セロニアス・モンク

2007年4月20日 (金)

<ジャズ回想 第10回> ああ・・・この音だ。Yoさん宅、再・再訪記(その1)

いくつかの聴き比べを交えて「音楽」に浸った9時間。

推測だが・・・ジャズ好きという人種は「偏屈」である。もちろん、僕も例外ではなく、どちらかといえば狭い人間関係の下で生きている(笑) ところが、この3年ほどか・・・九州の新納さんの田園の中のレコード店~Ninonyno(ニーノニーノ)さんのBBS「こだわりの杜」に顔を出すようになって、そこでのやりとりを通じて、ジャズのお仲間が増えてきた。その後、このブログ<夢見るレコード>も始めて、さらに多くのジャズ好きの方と知り合うことができた。このごろでは、「杜」のお仲間と「ミニ杜」と称してオフ会的に集まったりもする。持ち寄ったレコードを聴いたり、しゃべったりしていると、本当に楽しい・・・そうして、判ったことがひとつある。「ジャズ好きはジャズ好きと語りたい」のである(笑) そして「オン/オフ」に係わらず、「語り合えるお仲間」がいるということは、素晴らしいことだ。
そんなお仲間のYoさんとは、たびたびジャズ話しのメールやり取りをしている。たいていは、最近入手して気に入ったレコードとか、逆にそうでもなかったもの、あるいは再発ものなどでも、やけに録音がいいと感じたものとか・・・そんなレコード話題である。レコードやミュージシャンに対する好み、あるいは録音に対する好み・評価などは、合ったり合わなかったりなのだが、そんなやり取りをしていると、「聴き比べてみたくなる盤」が、次々に浮上してくる(笑)
例えばこんな具合である。ある時、ラウズ~モンクのことから話しがグリフィン(リヴァーサイドの「ミステリオーソ」(nutty)に及んだ。
Yoさん~「モンクとやっているグリフィンは、緊張しているせいか大人しい」
bassclef~「いや、そんなこともない。いい感じでノッてるのでは」
お互いに「そうかなあ?」そして再聴してみるのだが、やはり意見は変わらない。それも伝える。またまた「う~ん・・・変だなあ」
その「ミステリオーソ」・・・双方の手持ちの盤は何なのかな?
う~ん・・・それじゃあ、ひょっとしたら録音の感じが違うかもしれんぞ(特にリヴァーサイドだから:笑)じゃあ、ぜひ聴き比べてみよう!・・・てな感じなのである。
Yoさん~Misterioso(riverside)黒・ステレオ《下の写真2点はYoさん提供》MisteriosoMisterioso_l

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《左写真:bassclef~Misterioso(riverside)青・小・モノラル》

この「ミステリオーソ」の聴き比べについては、すでにニーノニーノさんのBBS「こだわりの杜」に書き込みレポートをしたので、その書き込みを以下に再掲させていただきます。

モンク/ミステリオーソ(riverside)~
これは「モンクとのグリフィンはおとなしい感じ」というYoさんの印象~[ミステリオーソでは頼りなげに聴こえるんです。録音の所為かもしれません。モンクのピアノが強く明確に録られているので余計に音の小さなグリフィンがそのように聞こえるのかもしれません。ステレオだと左隅で小さくなって吹いているように聴こえます。(モノとステレオの違いも有るのかも?)]というYoさんと「いつものグリフィンだと思う」というbassclefのメールやりとりから、Yoさん手持ちの<黒・小・ステレオ>とbassclefの<青・小・モノラル>を、ぜひ比べてみよう!という経緯があったわけです。
曲はlet's cool one にした。この曲、途中でモンクらがバッキングを止めてしまい、完全にグリフィンのテナーだけになる辺りがスリリングだ。メロディがチャーミングで、モンク曲の中でも特に好きなのだ。
先に[黒・小・ステレオ]から~
聴き馴染んだあのメロディが始まる・・・ところが、グリフィンが左の方、それもかなり遠い。確かにYoさんの印象どおりで・・・・他の楽器とのバランスからいっても、かなり小さめだ。これは・・・「おとなしいグリフィン」になってしまっている(笑)これを聴いたのなら・・・たしかに「モンクに遠慮でもしているのか?」と感じてしまうだろう(笑)Yoさんに「う~ん・・・(なぜグリフィンが大人しい・緊張?と感じたのか)これで判った」と言う僕。Yoさん、ちょっとホッとしたような表情。
続いて[青・小・モノラル]~いきなりのピアノのイントロから音が元気だ。カッティングレベル自体もモノラルが高めにしてあるようだ。
そして・・・グリフィン。中央から太く、そして大きな音量バランスでテナーが鳴り始める。Yoさん「全然、違う!」さきほどホッとしたYoさん、今度は、モノラル盤の「粋のよさ」に、少々、悔しそう(笑)
どちらかというとステレオ派(特にライブ録音では)の僕でも、こうして続けて聴くと・・・この「ミステリオーソ」に関しては、モノラル盤の方が「音楽」が
楽しめる。う~ん・・・モノラルも悪くないなあ(笑)
それにしても解せないのが、この黒・ステレオ盤は、裏ジャケにray fowlerもクレジットされており、例の「変なステレオ3D図面」もある。
そして僕が聴いてきたステレオ盤(昔のポリドールの2枚組monk's world)でも、こんなに「遠いグリフィン」ではなかった。戻ってから聴いたファイブスポット未発表テイクでのグリフフィンも、中央やや左から、もっと大きなバランスで元気に鳴っていたのに・・・。この「黒・小・ステレオ盤」では、フォウラーが、意図的に、テナーを抑えたバランスでのミキシングをしたのかなあ・・・?当時のriversideは、ちょっと変則で、あるセッションなりライブの際、モノラル用の録音とステレオ用の録音を「同時に」やってしまったらしい。ミキシングで各楽器の位置、音量を「変えて」しまったのかもしれないし、録音の際の「マイクの位置取り」において・・・モノラル用の方にアドヴァンテージがあったのかもしれない(笑)
いずれにしても・・・モンクのファイブスポットは、本当にいいライブです。僕はもう大好きなレコードで、これでベースがアブダリマリクでなく(もちろん悪くないのですが)ウイルバー・ウエアだったらなあ(笑)と隣のkonkenさんに洩らした僕でした。



レコードというのは、普通は~普通でない場合ももちろんあるでしょうね(笑)~なかなか同じタイトルのものを何種類も集めない。しかし、そのレコードに「ラベル違い」があることが判っていて、しかもお互いの手持ちの中でそれらが揃ったとなると・・・これはやはりその「ラベル違い」で、どんな具合に音質が違うのか、あるいは違わないのか?  そんなことを知りたい気持ちになるのも、レコード好きとしては無理からぬことだろう(笑)
さきほどの「グリフィン」と同じ経緯で浮上してきたここ最近の「聴き比べ候補盤」あるいは「お勧めの好録音盤」(ほんの一部)を以下に挙げてみる。

Lorindo Almeida/~Quartet(pacific:PJLP-7) 10インチ盤~[ラベルの艶:有り/無し]
Stan Getz/~Plays(clef:10インチ盤)と ~Plays(norgran:12インチ盤)と 同音源のEP盤(EP-755)
Oscar Peterson/We Get Requests(verve)~このレコードは、MGM-VERVEのT字ラベルなのだが・・・「モノラル溝あり」と「ステレオ溝あり」と「ステレオ溝なし」の3種あることが判ったので、それもぜひ聴き比べてみよう!とあいなった(笑)
(以下は、bassclefの思う好録音盤として)
Frank Rosolino/Free For All~[米specialty盤とセンチュリー国内盤]
Thelonious Monk/Blues Five Spot(milestone/ビクター)
Bill Evans/Time Remembered(milestone/ビクター)この2タイトルは共に
1982年頃発売されたriversideの未発表音源だ。

こんな具合に「聴きたい盤」が増えてくると、どうしても集まりたくなる(笑) そんなわけで半年振りにYoさん宅におじゃますることになり、今回はkonkenさんと2人で藤井寺に向かった。早めに出たのだが、関~伊賀辺りが事故渋滞で、そこを抜けるのに1時間以上もかかってしまった。トンネルの途中で止まってる時など~まだこの先、何時間待たされるかも判らないので~せっかちな僕は「チャンスは今日だけじゃない・・・」と、あきらめかけたりしたのだが、konkenさん「ここまできたら絶対に行く!」と力強い一言。じゃあ、ってんで、覚悟決めて、あれこれとジャズ話しなどして渋滞の苦痛を耐え忍ぶ二人。いいかげんイヤになってきた頃・・・天は我々を見捨てなかった(笑) 伊賀の「加太(かぶと)トンネル」を出ると、とたんに渋滞が消えたのだ。二人とも「やったあ!」 後はもう、飛ばすに飛ばす(笑)
そうして 11:30頃にはYoさん宅に到着できたのである。よしっ、これでまた「あの音」が聴けるぞ!

