<ジャズ回想 第21回>コルトレーンのことも少し・・・take the Coltrane!
さて・・・コルトレーンである。「さて」というのは・・・前回の<サウンド・オブ・ミュージック>記事の最後のところに、つい、コルトレーンの名を出してしまったからで、あれは、my fevorite things 繋(つな)がりからのコルトレーン記事を確信的に意図していたわけではないのだが、その方向を全く意識していなかったのかというと、やはりそうでもなく(笑)・・・まあ、そんなわけで「コルトレーン」のことを書いておこうと思うのだ。
このブログ<夢見るレコード>を始めたのが2005年6月だったから、もう4年半ほどになるが、そういえば、コルトレーンのことをあまり取り上げていない。だいぶ前に、prestigeの『コルトレーン』、riversideの『モンクス・ミュージック』、それからロリンズとの対比でちょっと触れたことくらいだと思う。
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コルトレーンという人の音を最初に耳にしたのは・・・マイルスの<ラウンド・アバウト・ミッドナイト>だったはずだ。FMラジオのジャズ番組でその演奏を聴いて(録音もして)何度も聴いた。中3の時だったと思う。だけど、それはマイルス・デイヴィス、あるいはセロニアス・モンクという人を意識しての<ラウンド・アバウト・ミッドナイト>聴きだったので、正確に言えば「コルトレーンの音を耳にしていた」というだけで、その時点では、僕はまだコルトレーンという人を強くは意識していなかった。
その名演からジャズという音楽に惹かれ始めた僕は、そのうちジャズ雑誌やジャズ本を読むようになった。今、思えばあの頃のジャズ活字の世界は「コルトレーンは素晴らしい!」というものばかりだったわけだが(例えば、コルトレーンに比べれば凡庸なハンク・モブレイとか・・・)ジャズに入れ込み始めた高校生としては、そんな「コルトレーン賛美」に影響されないわけにはいかなかった(笑)
当時、圧倒的に影響されたのは、立花実という人の「ジャズへの愛着」(ジャズ批評社)という本である。この本・・・街の図書館にあって高1の時(1972年)に読んだのだが、それはもう感動的なまでに著者の心情溢れるもので、<コルトレーンのバンドには真の音楽的交流があって、それこそが「共同体」と呼べるものだ>・・・みたいな内容だったと思う。まあ正直に言えばその辺のことはよく判らなかったが、ジャズに入れ込み始めた高校生には「共同体」というフレーズは・・・よく効いた(笑)
その立花実氏の本には、モンクス・ミュージックのことも書いてあって、「モンクの不思議な和音と格闘するコルトレーン」というような記述だったはずだ。そうして、立花氏はその音楽的格闘を激賞していた。
その本を読んでから・・・素直な僕は「これは、コルトレーンを聴かねばならない!」と決意し(笑)コルトレーンという名前を意識するようになった。そんな頃、ネムジャズインを見に行った翌日(徹夜明け:笑)、名古屋で見つけたのが『モンクス・ミュージック』(ABC riverside盤)である。立花氏が描写した「モンクの和音に、一瞬、飲み込まれそうになったコルトレーン・・・しかしそこから決然とモンクに戦いを挑むコルトレーン」という、正にその場面を実感できるwell,you needn'tを何度も聴きまくった(笑)そうして、コルトレーンを好きになった。次に買ったのが、マイルスの傑作~Kind Of Blue(CBSソニー盤)である。
この高1の夏にこの2枚を聴き込んだことで、たぶん・・・僕はコルトレーンのテナーの「音色」を覚えたはずだ。「覚えた」というのは・・・他の知らないレコードを聴いても「ああ、このテナー(の音色)はコルトレーンだ)!」と「判る」という意味合いで、まあコルトレーンという人の音色はとても特徴的なので、そういう意味ではとても「判りやすい」ミュージシャンなのかもしれない。
「判る」といってもそのレコードを特に分析的に聴いたということではなく・・・好きなレコード(音楽)を集中して聴き込む時、その音楽というものは、たぶん、耳で聴いて感知しているだけではない。その音楽の振動が体のあちこちの細胞に沁み込んでしまうものだ。比喩的ではなく、体が覚えているというか・・・(笑)
