<思いレコ 第18回>チェット・ベイカーのPacifc盤
チェット・ベイカー・・・抑制の美学
チェット・ベイカー・・・この人のトランペットには独特な何かがある。その「何か」をどんな風に表現したらいいのか・・・音や音色のことを言葉で表わすのは、なかなか難しい。
例えば・・・あなたがある歌手なりミュージシャンを好きに(嫌いに)なったとする。音程がどうとかフレーズがどうとか言ったりもするが、聴き手にとっての好みというのは・・・突き詰めていけば「歌手の声質」であり「楽器の音色」に対する感覚的なものかと思う。では・・・演奏者にとっての好みというのはどんな風に現れるものだろうか・・・。
ジャズという音楽を色々と聴いてくると、トランペットという楽器からも実に色んな「音色」が発せられきたことが判ってくる。マイルス・デイヴィスの音色とクリフォード・ブラウンの音色は、やはり相当にその質感が違う。
ミュージシャンの発する「音色」というものは・・・やはりその人の感性や美学から生まれてくるものだと思う。
アドリブのフレーズとかタンギングとかの技術上・奏法上のことはある程度、分析的・後天的に造られていくものかもしれないが、その人が発する「音色」というものは、歌手の声と同じように先天的なもので、それは「その人であること」を決定づける根本だと思う。もちろんどの楽器の奏者の場合でも、その楽器を持った端(はな)からその「先天的音色」が出るはずもないが、その修練過程において、無意識にでも「あんな音、こんな音がいいなあ」と感じながら、その「音色」が創られていくものではないだろうか。そうして、チェットという人は・・・心底、己(おのれ)の感性、いや、もっと本能的・肉体的な意味での生理感覚だけで、トランペットという楽器をまったく自分の好きなように鳴らしている・・・そんな風に思えてならない。
チェットはトランペットを溌剌(はつらつ)とした感じでは吹かない。
チェットのトランペットは、いわゆる金管楽器に特有の輝かしいものではなく、くぐもった様に暗く低く、しかし妙に乾いた感触のある・・・そんな不思議な音色で鳴る。
チェットは音色だけでなくその語り口も独特だ。
フレーズはたいてい、のそ~っと始まり、戸惑ったように口を噤(つぐ)んだり、そうしてまた訥々(とつとつ)と語り始める・・・そんな風情だ。
スローものでは、いや、速めの曲でさえも、いつもどこか一歩引いた視点で吹いているように見える。
そうなのだ・・・この人は明らかにいつも「抑えて」吹いているのだ。
人が何かを訴えたい時に、声高(こわだか)に叫ぶよりも、逆に抑えた方がうんと説得力が増す・・・ということもあるように、チェット・ベイカーという人は、そんな「抑えた語り口の凄み」というものを、本能的に身に付けている稀なミュージシャンなのかもしれない。
そんな独特な音色と語り口でもって、チェットという人は己(おのれ)を語るわけだが、その音(サウンド全体)から醸し出される情感の漂い方が、これまた尋常ではない。あの「寂しさ」や「けだるさ」・・・あんな風に直截に鋭く深く「ある情感」を感じさせる「音」というものもめったにないだろう。
そしてその「音」は、フィーリングの合う聴き手には、どうしようもないほど素晴らしい。
僕はチェットのスローバラードをどれも好きなのだが、特にこれは・・・と思うものをいくつか挙げてみたい。後期のものはあまり聴いてないので、どうしても初期の作品からのセレクトになってしまう。
《チェットの最初のリーダーアルバムとなった10インチ盤/Pacific PJLP-3。チェットのトランペットの斜め下向き、なぜか切り取ってしまった背中の真っ直ぐライン、それらが水色と黒の中に見事にデザインされていて・・・実に素晴らしい。この写真では判別しづらいがセンターラベルは<艶あり>で、裏ジャケ下の住所はSANTA MONICAとなっている。この10インチ盤では imagination というスローバラードが秀逸だ》
キング発売の「チェット・ベイカー・カルテット」第1集・第2集(キング18P~の1800円定価のもの)を、発売当時に入手し損ねた僕は、その後もあの水色のジャケットが欲しくて仕方なかった。
たまに中古盤屋で見つけても、そのキング盤は5000円以上の値段で我慢せざるを得なかった(笑)