左側に手すりのついた、ちょっと急なこの階段を上り始めると・・・そういえば昨年の秋、この部屋に14人も集まったのだなあ・・・と懐かしいような気持ちになる。あの時は先に到着していたパラゴンさんが「ヴォーカル特集」を展開しており、階段の途中で漏れ聞こえてきたのは・・・キャロル・スローンだった。スローンのOut Of The Blue(columbia)からの・・・deep purple~イントロ部分での、弦を使ったちょっと不協和音のようなアレンジが特徴的なあの曲~が流れていたように記憶している。もっともこういう記憶は、後から自分の中で勝手に脳髄インプットされたりもするので、アテにはなりません(笑)
*10月の「大阪・神戸・秋の陣」会の模様は、拙ブログ記事に長々と書いてあります。こちらからどうぞ。

さて・・・今回の3人会は、ラウズ3連発から始まった。ラウズから始まり、そのまま「テナー特集」と化し、次に「聴き比べ」をやり、インストばかりではちょっと厭きるので、「ヴォーカル」や「ピアノトリオ」を混ぜ、再び「聴き比べ」。その後、ちょっとだけクラシック。それからアルトで、またヴォーカル・・・そんな感じで、実にいい按配に、次々と「音楽」が流れていった。ひとつの曲が終わると、短くその感想を言い合い、そして次にかけるレコードを取り出す・・・時間がどんどん経っているようでもあったが、3人とも休む素振りを見せない。そして・・・全く疲れない。まるで名手の吹く自然なアドリブのようではないか(笑)

YeahYoさんが最初にかけたのは、チャーリー・ラウズの Yeah!(epic) からyou don't know what love is。普通はバラードで演奏されることの多いyou don't know だが、ラウズは、あえて最初からベースがゆったりテンポの4ビートを刻むリズムを選んだようだ。そして、ペック・モリソンの強くギザギザしたような音色が、目の前のスピーカーから弾んだ瞬間・・・「ううっ。これは凄い!」と僕:bassclefは、 唸ってしまった。右隣に座ったkonkenさんも、やはり「うう・・」とスピーカーの方を見つめたままだ。

《上下の写真2点ともYoさん提供》
Yeah_l前回、レコードによっては響きが膨らみすぎる場合のあった、ウッドベースの音が見事に締まっているのだ。いや、充分に存在感を感じさせながら、わずかに引き締まった感じになっているようなのだ。ペック・モリソンという人の参加レコードはそれほど多くないと思うが、そのいくつかのレコードで、音の大きそうなガッツあるタイプのべーシストだとは感じていたが、正直に言うと、ここまでペックモリソンが「凄い」と感じたことはなかった。
「凄い」というのは・・・なんというか、ペック・モリソンというべーシストの「音が大きい」ことが判るだけでなく、その一音一音に込める気合やら、ベースで紡(つむ)ぐライン全体の迫力・・・そんなものまで「判って」しまったという意味なのだ。
いかにも音が大きそうで太くて重くて、ちょっとギザギザしたような独特なモリソンの音色。心持ち、弾むようなビート感が心地よい。彼の刻む4ビートが見事にゆったりと、しかし決して鈍重にはならずに「音楽」を支えている。それに乗っかって、ラウズのテナーが深く沈みこむような音色でもって、自分の唄を吹き進んでいく。それから、デイブ・ベイリーの重心の低いドラムス。
それらがしっくりと溶け合った実に感じのセッションではないか。たぶん「音色」の相性までもがよかったのだろう。Yeah!という作品は・・・本当に傑作と呼んでもいいだろう。

そういえば、ラウズのテナーも、このEpic盤:Yeah!では、実に魅力的な音で録られているように思う。前々回の<夢レコ>では、ラウズの音色を「深い」と表現したが、Yeah!でもやはり・・・深い。その深さにさらに落ち着きが増して、どっしりした重さも加わっているような感じなのだ。
そのラウズのテナーの音色が、面白いことに、同じ時期の2枚のEpic盤~[Yeah]と[We Paid Our Dues]とでは、微妙に違っていたのだ。レーベルが同じでも「同じ音」と決め付けてはいけないようだ(笑)
以下、その比較の印象を少しだけ。(jazzlandのTakin' Care~も参考として聴いてみた)

Yeahの方~深みと重み、それに渋みがブレンドされたような音色。豊かに響く。ラウズは元々、わりとサブトーンを使うので、音色の輪郭自体も丸みのある方だが、やや膨らみ気味かもしれない。だがしかし、僕はラウズに関しても、Yeahでの音色の方が好みのような気がする。

We Paidの方~(Yeahに比べると)音色自体もちょっと締まり気味で、サブトーンなどの響きの余韻を程よく抑えたような感じ。だから・・・ラウズが少しだけ知性的になったような感じがする(笑)

Takin' Care(jazzland) からpretty strange ~この盤では、再び「膨らみ気配」のテナーになった。サブトーンの余韻もやや強調気味か。もちろん悪い録音ではないのだが・・・2枚のEpic盤の~両者共にどうにも魅力的なテナーの音色だった~直後に聴いたこともあり、「あれ?」という感じがするくらい「普通」のテナーの音に聞こえてしまったことも事実だが、まあそれくらいYeah!の録音が素晴らしいということだろう(笑)

・・・・・ラウズ3連発を聴き終えると・・・このYeah!を初めて耳にしたらしいkonkenさんも「ラウズも、いいねえ」と嬉しそうだ。
ハロルド・ランドやテディ・エドワーズ、それからこのラウズ・・・独りでじっくりと吹かせると実にいい味を出すタイプだと思う。その手のテナーのちょっといいレコードも、この後でかかることになる。

さて・・・今回は、いきなりの「驚愕のベースサウンド」で始まったので、その後かけたいろんなレコードのそれぞれのべーシスト達の「音の印象」を少しまとめてみたい。

《We Paid Our Dues(epic)黄・モノラル。写真2点ともYoさん提供》
We_paid_lWe_paid









ラウズ2枚目のレコード~We Paid Our Dues(epic) からは、バラード:when sunny gets blueを聴いた。 

~ラウズとセルダン・パウエルが3曲づつ分け合っての1枚。交互に1曲づつ配置されているとのこと。ラウズの3曲は以下。
When Sunny Gets Blues
Quarter Moon
I Should Care
2曲のスタンダードなど、とても趣味のいい選曲だと思う。気になるペック・モリソンの名が、なぜかパウエルの方のセッションに載っている(笑)

この曲でのべーシストはレジー・ワークマンであった。(このレコードでの)ワークマンは・・・ベースの音色がもうちょっと下の方に伸びたような感じ。音色の説明はとても難しい(笑)そうだな・・・ビル・エヴァンスのExplorations(riverside)でのラファロのベース音に近い感じかな。ワークマンもラファロと同じく一音一音をグウ~ンと伸ばすビート感を持つ弾き手だ。このレコードでも「巧いべーシスト」の音色だったが・・・その音量はたぶんペックモリソンよりも小さい。そして、ラウズのテナーのもっさり感には・・・ペック・モリソンの方が「相性」がいいように感じた。
いずれにしても、さきほどのペック・モリソンとはおもしろいように「音」が違う。いや・・・「音が違うことが判る」のだ。そしてそれは、それぞれの奏者にそれぞれの「個性」がある~そんな当たり前のことを、もう理屈ではなく目の前の音から確認できるということなのだ。
2人のベース奏者を比べただけでも、こんな風に「個性の違い」が見えてくる・・・これは面白いですよ(笑)
もちろん演奏の良し悪しや録音の具合によって、その「表われ方」に微妙な差はあるかもしれないが、音量・音圧、そして音色、そんなその奏者の「真実」を、そこにあるスピーカー(の間の空間)から感じとることができるのだ。聴く方には面白いが、演奏者には「怖い」ことだろうなあ(笑)
ちなみに、サックスやピアノは違いが判るが、ベースやドラムだと判りにくい・・・とよく言われるかと思う。管楽器やピアノの場合だと、その主役の吹くテーマやアドリブを聴き込めば(そして身体で覚えてしまえば)音色やら(特徴的な)フレーズなどから、各奏者の違いを聴き分けやすいのかもしれない。その点、たしかにベースが主役のソロイストとして、メロディーを弾いたり、アドリブを弾きまくることは少ない。しかし・・・僕は、ベースやドラムスの場合でも全く同じだと思う。ベースならその(好きになった)べーシストの演奏(ライン)を意識して、ある程度まで聴き続ければ、終いには「その奏者」のクセを身体が覚えてしまいます。そうなれば何かのレコードをメンバーを知らずに聴いたとしても「あれ?この弾き方は・・・」てな感じで「その奏者」だと、判るようになったりします。(もちろん判りやすい奏者と、そうでない奏者がいますが)
そうして、そんな「耳」(意識)になってくると・・・オーディオの「素晴らしさ」そして「怖さ」は、よりいっそう増すのかもしれない。

ベースの音がいいねえ・・・という感想をkonkenさんと言い合っていると、Yoさんが次なるレコードを繰り出してきた。
ソニー・ロリンズ/A Night At The Village Vanguard(bluenote)~UAラベルだったかな?~から softly as in a morning sunrise をかける。
*訂正~このbluenote盤は<RVG刻印ありのリバティー・モノ盤>でした(Yoさんコメント参照)

強烈な引っ張り力でウッドベースという楽器を雄大に鳴らしているであろうウイルバー・ウエア。
そのベース音は、ガット弦の特徴でもある、音色のエッジが丸く膨らみながら低い方に伸びるような音色だと思う。そのウエアの大きな音像が、充分な膨らみを持ちつつ、切れ味ある鳴りっぷりだ。
この曲でのエルヴィンはブラシで通すが、時にアタックを効かせたエルヴィンのバスドラが、コンパクトにドシッ!ドシッ! とすっとんでくる。乾いたいいドラムスの音だ。この頃のエルヴィンは、まだまだ端正な感じだ(笑)
僕は、もちろんこの「ヴィレッジ・ヴァンガード」は大好きなレコードで、以前にも記事にしたのだが、実は、このライブ盤の音については、ちょっとひずみっぽい雑な録音だと思っていた。しかし、このリバティ・ラベル盤は、ドラムもべースも、そしてもちろんロリンズのテナーも、いい具合にすっきりした、そして実にいい音だった。
以前からYoさんの装置では、ベースがよく鳴る。充分すぎるほどの音量・音圧がベース好きの僕にはうれしくなるようなサウンドだった。ただそれがゆえにレコード(その録音バランス)によっては、どうしてもベースが出すぎ・膨らみすぎの感じもあって、Yoさんももちろんそれを自覚されており、今回は、その辺りも調整をしてきたらしい。どこをどうしたとかは、例によって尋ねもしなかったが・・・出てくる音~その低い方から中音・高音のバランスは~さらに「いい方」へ(少なくとも僕の耳には)変わっていたのだ。
「ベースの音色」で言うと・・・低い方での響きの輪郭の広がり具合が2割くらい締まってきて、そのことで、ベースのライン(弾いている音程)が、より鮮明になってきた。「ベースの抜け」がぐんとよくなったのだ。特にウイルバー・ウエアとかジョージ・デュビュビエらの「大きく太く鳴らす」タイプのベースラインが、見事に「抜けた」ように感じる。今、思うに・・・どうやらYoさんは、「ベース音像膨らみの絞り気味調整」~その仕上がり具合を、ベースにうるさい僕に聴いて(聴きとって)もらいたかったのかもしれない(笑)

