<ジャズ雑感 第7回> ソニー・ロリンズ/カッティング・エッジ~野ばらによせて。
相性というものが・・・絶対にある。ミュージシャン同士の相性、それから、ミュージシャンと聴き手の相性。
ヴォーカルやサックスの場合、誰かの声・音色を聴いた時に、全く理屈ではなく本能的に、「好きな声質」、「好きな音色」と感じる場合と、そうでない場合があるかと思う。もう少し正確に言うと、聴いていて、普通に聴ける場合~これは、「好きだ」とまでは思わないが、少なくとも「いやではない」のだ。ほとんどの場合は、だいたいこの感じで聴ける。ところが・・・ほんの一部の「声質」の場合・・・「ああ、イヤだな」と、感じてしまうのだ。本能的・生理的な感性の問題(だと思う)だから、どうにもならない。仕方がない。僕の場合は、女性ヴォーカルで、苦手な音色、いや声質のタイプは・・・ジュディー・ガーランドやジョー・スタフォードなのだ。キレイな声だとは思うが、響きが金属的な感じがして、僕にはどうにも「硬い」のだ。ヴォーカルの場合は、発声の仕方とも相当に関連がありそうだが、総じて・・・オペラ的発声には、なじめない。どうにもジャズ好きな人間としては・・・「ぁぁあああっ~」と声を張らした瞬間に・・・がくっとくる(笑)
僕の好きなスタンダードに<old folks>という曲がある。マイルスの 「Someday My Prince Will Come」に入ってるバラードだ。マックス・ローチの 「Award Winning Drummer」~ジョージ・コールマンやブッカー・リトルが参加してる盤~を手に入れた。<old folks>が入っていたからだ。聴いてみて・・・驚いた。というよりあきれた。がっくりした(笑) あのチャーミングな曲、バラード、あるいは、ゆったりテンポで演るしかないであろうあの曲を、なんと端(はな)から「急速調」、ガンガンの4ビートで演っているのだ。
「オールド・フォークス」は、もちろんマイルスの「いつか王子様が」の1960年のテイクで知られている。ミュートの音色がしっとりとしたバラードである。
ローチの「Award~」は、1959年11月録音ということなので、もちろん、マイルスの<Old Folks>よりも録音時期が早い。もしマイルスのあの曲を聴いた後なら・・・とてもこんな風には演れなかった、とは思う。だから・・・仕方ないとは思わない。マクリーンの<オールド・フォークス>(prestige)(「マクリーンズ・シーン」1957年に収録)があるのだ。これは、ゆったりの4ビートだ。スロウなバラードではないが、「唄モノ」としてマクリーンが、じっくりと唄い上げている。そして、僕はこの<Old Folks>が大好きである。パーカーが吹き込んだ<Old Folks>(verve)1953年もある。ギル・エヴァンス伴奏での3曲の中の1曲だ~もある。ポピュラー風のコーラスも入っており、元々のポップチューンの感じに近いかな、と思える。これもやはり、ゆったりテンポで、パーカーが朗々と吹いている。スタンダードソングというものは、どんな曲にも、それぞれが自ずと持っている個性、特質みたいなものがあるはずだ。早いテンポでガンガンが合う曲、スロウでゆったりが合う曲。中くらいのテンポが合う曲。やはりそういう資質みたいなものがあると思う。
マックスローチという人は、そんな「曲の個性」というものを、あまり考えてないのだろう。おそらく・・・彼にとって「曲」は、ドラムスという楽器を「叩く」ための素材でしかないのだろう。だから、曲の解釈という点で、あまりデリカシーというものが感じられない。少なくとも・・・この<old folks>を聞くと、そうとしか思えないのだ。そして、これも僕の好みの問題だが・・・ローチのドラムのサウンドそのものが、あまり好きになれないのだ。ローチの音色は、「高い」そして「硬い」。基本的なチューニングが~ドラムスにも、調節によって「音の低い・高い」があるのです~高いのだろう。一部のレコードの録音のせいかな?とも思った時期もあるが、どのレコードで、あの「硬い音色」なので、やはり、ローチ自身が選んだ「音色」なのだと思う。ローチという人は、人間も堅いらしく・・・ドラムプレイも、やはり「硬い」のだ。だから、ローチのドラムソロも、あんまりおもしろくないものが多い。何か・・・設計図とおりに叩いているような感じ、を受ける。エルヴィンやロイ・へインズのような「ヒラメキ」というものがあまり感じられない。「硬いプレイ」と言ってもいいだろう。全てに正確かもしれないが・・・ドラムソロとしては、面白みがない。