だいぶ後になってから東芝が発売した「コレクターズLPシリーズ from オリジナル10インチ」なるシリーズで、ようやくその音を聴くことができた。このシリーズは元々の10インチ盤のジャケットをそのまま12インチに引き伸ばしたものだが、それでも、オリジナル10インチ盤の素晴らしいデザインと「同じもの」が見られるだけで、僕は充分にうれしかった。
そうしてようやく、その「本物の水色ジャケット」の10インチ盤を手に入れることができた。東芝12インチ盤と並べてみると・・・やっぱりこのジャケットは10インチの方が収まりがいいようだ(笑)
その「カルテット第2集:featuring ラス・フリーマン」にmoon loveという曲が収められている。ラベルのクレジットには kern-grossmith-wodehouse とクレジットされており、東芝盤解説では『ジェローム・カーンが作曲したもので~』という岩波洋三氏の解説もあるが、これ、元々はクラシックの曲で、それはどうやらチャイコフスキーの交響曲第5番第2楽章からの引用らしい。
というのも・・・先日、サックス吹きの友人sige君とグロッタ(ジャズ喫茶)にてジャズ話しなどしていると、ちょうどこのチェットのmoon loveが掛かったのだが・・・「このチェット、いいだろう」と僕が言うと「あれ?・・・何でチャイコフスキーが・・・」とsige君。そういえば彼はクラシックにも詳しいのだ。
そうか・・・この曲の元メロディは、チャイコフスキーだったのか。それにしても、本当にいいメロディじゃないか・・・。
このメロディがチェットのあの音色でもって流れてくると・・・なんとも内省的な思いに沈み込んでいくような風情がある。それは・・・寂しさだけでなく、仄(ほの)かに希望を感じさせるような・・・そう、哀しいのだけど微(かす)かに微笑んでしまう・・・そんな雰囲気だ。それを「ペイソス」と呼んでもいいのかもしれない。う~ん・・・やっぱり、チェットはいいなあ・・・(笑)
moon loveという曲は、うんと初期のpacific録音。
《ついに手にいれたオリジナル10インチ盤 Pacific PJLP-6》
この10インチ盤にもジャケット違いが存在する。カラーとモノクロだ。 そして・・・そのカラー盤にも2種類あるかも。
この10インチ盤写真の「黄土色っぽいもの」と「セピア色っぽいもの」の2種があるようだ。
(東芝12インチ再発盤は、そのセピア色盤が出自かも)
僕もオリジナル10インチ盤の現物2種を並べて確認したことはなく、ネット上での写真による比較なので、絶対とは言えない。
《PJLP-6の裏ジャケット》
この10インチ盤の収録8曲は、もちろん全てインストなのに、なぜかsings~の時の写真が使われている。それともこのセッションの合間に歌の練習でもしていたのだろうか(笑)
そういえばリチャード・ツアージックというピアノ弾きが気になっている。だいぶ前にこのブログでチラッと触れたPianists Galore!(world pacifc) に入っていた1曲(Bess,you is my woman)~あの普通ではない暗さがどうにも気になったのである。
そしてその頃、ちょっと珍しい日本盤2枚組みを入手した。
《チェット・ベイカー・イン・パリ》
この2枚組は日本ポリドール発売。ラベルが白いテスト盤のようだが、この2枚組の何曲かがチェットとツワージックの共演セッション。僕はこのLPで 初めて sad walk という曲を聴いたのだが、これがまたそのタイトルそのままに、なんとも寂しい・・・どうにも寂しい雰囲気なのだ。たぶん・・・ツアージックがチェットのために書いた曲なんだろう。というより・・・いつも耳にしているチェットのトランペットのサウンドがツアージックの耳に、身体に沁み込んでしまって、そうして,じわじわとこの寂しいメロディが湧きだしてきた・・・そんな気になってしまうほど、この曲はチェットに合っている。
この2枚組LPを聴いて、しばらくの後、香港でCD(仏polydor)を見つけた。そのCDには、チェット~ツアージックのセッション全9曲が収録されていた。ホントは・・・CDなんかじゃなく、仏Barcleyのオリジナル盤が欲しい・・・(笑)
チェットのPacifc10インチ盤は、PJLP-3、PJLP-6の他にもいくつか出てます。その辺りはまたの機会に。
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