そして、ベースの音色の輪郭がややスリムになったことで、さらによくなった(と僕が感じた)のは・・・ドラムスなのである。実はベースの低い方とドラムスのバスドラ(右足で踏む大きい太鼓。直径が一番大きいので「ドン!」と低く鳴る)は、実際の演奏においても、わりと「かぶり」やすいらしく、バスドラがドン、ドンと大きめな音量で鳴ると、その瞬間(バスドラの響きの余韻が残っている間)自分で弾いているベースの低音が聞き取りにくくなることがあるのだ。そのバスドラが、以前よりすっきりしてきたようだ。バスドラ、ベースの中低音~その辺りの景色が、霞(かすみ)が晴れたように、クリアに浮かび上がってきたのだ。
そしてなぜか、ハイハット(左足で踏む~シンバル横向きに上下2枚に合わさったやつ。「ッシャ!ッシャ!」と鳴る)の音も、前よりくっきりと感知できたのだ。いや、以前ももちろん聞こえてはいたが、今回聞いたハイハット・・・シンバルの厚みというか・・・重みのある「ッシャ!」になっているのだ。特に冒頭でかけた、Yeah!(ドラマー:デイブ・ベイリー)とこの辺りは僕の錯覚かもしれないが・・・低音域のややかぶり的な要素が取り払われたことで、もともと鳴っていた中高音辺りのハイハットも、より実在感のある「鳴り」として浮かび上がってきたのかもしれない。あるいは、この「ハイハット」については「弦の艶が出てきた」ことと~ちょっと前の「杜」に、そんなコメントがあった~関係があるのかもしれない。
いずれにしても・・・ベースが豊かな響きはそのままに、よりタイトに少しスリムに(このことで、僕などはベースの音色により色気みたいなものを感じた)、しかもドラムスの方もぐっと見晴らしがよくなり、バスドラ、ハイハットもくっきりと浮かび上がる! これは・・・リズムセクションの動き・具合までじっくりと聴きたいジャズ好きには・・・もうたまらなく魅力のある音だったのだ。

~「じゃあ次はちょっと新しいエルヴィンだあ!」とkonkenさんが取り出したのは・・・
Elvin Jones/ Polly Currents (bluenote)liberty から Mr. Jones。
《写真2点はkonkenさん提供

Polly_currents_2 これは1968年だったかの録音で、だいぶエルヴィンの音が荒々しくなっている。テナーが凄い。このレコードには2人のテナー奏者がクレジットされていた。ジョー・ファレルとジョージ・コールマンだ。僕はジョー・ファレルはけっこう好きなので、初期のメイナード・ファーガソン時代のルーレット盤なども聴いていているが、なかなかワイルドな凄いテナー吹きだと感じている。長いソロを取るテナーがジョー・ファレルだろう。どうやらこの曲ではファレルだけがソロをとっているようだ。Polly_currents_label

エルヴィンのドラムス・・・この頃の録音になると、先ほどの1957年録音のコンパクトに締まった音とは、だいぶん違う。まず全体にドラムス(正に複数形のドラムスでないと感じが出ない)の響き全体がバカでかい!(笑)
スネアやらバスドラが、いちいち「ドカン!」「ドカン!」と鳴り響いている。いいんだもう・・・何でも。エルヴィンなら・・・許す(笑)
3人で豪快な鳴りのエルヴィンを堪能しました。しかしこの時代のエルヴィン・バンドのべーシスト~ウイルバー・リトル~は大変だったろうな・・・。さすがにエルヴィンが大きく鳴らしている時には、その響きに隠れがちだったが、それでもあのうねり・あの響きの中で、きっちりと芯のある強い音色が強力にビートを刻んでいるウイルバー・リトルもいいべーシストだ。
ああ・・・今日はベースばかりに耳がいく(笑)いや、耳がいかなくても・・・勝手に身体にベースの音が入り込んでくるのだ(笑)もともとベース好きの僕には、このYoさんの装置は、もう実に極楽なのであった(笑)


さて・・・そろそろ「聴き比べ」をやらねばならんね(笑)とYoさんと僕はゲッツの盤を取り出した。
同じ音源で4種の盤が揃った。
Yoさん~ Stan Getz/Plays(clef:MGC-137) 10inch
Yoさん~ Stan Getz/The Artistry(clef:MGC-143) 10inch
bassclef~Stan Getz/Plays(norgran:MGN-1042) 12inch
bassclef~Stan Getz/~Quintet(clef:EP-155) 7inch

ちなみに「子供キス」のジャケットで有名なStan Getz Playsだが、もちろん10インチ盤の方が古い。
Plays(137)とartistry(143)~こちらの方が元々の「子供キス」ジャケなのだ~の2枚の10インチ盤が発売された何年か後になって、12インチ盤のStan Getz Plays(1042)が出たのだろう。10インチ盤には各8曲。12インチ盤には12曲(137の8曲+143のA面4曲) 収録してある。

このスタン・ゲッツの聴き比べは、少し前に、ニーノニーノさんのBBS「こだわりの杜」の書き込みから浮上してきた話題だった。以下にちょっとその模様を転載します。

No.15098
ハンドルネーム:Yo   (2007.3.8,14:58:03)     
皆さん、ご無沙汰です。
ひょいと見たら10インチと12インチの話ですね。大概は10インチが先かなと思うのですが、Dukeさん、ひとつ下記の3枚の順序を教えて欲しいのです。(乱入すみません。)
Stan Getz Plays (Clef MGC137):Dec.12'52
Artistry of Stan Getz (ClefMGC143):Dec.29'52&Apr.16'53
Stan Getz Plays (Norgran MGN1042):Dec12&29 '52
Norgran12インチ盤が10インチのClef盤2枚をカップリングしてある感じですが、52年12月のセッションだけでまとめてあるので、オリジナルがどうなのか知りたいのです。特にあの有名なジャケがNorgran盤とClef143と同じなのでどちらが先か知りたいです。よろしくお願いします。 

No.15099
ハンドルネーム:Duke   (2007.3.8,16:06:44)     
Yoさん、お久しぶりです。Goldmine Jazz Album Price Guideとw. Bruynicckx著Modern Jazzz Discographyの両方で調べた結果、Clef MGC 137とMGC 143は1953年、Norgran MGN 1042は1955年となっています。NorgranのほうにはApr.16'53のセッションは入っていないようです。Yoさんのおっしゃるように「Norgran12インチ盤が10インチのClef盤2枚をカップリングしてある」ということになります。ご参考になれば。

No.15100
ハンドルネーム:Yo   (2007.3.8,16:49:02)     
Dukeさん、ありがとうございます。
あのゲッツがサックスを抱いて子供のキスを受けているジャケがどちらが先か気になったんです。そうですか Norgran1042は2年も後ですか?12月の早い2つのセッションをまとめてあるので、ひょっとしたらClef143が最後かなと思っていました。・・・良かった。Clef盤大事にします。(笑)・・・でもClef盤のゲッツの音が特別すごいとは思わないので、Norgran1042も聴いてみたいですね。

No.15101
ハンドルネーム:bassclef   (2007.3.8,19:24:31)     
Dukeさん、みなさん、こんばんわ。
10インチと12インチ・・・なにやら面白そうな気配が(笑)Yoさんが挙げられたゲッツの3種、やはり10インチ2枚が先ですか。「子供にキス」のジャケットは、10インチだと[plays]ではなくて、artistryの方なんですね。
>Norgran1042も聴いてみたいですね~
Yoさん、偶然にもそのNogran1042(12インチ)なら持ってました(笑)
以前「関西・杜の会」(Yoさん宅)でもちらっとかけてもらったゲッツのclef・EP盤(time on my handsやらbody & soulなど4曲入り)の音もかなりいいぞ、と思ってるのですが、Norgranの12インチ盤の方も、ゲッツのテナーの音は・・・かなりいいように感じました。もっとも僕の好みのゲッツが、52年頃なので、何を聴いても「よく」感じてしまうのかもしれませんが(笑)
またぜひ10インチと12インチとそれと7インチでbody & soulなど聞き比べてみたいですね。

~こんな具合で、この「ゲッツ・聴き比べ」は、僕自身もものすごく楽しみにしていたのである。1952年のゲッツ・・・僕はこの頃のゲッツがどうにも好きなのだ。どの曲においても、ゲッツがあのマイルドなテナーの音色で吹き始めると、フレーズがどうだとかなど考える間もなく・・・その曲は「ゲッツの唄」になってしまう。もう何をどう吹いても・・・ゲッツなのだ(笑)言わば・・・too marvelous for words(笑)  とにかく素晴らしい。

さあ、その1952年のStan Getz Plays・・・かける順番をちょっと相談した。
やはり時代の新しい方からということで、僕の12インチ盤Playsからにした。どの曲も素晴らしいのだが、どうせならEP盤(4曲収録)にも入っている曲にしよう、ということで、time on my hands を選んだ。 

Dscn1688_11  Norgran盤~ミディアムテンポにノッたピアノのイントロが流れてくる・・・すぐにテーマを吹き始めるテナー。盤質がそれほどいいとは言えないので、多少チリパチが入るが、ゲッツのテナーの音色は・・・くっきりとして充分に鮮度感のある悪くない音だ。ただ、中高音をわずかに強めにしたような感じもあり・・・だから、この12インチ盤でのゲッツのテナーは、ちょっとだけ硬質な感じに聞こえなくもない。というのも、僕はこのtime on my handsを、12インチ盤よりも先にEP盤で聴き込んでいたので、そのEP盤に比べての話しである。

Getz_plays10inch Clef盤~これが「Plays」だよ、と言われると、一瞬、たじろぐが(笑)・・・このイラストのジャケットも、さすがにデビッド・ストーン・・・実にいい味わいだ。なかなかお目にかかれない一枚でもある。裏を見て嬉しくなる。というのは・・・この10インチの裏ジャケットの写真(黄色のゲッツ)が、僕のEP盤と同じ写真だったのだ!