「ドラムのサウンド」で思いだしたのだが、モンクの「ブリリアント・コーナーズ」というレコードがある。モンクとロリンズ、アーニー・ヘンリー、ペティフォード、それにローチだ。ロリンズもヘンリーも大好きなので、<Ba-lue Boliver Ba-lues-are>もいいし、ピアノソロの<I Surrender, Dear>も最高だ。しかし・・・B面3曲目の<Bemsha Swing>だけは・・・もうどうにもこうにも、ダメなのだ(笑) いや・・・この曲自体は、「クリスマス・セッション」での好演もあり、もちろん好きなんです。しかし、「ブリリアント~」での<Bemsha~>は・・・。あの曲で、ローチは、なんと「ティンパニ」を使っているのだ!解説によると、たまたまスタジオの隅に置いてあったとのことだが・・・。この「ティンパニ」の「グワーンン」という音に我慢がならない(笑) あの響き・あの音圧・あの音量・・・思い出しただけでも、身震いする。(笑) 何か不用意に大きな音で、周りを威圧するような雰囲気・・・モンクの「ちょっといい曲」の味わいを損なってしまっている。というより、単純に、ジャズとしての演奏のバランスを崩してしまっている。モンク好きの僕には、そのように聞こえる。<オールド・フォークス>の、あの解釈とも通じる「無神経さ」というものを、感じずにはいられないのだ。
こんな風に、僕は、ちょっと苦手なローチだが・・・もちろんローチには、鋭いバッキングでの快演がいっぱりある。特に、ロリンズのvol.1(bluenote)でのJJ・Johnsonとの絡み~JJの決めフレーズに、ここぞっ!とばかりに、スネアで応戦する~この辺りは、さすがに聴き応えがある。パーカーやパウエル、それにロリンズ(1955~56年頃)らのバッキング、特に急速調の曲では、キッチリしたスピード感とバップらしい熱気みたいなものを、生み出している。この時期、ローチの他に、こんな巧いドラマーはいなかっただろう。そして・・・マックス・ローチの、あの「高くて硬い音」を好きな方も多いと思う。ローチの律儀なドラミングを好きな方も多いだろう。ローチ好きの方には、「ティンパニが堪えられない」なんてもの、全くナンセンスな話しだろうし、<Old Folks>に、別段、思い入れのない方にとってみれば、ローチが、それを急速調で演ったって、何の問題もないことなのだろう。まあ結局は・・・相性がよろしくないということだろう。ローチの発する周波数は、僕のチューナーでは、うまく受信できないのだ。だから・・・これは、あくまで僕にとっての「不幸な例」ということで、ご理解下さい。
・・・ああ、ロリンズのことを話そうと思ってるうちに・・・そのロリンズのボスだったこともあるローチの話しになってしまった。「不幸な例」はこのくらいにして・・・今度は「幸福な例」、これなら、いっぱいあるぞ(笑)
さて、ロリンズ。65年インパルス盤からぐんと時代が進み・・・ロリンズとしてはかなり後期の1972年「カッティング・エッジ」というモントルーでのライブ盤がある。そのA面2曲目に<野ばらによせて>というバラードが入っている。この曲は・・・たしかクラシックの曲(シューマンだったか? 請う情報)なのだが、素朴なメロディのとても優しい雰囲気の曲だ。こういう曲を選んだ、というまずそのことに共感してしまう。
*補記~その後、「野ばらによせて」の作曲者が判りました。アメリカの作曲家(1861~1908)で、エドワード・アレクサンダー・マクダウエルという人でした。ドビュッシーやシューマンの影響を受けた作曲家ということです。
そうして、ロリンズ自身が「いい」と思ったから選んだであろうこの曲を・・・テナーでいつくしむように吹くロリンズ。エンディングでは、バックの演奏を止めて、長いカデンツァに入っていく。このカデンツァが凄い。テナー1本でのカデンツァ。ロリンズ以外に誰が、こんな風に「音楽を生き生きと唄う」ことができるのか。コード進行がどうか、スケールがどうか、なんていう話しじゃあない。本当に「自分の唄」というものを持っているロリンズだから、こんなカデンツァを吹けるのだ!その長いカデンツァの終わり・・・ロリンズが再びメロディを吹くと・・・バックのバンドが「ここしかない」というタイミングで入ってくる。音楽が、ぐぐッっ!とインテンポに戻る。・・・と聴衆も思わず「うお~っ!」・・・ああ、このこの充実感、この高揚感はなんだ! ロリンズの 感じている feeling にバンドも聴衆も完全に感応したのだ!聴衆も幸せになったはずだが・・・こうしてレコードを聴いている僕らも幸せになってしまう。・・・・・この<野ばらによせて>は、本当に素晴らしい。こんな風に、ジャズ聴きの「幸せ」を、ひとつづつ積み重ねていくのは、実にいいものです。ジャズが好きだ。
みなさんの「幸せな例」・・・どんなでしょうか?思いついたら・・・お知らせ下さい。
| 固定リンク | 0 | コメント (4) | トラックバック (0)
最近のコメント