ちなみに、コルトレーンの音色というのは~音というものはいつでも言葉では表現しにくいものだが~肌合いで言えば、その音色はとても硬質な感じで、そうだな・・・コールマン・ホーキンスやソニー・ロリンズの音色を<木の質感>とすれば、コルトレーンのそれは遥かに金属的で、しかしそれほど冷たい質感ではなく<質のいいきめ細かい肌触りのメタリック>という感じか。
私見では、同時代のどのテナー奏者にも似ていない、ちょっと「新しい音」だと思う。余談だが、1960年頃のジミー・ヒースが、ちょっとコルトレーンに似た音色をしているように思う。同時期のベニー・ゴルソンは、音色は似てないがフレーズがちょっと似ているような気がする。
そして、ちょうどその秋にビクターが1100円盤シリーズを発売することになったのだ。街のレコード屋に出入りしていた僕は、そのチラシを入手して発売前からどれを買おううかと・・・あれやこれや思案していた。そうしてようやく決めたのが、『コルトレーン』『モンクとロリンズ』の2枚である。
《1972年秋にビクターから発売された1100円盤シリーズ~まさかこのシリーズのコレクターはいないと思うが(笑)ちょっとした特徴としては・・・解説書は一切なし。外見的には、ジャケ裏右下の<1100円という定価とPJ~12>というシリーズ番号が入っていること。そして、センターラベル外周部分に何のアドレス(住所)表記もないことくらいか。余談だが、当時、このシリーズを入手した方が、この<1100円~>箇所をナイフで削った・・・という涙ぐましいエピソードを読んだことがある(笑) その頃、僕は「オリジナル盤」というものの価値を知らなかったので、そのエピソードを不思議に感じたものだ》
今、思えば、立花実氏の絶賛した精神共同体のコルトレーンとは・・・もちろんimpulse期(それも後期)だったのだが、当時はそんなレーベル変遷の知識もなく、単純に「コルトレーンはコルトレーン」だと思っていた。そして、この1100円盤シリーズはprestige原盤~1950年代のバリバリのハードバップ~だったのだ。
『コルトレーン』は、初めて聴く<1957年のコルトレーンのリーダー作>だったわけだが・・・先にKind Of Blueの新しいサウンドを聴いていた僕としては、いきなりバリトンサックス(サヒブ・シハブ)の急速調のリフの繰り返しから始まる何やら忙(せわ)しない感じのA面1曲目(bakai)に、「あれ?ちょっと・・・暑苦しいなという印象を受けた。kind of blueのあの静謐(せいひつ)なサウンドと比べればそれも無理からぬことだったと思う。しかし、それも何回も聴いている内にすぐ慣れた。そうして、2曲目が・・・「コートにすみれを」なのである。
これが・・・本当にすう~っと清冽な気持ちになってしまう素晴らしい演奏だった。この曲のことは、だいぶ前の夢レコ(マット・デニス作の曲)の中で少し書いたことがある。とにかくいいメロディといいハーモニーの素晴らしい曲なので、実際、あの1957年時点で、この曲を、バラードとして自分のリーダー作にセレクトした・・・というそのことにこそ、コルトレーンの素晴らしいセンスがあったのだ・・・と僕には思えてくる。
そういえば、マイルスの述懐として「なぜあんな下手な新人を使うんだ?」とか仲間から言われた~とかいう記事を何かで読んだことがある。「マイルスバンドの新人」という位置づけなので、たぶん1956年以前のことかと思われるが、それはコルトレーン賛辞ばかりの中で、当時は唯一の、マイナスイメージの話しだったように思う。
もちろんジャズを聴き始めの高校生には、そんな技術的なことは判らない。
「そうかあ・・・あれでも(あんなに巧くても)下手というのかな?」いうくらいの感想だった。たぶん、その「下手~」というのは、コルトレーンのうんと初期の頃のことだったのだと思う。そういう意識でもって初期のコルトレーンをいろいろ聴いてみると・・・もちろん下手なはずはないのだが、ただ、わりと頻繁に「キィ~ッ」というリードミスの音が出たり、それからソロの途中でフレージング(アドリブのメロディ造り)が、ちょっとモタモタした感じになったり・・・という部分もあり、その辺が、ホウキンスやベン・ウエブスター流れのソフトでスムースな流れのアドリブから比べれば「ゴツゴツとして不器用」な感じは確かにある。しかし、その硬質な音色やフレーズの根本的な新しさ・・・これはもう圧倒的にそれまでと違うテナーである。マイルスにしてみたら、「みんな判っちゃいないぜ・・・あいつの凄さが・・・」てなもんだったんだろう。そんな風なマイルスの述懐もあったかと思う。