Getz_plays_bGetz_plays_l_2









《10インチ盤3点の写真はYoさん提供》

さあ・・・と同じ曲、time on my handsをかけてもらう。イントロでは、それほど大きな差は感じなかったが、 ゲッツのテナーが入ってくると・・・う~ん、やはりだいぶ違うぞ・・・先ほどの12インチの方がすっきり感のあるちょっと新しめの音とすると、10インチの方は落ち着いた感じで、ややこもった感じもあるが・・・その「こもり感」が心地いいのだ。 ゲッツのテナーが、よりソフトにマイルドに聞こえるのだ。  「ソフト」と言っても、音色がふやけたわけではない。テナーの音色の肌触りが「より木目細やか」になったと言えばいいのか。 そうしてその「マイルド」さは、僕が以前から知っているEP盤でのゲッツの音と同質なものだったのだ。音全体のイメージとしては「温かみと品がある」ということかもしれない。

7inch Clef盤~このEP-15 5は以前にも<夢レコ>に登場させたことがある。ここ、Yoさん宅の10月の集まりの時、第1部の最後にかけてもらった。その時、たしかDukeさんがこう言った・・・「いつものゲッツと違う!」僕の推測では、その「違う」は、よりソフトにキメ細やかに聞こえる、という意味だったのだと、今は思う。7インチ盤は一般に盤質が良くないことが多い。扱い方の問題なのか盤の材質の問題なのかは判らないが、僕のいくつかのEP盤にも盤質のいいものはほとんどない(笑)そして・・・ゲッツのこのEP-155は、うれしいことに、盤質が最高なのである。
Dscn1689このEP盤からの time on my hands は・・・音色の質感はやはり10インチ盤と同じ感じである。そして、もう少しだけテナーの音色に潤(うるお)いが増したようで、そのテナーの音色が、軽く「フワ~ッ」と浮かび上がってくるような感じでもある。う~ん・・・Dscn1690やっぱりこの45回転はいいなあ(笑)

《EP盤~EP-149とEP-155。10インチ盤:Playsの8曲が、この2枚のEPに、4曲づつ収録されている。同じセッションからの音源で型番も近いのに・・・なぜか155の方が音がいい。ゲッツのテナーが、滑らかでクリアなのだ。コンディションの差だけではないように思うのだが・・・不思議である》

もう1枚の10インチ盤~artistryの方からも何か聴こう、ということになり、かけた曲は、A面のthese foolish things。さきほどのPlaysの8曲は、52年12月12日の録音で、こちらのartistyのA面4曲は、12月29日である。録音日はとても近い・・・なのに録音の感じはちょっと違うようだ。Yoさんも僕も、この点については同じような印象を持ったようだ。つまり・・・artistryも、もちろん悪くないのだが、ゲッツのテナーの生々しさ~そんな「気配」のレベルでは、どうも12日の8曲の方が「いい録音」のようだね・・・というような話しをした。 Artistry_1《写真3点:Yoさん提供~この10インチ盤のartistryが、「子供キス」の初出自ジャケットである》 Artistry_b

・・・と、まあ、こんな 具合で会は進んでいくのだった。まだほんの少ししかお伝えしていないが、このままではあまりに長くなりすぎるArtistry_l(笑) だから、とりあえずここまでを「その1」として、ひときりつけよう。いったい「その~いくつ」までいくのだろう(笑)
まだまだお伝えしたいレコードのことや、聴き比べの話しもある。 
次回をお待ちください・・・。

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2007年4月 1日 (日)

<ジャズ雑感 第18回>ランディ・ウエストン。

心情派ピアニストの真骨頂。

前回の<夢レコ>では、ランディ・ウエストンの「独特な何か」についてを書くべく、pretty strangeなる曲を聴いているうちに・・・いつのまにかラウズ話しになってしまった。ああいうタイプの曲が僕の好みだったこともあるだろうが、何よりもあの曲でのラウズの深い音色が、ググッと僕の心に沁みこんできたのだ。そのことに敬意を表しての「ラウズ特集」なのだから、あれも悪くなかったかもしれない。
さて前回、記事中で「ランディ・ウエストンを」と書いてしまったのだが、あんな風に予告してしまうと、却って、聴くレコードを意識してしまったりして・・・精神衛生上、あまりいい具合ではないので、これからは「予告」は止めた方がよさそうだ(笑)

ランディ・ウエストン。だいぶ前から気になるミュージシャンであった。特に彼のレコードを全部集めようというほどではなかったのだが、それでも目についたものを入手していると、いくつか集まってきた。僕としては珍しくも新しい録音のCDも含めて、いろいろ聴いてみると、どのレコードにも一つ二つは、味わい深い曲が入っており、それが何となく心に残ってしまう。僕にとって、ランディ・ウエストンは、そういうタイプのミュージシャンである。そして、ウエストンという人は、やはりとてつもなく個性的なピアニストなんだなあ・・・という想いが強くなっている。

セロニアス・モンク~ランディ・ウエストン~ダラー・ブランド・・・僕の中にはこういうピアニストの系譜みたいなのがあって、なんというかそれは・・・「垂直打ち込み的強打派」とでも言うべきタイプなのである。具体的に言うと・・・このタイプのピアニストは、どちらかというとピアノのキーを左右フルに使ってフレーズを華麗に展開しよう(水平的)というのではなく、全体にタッチの強弱を意識しながら時にはシングルトーンをうんと強く弾き込んだり、また時には和音をうんと重く押し込んだり、またその時のハーモニー(響き)の余韻を聴かせよう(垂直的)というタイプだと、僕は勝手に解釈している。一聴、不器用そうで武骨な感じを受けるピアノだ。黒っぽい心情が色濃く表われるタイプだと言ってもいいかもしれない。
そうして、僕はもう理屈ぬきで、このタイプが嫌いではないのである(笑)

この「黒い心情派」の系譜は、モンクからの流れであり、もちろんその前のエリントンにまで遡(さかのぼ)る。しかしながら、僕はそのエリントンのビッグバンドものを実はあまり聴き込んでない。べーシストのジミー・ブラントンへの興味もあり、1941年録音のAt Fargo などいくつかのレコードを聴いたことはあるが、それ以前のRCAは未聴だし、それ以降のCBSでのエリントン楽団のレコードは mood indigoなどほんの数えるほどしか持ってない。まだまだベン・ウエブスターなりホッジスの名人芸をふむふむと楽しむ~という大人の境地には達していないようだ(笑)

Elligton それでも・・・エリントンのピアノ自体には、やはり感じるものがある。
僕が最初に「エリントンのピアノ」を意識したのは、capitolのDuke Plays Ellington(capitol)である。このレコードは、だいぶ前の<夢レコ>杜の会in白馬~でちらっと紹介したが、再度登場してもらう。緑っぽい色(turquoise:ターコイズと呼んだ方が感じが出る:笑)が、実に品のいいキャピトル盤である。この中にreflection in D なるエリントン曲がある。エリントンというといわゆるジャングルもの?みたいな「濃い」感じのイメージがあるが、このreflection in D という曲など、もう実にモダンなハーモニーと曲調で、内省的・耽美的で深い味わいがあるのだ。

さて、ウエストンのレコード。僕はジャズ聴きの初期にモンクやエヴァンスを好きになったので、ビクターがriversideレーベルの復刻発売を始めた時は、とてもうれしかった。最初の1~2年は、センターラベルが緑色のM字(マイルストーンと同じ)だったが、途中からオリジナルデザインの黒ラベルや白ラベルになっていったように記憶している。同じ頃、米ファンタジー社が発売したriverside や presitge 音源の復刻もの[twofar]と呼ばれるmilestone2枚組シリーズが出回り始めた。そして当時、新録でも再発でも「新譜の輸入盤」の方が国内盤より2~3割は価格が安かったのだ。だから、同じ音源を聴けるのなら・・・安い[milestone2枚組シリーズ]を入手することも多かった。2枚組で2400~2500円ほどだったか。オリジナルの内容そのままの2枚をカップリングしたものが主だったが、一部のものには未発表音源が入っていたりもした。とにかく国内盤1枚分にちょっと足すくらいで、LPが2枚分聴けるので、何かと重宝したのだ。

Dscn167915年ほど前だったか・・・ランディ・ウエストンというピアノ弾きに興味が湧いてきて、まずそのmilestone2LPシリーズのRandy Weston/ZULU というのを入手した。
この2枚組は、riverside音源のTrio & SoloとWith These Hands の2枚の12インチ盤をまとめてあるのだが、オマケの2曲が付いていた。
10インチ盤[Cole Porter in a Modern Mood](全編、Sam Gillなるべーシストとのデュオ)からで、この2曲(1954年4月録音)が長いこと貴重だった。というのは、この10インチ盤は、どういうわけかビクターからも復刻されぬままだったので(1990年にWAVEから復刻された)Dscn1672

この2曲と同じべーシストのサム・ギルとアート・ブレイキーとのトリオセッション~(1955年1月録音)つまり「Trio & Solo」の方に、ウエストン自作のチャーミングな曲が収録されている。
Pam's waltz という3拍子の曲である。
3拍子を「倍」で捉えたようなリズムを、ブレイキーは実に繊細なブラシのタッチでもって、巧く表現している。全編ブラシだけ・・・トップシンバルの音は一度として聞こえない。曲の最後に微かに鳴らしたかな?というくらいなのだ。実は、僕はこのPam's Waltzを聴いた時「ブレイキーってこんなに繊細にも叩けるのか!」と驚いてしまったのである。ブレイキーというのは、いつでもガンガンとシンバルを鳴らしまくる人だと思い込んでいたのだ(笑)とんでもない間違いだった。
このブレイキーの「繊細なバッキング」を聴くと、いつも連想してしまうのが先ほど挙げたDuke Plays Ellington(1953年録音)なのだ。そういえばあれもピアノトリオなのだが、あの中の1曲~passion flowerだったか・・・シンとした静けさを感じさせる趣のある1曲だが、そのピアノトリオでのドラム奏者のバッキングが実に印象的であった。スネアを、おそらく素手だけで軽く叩いている。やはりシンバルは全く使わないバッキングだった。そのドラマーはブッチ・バラードという人である。

