・・・どうしてもうまく聴き取れない(笑)それでも僕なりの解釈を書いてみよう。
パーカーはどうやら、この時、4小節の16拍を<(1拍休符)+3拍/3拍+1拍/3拍+1拍/1拍+3拍>という具合に分割して捉えたのではないだろうか。少々、強引だが、計算はこれで合う(笑)そういうリズム譜を図に書いてから聴くと、こんな風に聞こえないこともない。《(ウン)パラ・パラ・パラ/パラ・パラ・パラ+パラ/パラ・パラ・パラ+パラ/パラ+ラ~・~~・~~》という感じかと思う。
他の刻み方パターンも考えていろいろと試し聞きしてみたのだが、タイムをこんな風に刻んでみた時が(自分としては)最もパーカーのフレーズのノレたのだ。思うに、パーカーという人は、普通に8分音符中心に2拍・4拍で割ってリズムだけには飽き足らず、こういうちょっと変則な拍数の分割を、いつも考えていたのだと思う。例えば2小節8拍を「3・3・2」で乗る、わりとよくあるパターンだけでなく、もう少し長い単位での変則パターンを。そうしてそんな意識があった、そこへいつものパーカーの閃(ひらめ)きが加わり・・・アッと驚くこの「連続8分音符による3拍フレーズ乱れ打ち」が生まれたのだ・・・というような妄想を僕は描いてしまうのだ(笑)
(ちゃんとした「パーカーのアドリブ採譜」をお持ちの方は、ぜひチェックしてみてくださいね)
ただ・・・実はそんな後付の分析など、本当はどうでもいいことで・・・僕らはパーカーのその時のフレーズ~それを吹いている時のパーカーの意識みたいなもの~を、ただ聴けば(味わえば)いいのだ!その音色の全てを浴びればいいのだ!その圧倒的なうねり具合こそが「パーカーの快感」であると思う。
いろいろ理屈をこねてしまったが・・・つまるところ、パーカーはアルトのサウンドそのものに快楽がある!と言ってしまってもいいだろう。だからこそ・・・パーカーはパーカーなのだ! ううう・・・ジャズっ!(笑)
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