しかしそのマイルスも、prestige作品のいくつかのバラードではコルトレーンを登場させていない。この辺・・・マイルスはそのバラード全体の構成と、この時期(1955年~1956年)のコルトレーンの実力までもちゃんと考え併せて・・・スローバラードでは、曲のバランスを崩してしまいそうなコルトレーンを、あえて外したのだろう。
(実際~it never entered my mindでは、コルトレーンのテナーは、演奏の最後の最後にプア~ッと鳴るだけだ:笑)
僕の勝手な推測では・・・この時、コルトレーンは「なぜだ!なぜオレを使わないのだ!」と怒りに打ち震えた(笑)コルトレーンは早い時期からもう絶対にバラード好きのはずなのだ。「バラードも吹きたい・・・」とコルトレーンは悶えていたはずなのだ(笑)
そうしてコルトレーンは、その直後の自分のprestige期リーダーアルバムで、敢然とスローなバラードに挑戦しているのだ。1957年の最初のリーダー作『Coltrane』には2曲のバラードが収録されている。今ではとても有名になった<コートにすみれを>と、もうひとつ、とても地味な<while my lady sleeps>である。(私見では、実はこちらの<while~>もなかなか素晴らしい。バックに同じパターンを弾かせながらテナーだけがメロディを変化させていく~その感じがちょっとモード的でもあり、コルトレーン的な「唄い」にフィットした、何やら新しい感じがある演奏だと思う。
さて、<コート~>を聴くと、コルトレーンはたぶんシナトラを聴き込んでいたのだろうな・・・と思えてくる。シナトラはすでに1940年代にこのマット・デニス作の名曲を吹き込んでいる。ジャズのインスト版としては、1956年7月録音:ユタ・ヒップ(p)とズート・シムス(ts)のbluenote作品(Yuta Hipp with Zoot Sims)が最初だろうか。当時、録音から発売までは案外に早かったらしいので、ひょっとしたらコルトレーンは、発売仕立てのその『Yuta Hipp with Zoot』を聴いて、この曲を気に入ってしまったのかもしれない。そうして1957年3月録音の『コルトレーン』に、この<コートにすみれを>を吹き込んだ・・・。シナトラかシムスか、
あるいはその両方か・・・。いずれにしても、この曲はコルトレーンに合う。それまでのスローバラードというのは、テンポはスローでも、たいていベースは4拍を刻んで、ゆったりと弾むような(バウンス)全体に「ゆったりと」という雰囲気だったように思う。コルトレーンは(もちろん、そのやり方をマイルスの方が先にやっていたわけだが)テーマ部分ではベースには2拍を打たせ、つまり、リズムにうんと間を持たせて・・・その分、テナーがメロディをあまりフェイク(変えること)せずに、ゆったりと音を伸ばしたのだ。時には、伸ばした音の後に、弱めの音量でパラパラっと短めに入れるグリッサンド風なフレーズ・・・これも実に粋なのだ。音のことはなかなか表現しづらいが、ひと言で言えば「瑞々しい」という感じか。とにかく・・・コルトレーンのバラードはいい。何がいいのか・・・というのは、もう感覚の問題ではあるが、強いて言えば・・・それは、その音色の新しさが生んだ<ちょっとビターな情緒感>みたいな感じだと思う。柔らかい音色でラプソディックに吹かれるバラードも(例えばコールマン・ホーキンス)もちろんいいものだが、コルトレーン流のバラードから匂い立ってくる<凛(りん)とした佇(たたず)まい>・・・これにも強烈に「新しいジャズ」を感じる。
そうなのだ・・・コルトレーンは、ついに自分の硬質な音色に合う新しいバラード奏法を見つけたのだ。コルトレーンの<コートにすみれを>は、本当に素晴らしい!
この傑作バラード演奏で、僕が特に好きな場面がある。それは・・・ガーランドのピアノソロが終って、コルトレーンが入ってくる瞬間だ。
それはサビの(曲の途中でメロディの展開がちょっと変わる箇所のこと)出だし・・・1拍だけ待って・・・それはググッと堪えていた情緒をここで一気に吐き出すかのような、一点の迷いもなくキリッとした決意を持って吹き込まれる、低い方から高い方へ一気に上がる切れのある16分音符の(4つ目の音はタイで繋げて伸ばす)フレーズだ。
こんな瞬間があるから・・・僕はジャズを止められない(笑)
ああ・・・すっかり『コートにすみれを』の話しになってしまった。まあいいじゃないか・・・ジャズにアドリブは付きものだ(笑)コルトレーンのmy fevorite thingsについてはまた別の機会に。
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