Trio & Solo にはトリオ、ソロが5曲づつ入っており、その「ソロ」の方では、意外にもウエストンのオリジナルは1曲だけで、あとは little girl blue、we'll be together again、loverなどスタンダード曲ばかりなのである。自作曲が少なかったためか、あるいはまだモンクほど実績がなかったためかもしれない。ソロピアノでのウエストンは、ちょっと聴くとモンクのスタイルにかなり似てはいるが、スタンダードを武骨に弾くウエストンは、やはり悪くない。「ソロ」の方は1956年の録音なので、録音の感じもだいぶんいい音になっており、ウエストンの「強くて重いタッチ」がよく判る。softnessという曲だけが、ウエストンの自作で情緒的な味わいの悪くない曲だが、まだ「圧倒的な個性」までは感じとれない。
それよりも「トリオ」の方でのスタンダード曲~again。これが実にいい味わいなのだ。うんとスロウなテンポで、この有名なスタンダードをゴツゴツと弾き進んでいく。朴訥な言い回し・・・とでも言おうか。
このagain・・・僕はもう大好きなメロディである。そういえば・・・カーティス・フラーの演奏にも、いい感じの again があったな。
*補筆~このフラーのagain・・・全くの僕の勘違いだったことが判明!フラー名義のBone & Bari(bluenote)なるレコードがあり、その中にagainは入ってはいる。ところが・・・その1曲は、Tate Houston(バリトン・サックス)をフューチャーしたもので、フラーは全く登場しないのである。フラー=バラードの名手という思い込みの強い僕は、あのagainを、フラーの吹くサウンドで幻聴していたようだ(笑)こんな地味な話題に鋭く反応し、またご指摘いただいたブログ仲間のnotさんのジャズ好き度にも驚嘆する僕であった・・・。この件については、このコメント欄でのやりとりもぜひご覧ください。special thanks to Mr.notさん!

「モンクに似ている」とよく言われていると思う。正直なところ僕自身も、ウエストンのサウンドがあまりにモンクっぽいので、「なんだ、モンクの真似じゃないか」ということで、ウエストンのことを「よくない」と考えていた時期もあった。しかし、こうして、1955年1月時点でのこの1曲~againでのウエストンの「自然な唄い方」をじっくりと聴いてみると・・・とても誰かの真似をしてのスタイルだけの演奏には聞こえない。
Peter Keppnews氏の解説によれば「モンクを聴く前から、かなりの部分、モンクと同じような弾きかたをしていた」~Randy Says that he was playing in a style similar in many ways to Monk's even before he had heard Monk~という本人の述懐もある。多分・・・本人がそう言ったとおりだったんだろうと思う。要は、そんな誰それからの影響とかに囚(とら)われずに・・・つまり・・・ウエストンの個性を好きになったのであれば・・・あとはその個性を味わうだけのことだ。僕の場合は こんな具合にウエストンを聴けるように(楽しめるように)なってきた。
もっとも、この「モンクに似ている」というのも、1955~1956年くらいのウエストンのレコード初期においてのみのことなのである。もう少し後の時代になると、個性的な管楽器奏者を起用して独特なメロディを吹かせたり、編成の多い管部隊をアレンジでもって雄大に音楽を鳴らすようなやり方が増えてきて・・・そんな中からウエストン独自の個性みたいなもの~前回のラウズ主役のpretty strantgeみたいな感じの~そんな感じが、どんどん湧き出てくるのだ。実は、前回のラウズの時も、そんな「個性的な味わいのランディ・ウエストンの曲」を軸に、いろんなホーン奏者のことを書いての「ランディ・ウエストン」にしようと思っていたのだが、うまくいかなかった(笑)

ウエストンのレコードは、決して多くない。しかもその多くない作品が、UAやjubileeなど地味なレーベルだったりするので、ほとんどいつも廃盤なのである。どうみても、モンクやエヴァンス、あるいはガーランドやトミー・フラナガンほど親しまれた存在とも言えないように思う。
やっぱり、あの「武骨サウンド」は・・・本国アメリカでも日本と同じように、あまり売れなかったんだろうなあ(笑)・・・というのは、ウエストンには「廃盤」だけでなく「未発表もの」がけっこう多いのだ(笑)録音はしてみたものの、諸般の事情により発売されなかったんだろう。そんな「未発表もの」にも捨てがたいものがあるので、それらも紹介してみたい。

ランディ・ウエストン自身の個性が充分に発揮され始めた(と僕は思う)1959年のUnited Artistsの作品がこのLPだ。
Dscn1654 Little Niles(united artists:UAS-5011)
このレコードは、国内盤を買い逃したまま、長い間、聴くことができなかった。だから、2~3年前にうまいこと、ステレオ盤(青ラベル)を入手した時はうれしかった。この作品は、変則4管編成である。
ジョニー・グリフィンのテナー、レイ・コープランドとアイドリース・シュリーマンがトランペット、それからメリバ・リストンのトロンボーンだ。
グリフィン入りなので、テナー好きの僕としては、テナーをフューチャーしてのバラードものを期待したのだが、残念ながらこの作品にバラードものは入ってなかった。管奏者が4人もいるってんで、アレンジのメルバ・リストンが、律儀に全員に吹かせようとしたのかもしれない(笑)曲によっては一人だけをフューチャーして他の奏者を休ませる~というのもアレンジのうちなのになあ・・・(笑)そういえば、クインシー・ジョーンズは、そういうアレンジが実に巧かった。Dscn1655

little Niles という3拍子の曲がいい。僕がこの曲を最初に聴いたのは、ダラー・ブランドのソロピアノ集(freedom)からだ。いい曲だと思った。ふとした時に、よくこの曲のメロディが浮かんできたりして、だから、その頃からランディ・ウエストンの名前だけは意識していたわけだ。このlittle Nilesという曲は、たぶん、ウエストンの曲の中では最も有名だと思う。このライブヴァージョンでは、わりあい速いテンポの3拍子で演奏されており、途中、テナーとトランペットの掛け合いのような場面もあり楽しめる。
それから前述のPam's Waltz をこのLPでもにも再演している。出足で、管部隊が[ゥパッパパッ/ゥパッパパッ]てな感じで吹く。これをだんだんと弱くしていく・・・なかなか洒落たイントロだ。テーマを弾くピアノの感じは1956年ヴァージョンと同じだが、ドラムのリズムが違う。
この時の演奏では、ドラムが普通の3拍子のノリだ(ドラマーはレニー・マクブラウン) やはり・・・あの「トリオ&ソロ」のPam's Waltz の<ドラムスだけ倍ノリ3拍子>は、ブレイキー独自の工夫だったのだろう。

それとあまり話題になったことはないようだが、united artistsのステレオ録音はすごくいい(と僕は睨んでいる) この作品の録音技師はRay Hallとクレジットされているが、実に気持ちのいい音なのだ。管の音に温かみがあって、なおかつ瑞々しい。ドラムのスネアやシンバルなんかもナチュラルでいい感じだ。ピアノも、きつすぎず甘すぎず、ちょうどいい具合に聞こえる。そしてベースがよく鳴る!特にこの作品では、ベース奏者がジョージ・ジョイナーなので、なんというか・・・凄みのある轟音(ごうおん)が響き渡っている。その迫力あるベース音でもって、ジョイナーが大活躍するのが、B面2曲目の babe's bluesだ(これも3拍子だ) クセのあるベースソロも飛び出てくる。ジョイナー好きの方は、必聴です(笑)

ウエストンは、初期にバリトンのセシル・ペインと共演していたが、その後は、どうやらテナーを好んだらしく、ジョニー・グリフィン、コールマン・ホウキンス、チャーリー・ラウズ、フランク・へインズ、それからブッカー・アーヴィンらを起用している。たぶんウエストンは、どちらかというと「濃い目」のテナー吹きが好みだったのだろう(笑)
というわけで・・・ようやくブッカー・アーヴィンの登場である。
ブッカー・アーヴィンと聞いて「にやっ」とした方は、相当なジャズ好きだろうなあ。あの「ワイルドさ」、あの「濃さ」、そしてあの「くどさ」(笑)一癖も二癖もある役者という感じだ。アーヴィンの吹き方は、ひたすら押しまくってくる暑苦しいものだ。粗野な感じさえする。しかしながら僕は、アーヴィンのテナーの音色自体には、意外にも「知的な新しさ」みたいなものを感じている。彼のテナーの音色はどちらかというと、伝統的なホウキンス~ロリンズ系よりも、もう少し新しめのコルトレーン系に近い、わりとメカニカルな音色だと思う。そのちょっと新しいクールな音色で、長いフレーズをうねるように、粗野に吹き倒す。
そんなブッカー・アーヴィンの個性が、ランディウエストンの世界に見事に「はまった!」と思わせてくれる曲があるのだ。
Portrait Of Vivian(weston作)というのがその曲である。
この1曲は、Rnady Weston/Live At Monterey'66(polygram)というCDに収録されている。1966年のモンタレー・ジャズ祭での未発表ライブ音源で、1993年発売されたものだ。
このライブでは、Ray Copeland(tp),Cecil Payne(bs),Booker Ervin(Ts)という3管編成の分厚いサウンドを聴かせてくれる。約70分の長いライブだったようだが、little niles や african cookbook(組曲風で25分)も演奏されており、1曲ごとにフューチャーされるミュージシャンが変わるので厭きずに楽しめる。録音も、とてもいいように思う。

Dscn1652 このPortrait Of Vivian。ブッカー・アーヴィンがフューチャーされるのだが、この曲、出足はピアノからだ。ウエストンがちょっと変わった弾きかたで~同じ音程を、ちょっとぶち切るように、しかし、鐘のように鳴らすような感じ~スロウなテンポを設定する。トランペットのコープランドが、そのピアノに応えるような吹き方でムードを造ると・・・いよいよアーヴィンが、テナーのうんと高い方の音から吹き始める。
この場面・・・僕はいつもコルトレーンの「ネイマ」を想いだしてしまう。荘厳な雰囲気が似ているともいえる。そういえば、ランディ・ウエストンの創るバラードは、メロディーを伸ばしたままハーモニーを変化させていくような手法が多い。そのゆったりしたメロディを管楽器のロングトーンでもって唄い込ませる~そんな感じだ。そして、ウエストンのバラードには、いつも何というか・・・瞑想しているかのような、荘厳な、そしてメランコリックな感じがする独特の雰囲気が漂っているのだ。
ラウズに吹かせたpretty strangeも、正にそういう雰囲気の曲だった。
ウエストンのバラード曲では、ロングトーンが多い~メロディに長く伸ばすようなノート(音)が多い~と書いたが、アーヴィンはその伸ばした音を、微妙にベンド~ある音程を吹きながら、唇の締め具合で(キーを使わずに)その音程を低く(高く)したりすること~させながら、意図的にその音程を不安定な感じにしているように聞こえる。そしてそれは・・・何かを堪(た)えている人が、咽(むせ)び、叫んでいるかのようだ。アーヴィンはそんな具合にロング・トーンを自在に操りながら、うんとスロウなテンポのまま、このテーマを吹き進む。それから倍のテンポにしてのアーヴィンのソロ。ここでアーヴィンは、独特の「うねりサウンド」を繰り出してくるが、バラードなので、そうムチャクチャにブロウするわけではなく、伸ばす音をうまく使いながら大きな流れにゆったりとノルようないいソロを取る。そして再び、あの荘厳なテーマに戻る。
解説によると・・・この曲を吹いている時、アーヴィンは感極まって涙を流しながら吹いたそうだ。実際、この曲を聴いていると・・・たぶん音をベンドさせている場面が、その「涙」の場面なんだろうなあ・・・と思えてくる。もちろん、こんな解説を読まなかったとしても、このPortrait of Vivian がランディ・ウエストンらしい重みと深さを感じさせてくれる、素晴らしい曲であることに変わりはない。
余談ではあるが、あるミュージシャンの「音色」が好き、あるいは嫌いというのは・・・全く理屈ではなく、やはり「肌合い」が合うとか合わないか、そういう純粋に感覚的なものだと思う。
例えば、ヴォーカルの場合でいえばよく判ると思うのだが、高めの声/低めの声、歌い上げるタイプ/語るように唄うタイプ、皆さんそれぞれに、好みがあるはずだ。「好きな声、嫌いな声」に理屈は要らないだろう。
誰にも、どうにも苦手なミュージシャンがいるだろうし、いろいろ聴いてみて、それでも自分の感性と「合わない」ということなら、無理して聴くこともないだろう。
いや・・・もちろん、ランディ・ウエストンやブッカー・アーヴィンが、そういうミュージシャンだと言うわけではないのですが(笑)

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2007年3月 1日 (木)

<ジャズ雑感 第17回>チャーリー・ラウズのこと。

心に染み込む深い音色・・・それがラウズの唄だ。

妙に好きなレコードというものがある。「妙に」というのは・・・特にそのアルバムなりミュージシャンを大好きだと自覚しているわけではないのだけれども、なぜかレコード棚から取り出すことが多くて何度も聴いているうちに「好きなレコード」になってしまった・・・そんな意味あいである。

ジャズ聴きの初期の頃からモンクをいろいろと聴いてきた。そうしてモンク好きによくあるように、僕もチャーリー・ラウズというテナー吹きをあまりいいとは思わなかった。モンクとそしてモンクの曲と正に対決するように吹いたコルトレーンや、あるいは圧倒的に自分の個性を発揮しながらモンクと対峙したロリンズと比べると・・・モンクとただ共演しているラウズは平坦に感じた。ちょっと「のんびりしたような音色」で、同じようなフレーズを繰り返すものだから、凡庸なテナー吹きという印象を持ってしまったのだ。
<補足>このことについては、みなさんから多くのラウズ擁護コメントをいただき、僕:bassclef もタジタジです(笑) 「CBS時代のモンク」に興味のある方(肯定・否定どちらでも)ぜひ、コメント欄もお読み下さい。長いです(笑)

そういう風に聴こえたのには理由がある。
モンク好きとしては、モンク曲の演奏には、なにかしらスリル感みたいなものがほしいのである。
よくジャズはアドリブだ!と言われている。しかし・・・どの曲でも同じだとは思うのだが、あるテーマが終わって「はい、ここからアドリブだよ」というように、アドリブ部分を普通のバップ感覚でコード通りにスムースに吹き進めていっても、あまりおもしろくないことも多い。 特にモンクの曲においては、テーマとアドリブを切り分けてしまっては、あのユニークなモンクのテーマが生きてこないように思う。
モンク好きとしては・・・テーマ部分でのあのモンク独自のメロディや、あの不思議なタイミング(そのアイディア)のエッセンスみたいなものを、巧くアドリブの中に生かしてほしいのである。
もっともこれは、僕が勝手に思う理想郷(モンク曲解釈としての)であって、それは相当に難しいことなんだろう。
実際、モンクの曲をそんな風に吹いたのは・・・ロリンズとスティーブ・レイシーくらいかもしれない。Dscn1669_1

そんなラウズのことを見直したのは、Takin' Care of Business(jazzland)を聴いた時からである。僕はこのレコードをうんと安いOJC盤で買ったのでそれほど期待もせずに聴いたのだが・・・まずB面1曲目の wierdo という曲がよかった! このKenny Drew作の曲は魅力的なテーマの曲で、かなりの急速調で演奏されるのだが、この曲でのラウズはやけに気合が入っているのだ。ノリのいいテーマの後も、アイディアに溢れるアドリブ展開を見せるラウズは凄い! たいていゆったりとしたテンポで、もっさりとしか吹けないようなイメージをラウズに対して持っていたのだが、この曲でのラウズは違った。それはもう覇気のある見事なテナー吹きだったのである。
そんなラウズに驚いた後・・・思い切りスロウなテンポでやけにメランコリックな曲が流れてくる。それがランディ・ウエストン作のPretty Strange という曲だった。
ランディ・ウエストンが生み出した、正にちょっとstrangeなメロディを、独りラウズが吹いていくと・・・ずし~んと重く沈鬱な感じが漂ってくるのだ。うんとスロウなテンポなので、普通なら、間が持てなくなってパラパラと流すようなフレーズを出してしまいそうなものなのに・・・ラウズは全く動じない。ベースとドラムが淡々とリズムをキープしつつピアノが合間に時々バックをつける中、ラウズは岩のような重さを保ったまま、「メロディを唄う」ことのみに集中しているようだ。ここまで音楽に没入してくると・・・もはやフレーズがどうとかリズム感どうとかいうようなことは問題ではない。
「音色」こそが全てなのだ。
さきほど「のんびりしたような」と書いたラウズの音色が、このウエストンの曲では、これほど深々とした落ち着きのあるどうしようもなく魅力的な音色に聴こえてくる。これはもう・・・全くラウズの世界、そしてランディ・ウエストンの世界だ。それにしても、こんな深い味わいのバラードというのはめったにないぞ・・・。
ラウズがウエストンの曲を好きだったのだろうか・・・このレコードでは、もう1曲、ウエストンの曲を演っている。「204」という曲だ。この曲は、ウエストンのhi fly にちょっと似ている曲調だが、こちらもやはり素晴らしい。チャーリー・ラウズとランディ・ウエストンの相性は、最高にマッチしているように思う。
ちなみにランディ・ウエストンについては・・・次回にでも何か書こうと考えている。

そんな具合に、チャーリー・ラウズという名前が気になってきた頃に、ラウズの「ワン・ホーン」のレコードを手に入れた。
Yeah!(Epic/CBSソニー)である。Dscn1668
このレコードは1973年頃にCBSソニーから1100円の廉価盤として発売されたはずだが、ラウズ=凡庸と思い込んでいた僕が、この盤をその頃に買うはずもなかった。後年、この「Yeah!」にはけっこうな人気が集まったらしく、CBSソニー盤にさえけっこういい値が付いたりしていた。そんな日本盤高騰ブームが去ったある時、このCBSソニー盤を、普通の値段で見つけたのでうれしく入手した。
このレコードではラウズのワン・ホーンで、you don't know what love is や stella by starlightなどのスタンダードを、じっくりと自分のペースで吹いている。モンク曲とは全く別の地平でじっくりとスタンダードをゆったりと吹き進めるチャーリー・ラウズ・・・これも実にいいのである。
この人には本当は「ワン・ホーン」が合っているのかもしれない。
想うに・・・ラウズのテナーには、なんというか実にソウルフルな感じを受ける。ソウルと言っても、いわゆるテキサステナー的な意味合いのソウルではなくて、なんというか・・・深い情感を伴ったある種の敬虔さみたいなものさえ感じ取れる「ソウル」なのだ。
今回、レコードを何度も聴き直しているうちに・・・ますますラウズの音色の深さに引き込まれてしまった。ラウズという人の音色は・・・聴き終わった後にでもじわじわと効いてくるような、そんな地熱のような温かさを持った音色なのかもしれない。
まったく・・・ジャズの世界にはいろんなテナー吹きがいるものだ。まだまだジャズはやめられない。

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2007年2月 1日 (木)

<ジャズ回想 第9回> ロリンズのことを少し。

ライブで見たロリンズのあれこれ。

ソニー・ロリンズ。僕にはどうにも特別な人だ。
ジャズ聴きの記憶をたどってみると・・・テナーで一番最初に好きになったのは、ロリンズではなくコルトレーンの方だった。
それはただ単に、高1の夏に買った「モンクス・ミュージック」というレコードにジョン・コルトレーンという人が入っていたからだったのかもしれないし、ジャズ初心者にとっては、ある意味、コルトレーンの方が「判りやすい」ということもあったように思う。世代的なものかもしれないが、僕など相倉久人の本を読みまくったクチなので、「コルトレーン」を好きにならないわけにはいかなかったのだ(笑)
コルトレーンのジャズは・・・自分が安定して吹けるフレーズを吹いて安定したノリでもっていい雰囲気を出そう、というような世界とは全く異質な「修行ジャズ」の世界だ。だから・・・どのレコードでも、コルトレーンは、常に「格闘」していたのだ。ジャズを好きになったばかりの僕は、コルトレーンのあのもがくようにテナーを吹き進める、そういう求道的な姿に惹かれていたのかもしれない。そしてもちろん、コルトレーンの音色やフレーズには硬質でメカニカルな感じもあり、なんというか・・・器楽的な快感もあった。

1972年の秋からプレスティッジの1100円盤シリーズが発売されたので、そこから、コルトレーンやモンクのLPを集めるようになっていった。ロリンズが入ったレコードを最初に聴いたのは・・・あれは、モンクの「セロニアス・モンクとソニー・ロリンズ」だった。Dscn1592
《1954年録音のthe way you look tonightとI want to be happy収録。the way~出足のロリンズの3音にのけぞる(笑)モンクのピアノソロの後の、ロリンズ節はもう最高だあ!この1954年10月のモンク&ロリンズのセッションではもう1曲:more than you know も吹き込まれており、それは moving out というLPに収録されている。そして、このセッション3曲だけ収録のオリジナル10インチ盤がこれです。この10インチ盤は、音の鮮度もいいとのこと。うらやましい(笑)special thanks to Mr.NOTさん

まず「テナーの音色の違い」に驚いた。コルトレーンの「輪郭が直線的な感じでぐっと引き締まった音色」に対して、ロリンズの方は・・・どちらかというと音色の輪郭が曲線的で、音像自体も「ブオ~ッ」と大きく膨らませたような感じに聞こえた。コルトレーンのテナーの音色に馴染んでいたためか、
最初のうちはロリンズのそんな音色にちょっと違和感を覚えた。つまり・・・僕は1972年の秋に「モンクとロリンズ」というレコードを聴いたわけだが、その頃はまだ「ロリンズは凄い」とは感じていなかったのだ。

1975年にジャズ研に入ってウッドベースを始めたのだが、そこでギターやピアノ、ドラム、それから管楽器にも触ることができた。楽器というものが一気に身近なものになってきた。
アルトやテナーは、マウスピースにリード(葦でできた薄い板。これが振動する)があるので、マウスピースをくわえて息を吹き込めば~音がひっくり返ったりすることはあるが~とりあえず「音」は出る。
ちなみに、トランペットやトロンボーンだと、最初は「音」が出ない。息の吹き込み方以前に、唇の当て方・締め方などに微妙なコツが要るのだ。だから「音」が出るようになるまでの努力ができなかった(笑)
そこで「テナー」である。試しに吹いてみたらすぐに音が出たので、それが楽しくて、時々お遊びで吹かせてもらうようになった。その時、自分でも驚いたのだが、はっきりと自覚できたことがある。
アルトの音よりテナーの方を、だんぜん気に入ったのである。
ごく単純に言えば、アルトよりもテナーの方が、柄が大きい分だけ、音が低めで太い。そしてなぜか音の「抜け」がいい。軽く出てくる。スカッとする。それとこれは正にフィジカルな感覚だが、テナーの低い方の「ド」や「シ♭」を吹いた時、ビリビリと身体に伝わってくる独特な振動が、これまた気持ちいいのである(笑) 
実際、ドヘタでもなんでも(笑)好きな曲のメロディを吹くと・・・とても気持ちがよかった。もともと僕はいい曲のメロディが好きだった。小学校や中学の音楽の時間で聴く名曲も嫌いではなかった。そんな音楽好きとしては、メロディを唄いたかったかのだが、高い声が出ないし息が続かない。いや、それより・・・とにかく恥ずかしい(笑)
ところが「楽器」なら全然、恥ずかしくないのだ。いくらでも唄いたい。いいメロディを唄いたい。僕はそんな気持ちで楽器を始めた。だからウッドベースでも、すぐメロディを弾いてしまう(笑)
もっとも「楽器で唄う」ということは、もちろんそんなに簡単なことではない。
一生懸命に楽譜を読んで、ようやく覚えた運指を、間違えないように慎重に押さえていくだけでは、ただ「吹いている、弾いている」だけになってしまう。
楽器の本当の面白とは、正に「楽器で唄う」ことを目指すことだと思う。

ある「曲」を本当に好きになる。そうすると・・・そのメロディを、アタマの中で何度も何度も唄ってみる。それこそ、鼻歌のように口ずさんでみてもいいだろう。そのうち、そのメロディやコード進行なども、身体で覚えてしまう。「ソラ」で唄えるようになったその「感じ」を、そのまま楽器で出してみたくなる。
そんなことが「楽器で唄う」ためには、ぜひとも必要なことかもしれない。
実際、「決まっている」メロディやコードを覚えるだけでも、なかなか大変なのである。そうして、ジャズのアドリブというのは・・・テーマ(決まったメロディ)を吹いた後に、今度は「決められてない何か」を吹かなくてはならないのだ。コード進行などから、ある程度、考えておいたアルペジオだとかでも、もちろんギクシャクしてしまうものだろう。ましてや、その場でパッと思いついた何らかのフレーズを、ごく自然に「唄うように」吹く、というようなことは・・・これはもう相当に難しいことなのだろう・・・というようなことが、器楽の実感として判ってきたのだ。
そこで・・・ロリンズなのである(笑)
「器楽の実感」を味わった後に「モンク&ロリンズ」を繰り返して聴いていると・・・以前にはそれほどいいと思わなかった the way you look tonight では、ロリンズのアドリブのフレーズが、なにかこう「自然な」感じに聞こえてきたのである。どんどんと湧き出てくるフレーズが実に滑らかなのだ。ようやく僕は、ロリンズのアドリブには、そんな「自然な唄い」が溢れていることに気づいたのだ。
「ぶお~っ!」というあの大きく響く音色にも馴れてきて・・・なによりも「ロリンズの唄」が気持ちのいいものになってきたのだ!
そうなるともう、ロリンズという人をどんどん好きになってしまうのだった。

ロリンズ自身がうんと初期のインタヴューで語ったといわれる「僕は口笛を吹くようにサックスを吹きたい」という言葉は、見事にロリンズのプレイの本質を語っていると思う。「口笛のように」は・・・何を意味しているのか?
人は口笛を吹くとき、「ここのフレーズは音が飛ぶから難しいぞ」などと技法的なことを意識するだろうか? 気分がよくて思わず出るのが、口笛であり、思わず口ずさむのが鼻歌というものだろう。だからそのメロディは知っている一部だけであったとしても、とても自然なものである。「さあ、吹くぞ」という構えたスタンスになるはずもない。そんな風に、いかにも自然に湧き出てくるように「メロディ」を吹きたい。そういう自然な唄をテナーで唄いたいのだ・・・そんな意味だと僕は思う。
ロリンズのこの言葉には大いに共感してしまった。
そうして、そんなロリンズという人の演奏を好きになるということは・・・その「唄い口」の自然さに共感することだとも思う。

もともと楽器というものは、メカニカルなものだと思う。楽器の一番のおもしろさ、そして難しさは・・・そのメカニカルな性(さが)を、しっかりと自分のものとして身体に馴染ませ、そうしてそこから、いかにナチュラルな「自分自身の唄い」を紡ぎだしていくのか、というところにあると思う。そして、ロリンズという人の一番の凄みは・・・そんな「自分自身の唄い」を、本当に自然な感じでテナーサックスという楽器に唄わせていることだと思う。実際、いろんなレコードで聴いたロリンズのアドリブからは分析的なものをほとんど感じなかった。ロリンズは、テナーを自分の「ハナ唄の道具」のようにしてしまったのだ。特にスタンダード曲でのロリンズは、そんな風に聞こえる。

さて、僕はこんな風に判ったようなことを書いているが、しかし僕自身、ロリンズを本当に好きになるのまでには、まだ少々の時間がかかったのだ。
ロリンズという人は・・・テナーという楽器自体を好きな人には、堪えられない魅力のあるミュージシャンだと思う。しかしそうでない場合は・・・レコードからだけでは、案外に「判りにくい」タイプのミュージシャンかもしれない。
ロリンズは、マイルスのようにひとつのバンドを練り上げておいて、一枚のレコードの隅々にまで気を配って「完成されたレコード作品」を作り上げるタイプではない。それより、まず自分がその時、「どう吹きたいのか?」ということだけを意識しているように見える。だから・・・自分の出来はもちろん、サイドメンの出来やレベルによって、レコードの仕上がり具合にムラが出てしまうように思う。
もちろん1950年代半ばから1960年代半ばまでのレコードは、どれも素晴らしい。覇気に溢れたブロウが聴かれるアップテンポの曲や、豊かに唄い上げる渋いバラードが、どのレコードにも入っている。バックのミュージシャンもいいし、なによりロリンズ自身に「ヒラメキ」が溢れている。
それから・・・「ライブのロリンズ」が、これまた別格なのだ。1957年の「ヴィレッジ・ヴァンガードの夜」の、あの溢れ出さんばかりのあのヒラメキのフレーズと唄いっぷり! あれを聴けば、そして好きになれば・・・ロリンズという人が、「ライブの場」で、その本領を発揮するタイプのミュージシャンであることが想像できるだろう。ロリンズは、もともとスタジオで吹き込むレコードからは、その素晴らしさが伝わりにくいミュージシャンなのかもしれない。
逆に言うと、ロリンズという人は、ぜひともライブを見るべき人だと思う。 ひとたびロリンズのライブを見れば、誰しも何の抵抗もなく、ロリンズという人を好きになってしまうだろう。Dscn1582_3

《ヴィレッジ・ヴァンガードでのライブより少し後、1959年のライブ盤。左側が海賊盤のingo盤。右側は、ingo盤と同じ音源からのdragon盤。音質は共に良くないが、最初の2~3曲についてはdragon盤の方がいい。この時のライブは本当に凄い。テナー、ベース、ドラムスというトリオ編成。ベースのヘンリー・グライムスの強力なビート感が凄い。ドラムのピート・ラロカも強烈な個性を見せる。もちろんロリンズは強引なノリで彼らを巻き込んでいく! この3人はおもしろい。3者それぞれに自分を曲げない(笑) ロリンズを相当に好きになった方だけに、お勧めします(笑)》

そうして・・・僕は、ついに「ロリンズ」を見た。そしてこのことは、いくら強調してもいいのだが、本当に不思議なほど、ロリンズという人が「判って」しまったのだ!「ああ、ロリンズって・・・こうだったのか!」と何の抵抗もなく、ロリンズという人を理解してしまったのだ。いや・・・「理解」などという言葉は使いたくない。「判ってしまった」と言う方がより僕の実感に近い。

どうしてあんな風に音が揺れるのか? 
どうしてあのワクワクするようなリズム感を出せるのか?
なぜドラムスとのフォーバースで「くい込みフレーズ」を吹いてしまうのか?

レコードを聴いて感じていたそんな演奏上の疑問みたいなことだけではなく、観衆を前にしたステージで、ロリンズという人間が醸し出す独特な雰囲気や彼の感性みたいなもの・・・そんなもの全てが判ってしまったのである。
音楽というものは、やはり、ある人間が意図を持って、何らかの音を発してて、初めて音楽なのだと、僕は思う。だから・・・その「音」だけでなく、その「音」をどんな表情、どんな姿勢、どんな身体のモーションを使いながら発しているのか? そんなようなことも、何かを表現しようとする姿勢として、とても大事なことなのだと思うのだ。
そうして・・・一度でもロリンズを見た人は、すぐに気づくだろう。
ロリンズという人は、素晴らしい「表現者」なのだと。
そうして、ロリンズという人は「感性の人」なのだと。

ロリンズはノッてくると・・・テナーを吹きながら、ステージを左右、前後に歩き回る。それからサックスを上へ下へ、左へ右へ揺らしながら吹きまくる。
サックスを高く持ち上げたままブロウする時などは、まるで自分の音を周りの空間に撒(ま)こうとしているかのようだ。
ロリンズは、歩き回るだけでなく本当によく身体を動かす。
そうだな・・・
ちょっと前かがみになって、両足を交互に軽くステップしてみたり、
身体を小さく左右に揺らしてみたり・・・
そんな風にして、自分が今、感じているビート感を体現しようとしているのだろう。とにもかくにも、ロリンズという人は・・・その演奏の姿を見ているだけで、こちらをワクワクさせてくれるのだ。

繰り返すが、本当にロリンズは「感性の人」だと思う。
ロリンズの演奏をレコードで聴き、ライブで見ると、つくづくそう思う。
コード進行に沿って合う音を探って分解してそれらを組み立てる・・・なんていう技術的な部分は、もうとっくに超越しているかのようだ。ロリンズのやり方というのは、おそらく・・・ロリンズの心の中でしっかりと消化した、そのスタンダードソングの持つ「唄の雰囲気・表情」みたいなもの、それだけを「きっかけ」として、あとは心の底から湧きあがってくる自分の「唄」を、その場でそのままテナーに吹き込んでいく・・・そんな感じなのだろう。
もちろん、こういうやり方は言うほど簡単ではないと思う。
つまり・・・インスピレイションがひらめいた時とそうでない時の落差がけっこう大きいと思うのだ。Dscn1583

《3枚ともヨーロッパでのライブ海賊盤。ジャケットには1963年:独のstuttgart録音と記されている。こちらはドン・チェリーらと共演。音質はやはり良くない》

ロリンズのライブを、静岡(1979年2月)、東京(1981年1月)、京都(1983年1月)、大阪、名古屋と5回ほど見たが、全てが最高だったわけではない。静岡、大阪ではノリにノッたが、東京と名古屋でのコンサートはあまりよくなかった。もともとロリンズは、曲の構成やらアレンジの部分で聞かせるタイプではないので、「ひらめかない」時には、ずるずるとまとまりのないフレーズを吹き流したり、それから「自分のノリ」が悪いと、すぐソロを止めてしまい、その分、サイドメンにソロを長く取らせたりする(笑)ような場面も、たびたびあったように思う。
そういえば、名古屋の時は、オールスターバンドということで、ロリンズとパット・メセニーとディジョネットのバンドだった。豪華なメンツなのだが、なぜかロリンズはあまりノッておらず、すぐにメセニーにソロを渡す場面が多く、そのメセニーのソロがかなり長くて、その後に今度はディジョネットのソロ・・・という具合で、もっともっと「ロリンズ」を聴きたかった僕は、ちょっとばかり退屈してしまった。  Dscn1587_1

《左はjazz way というレーベルの盤。1985年頃発売。録音は不明だが1963年くらいだと思う。この盤、ドラムスがアート・テイラー。1959年のピート・ラロカとは演奏上、けっこうもめたらしい。多分、この「ライブ・イン・パリ」のツアーの時に、フランスの記者に話したらしいそんなインタヴューの抜粋が、植草甚一のジャズ・スクラップ・ブックに載っていたはずだ。この時のベース奏者は、Gilberto Rovereという人だ。このjazz way 盤はちゃんとした録音だったらしく、音質は海賊盤にしては案外にいい。このトリオ編成も、強力にスイングしている。ロリンズはとにかくベースに強力な人が入っていると、よくノルようだ。それにしても・・・ロリンズほど「テナー・トリオ」が似合うテナー吹きはめったにいないなあ・・・(笑)
右側は1990年発売のmoon盤。1959年:スイス録音とされている音源だ。1968年のコペンハーゲン:モンマルトルでの録音が1曲(sonny moon for two)入っている。 20分もの演奏だ。とにかくワイルドなロリンズが聴かれる。ピアノがケニー・ドリュー、ベースはペデルセンだ。》

じゃあ「ノッた時」はどうなんだ?というと・・・静岡のコンサートで、こんなシーンを見たことがある。
その時、ロリンズは明らかにノッていた。
ステージの最前列まで歩み出てきたロリンズは、テナーの低い方の音を吹きながら、徐々に身体をかがませてくる。そして前かがみになった自分の身体の右側、横後ろの方にテナーを引き寄せた。そうして次の瞬間・・・
ロリンズは、かがませた身体を一気に伸び上がらせながら、同時に引き寄せていたテナーを、ぐう~んと前方に投げ出すようなアクションをしたのである!そう、まるで・・・バケツに汲んだ水をばあ~っと前に撒き散らすような感じで! もちろんその間もテナーからは音が吹き出ている。
投げ出す時は、もちろん「ぶお~っ!」というロング・トーンだ。
これは受けた(笑)
その時のステージでは、角度を変えて2回ほどやったように記憶している。
ロリンズという人にはそんな茶目っ気もあったのだ。
ただ、あれが最初から「バケツ」をやってやろう、というような演出だったとは僕には思えない。自分の音をシャワーのように浴びせさせたい。自分の音楽をみんなのハートに届かせたい。ロリンズの中にそんな気持ちが強いからこそ、音楽の中に入り込んだ時に(ノッた時に)ぱっとひらめいた、ロリンズにとっては自然な動作だったのだろう。
それから・・・2部構成のラスト近くだったか・・・前の曲が終わり、ロリンズはステージ前方に独り立っていた。どうやら次の曲ではバックバンドを休ませるらしい。どの曲を演るのか考えていたのか・・・なにやら上を見上げようなポーズでしばし瞑想するロリンズ。
それからマウスピースを咥(くわ)えると、なにごとか「ムニャムニャ・・・」と唸るような声を発した。ほんの2~3秒だったと思う。そうしてそのまま・・・つまり唸り声を発したままテナーを吹き始めたのだ。時々、ホンカーがやるようなあれだ。その唸り声に混じってテナーが鳴り始めた。ルバート風の(一定のテンポではない自由な感じ)唄うようなフレーズだ。もちろんもう唸り声はない(笑)
ロリンズは、なにかしらラプソディックな感じのするそのフレーズを、しばし楽しんだ後、高い音域の方から低い方へ降りてくるように展開してきた。ああ・・・これは何かのスタンダードに違いないそ・・・でも聴いているこちらには、まだ何の曲かは判らない。
そうしてうんと低い方の音から、あのメロディが始まった。
ああこれは・・・My One & Only Love だ! この時、僕も含めてステージに近い何人かが「ううむ・・・」と唸った(ような気がする:笑)
テナー1本だけでこの曲のメロディを吹き始めるロリンズ。僕はもうこの瞬間、ムチャクチャに幸せな気分になってしまった。もうバンドは要らない、いつまでも独りで吹いていてくれ~!くらいに思ってしまうのであった(笑)
この時は、さすがに曲の途中、サビからバンドが入ってきたかもしれない。Dscn1586_1

左は1974年モントルーでのライブ録音。to a wild roseという小唄風(もともとクラシックのピアノ曲らしい)が素晴らしい。この曲のエンディング前、ロリンズがバックのバンドを止めて、独りだけになる。この唄の「優しい感じ」をゆうゆうと、しかし温かく表現するロリンズ。ようやくインテンポにもっていきバンドが入ってくるところなど、もう最高だあ!観客も感極まって大拍手を送る。これこそ・・・僕がロリンズのライブで知った「もういつまでも独りで吹いていてくれ~!という気分に近い感動を味わえる1曲だ。右側は1965年録音のライブ盤。1978年頃に発表された未発表音源。オン・インパルスのライブ盤という雰囲気。ピアノがトミ・フラ。これも好きな1枚だ。》

ロリンズは、そのサービス精神からか・・・コンサートの終盤になると、よく「モリタート」や「セント・トーマス」や「アルフィーのテーマ」など、自分のヒットチューンを演る。もちろんそれも悪くないのだが、僕などは、ロリンズが演奏するこういう渋いバラードやスタンダードソングを、もっともっと聴きたい!と思ってしまう。
コンサートで「バラード」をじっくりと・・・というのもなかなか難しいのか(というより、ロリンズの考える「楽しませたい」部分にそぐわないのか)ロリンズのコンサートでは、案外「バラード」や「スタンダード」が少ないのだ。それが僕には残念でならない。
ちなみに、その後、何回かのロリンズのコンサートを含めても、My One & Only Love を聴けたのは、この静岡だけだったように思う。
「バケツ」といい、この「バラード」といい・・・やはりこの1979年2月の静岡でのロリンズは、ノッていたのだろう。

こんな風に、ロリンズという人は聴いている僕らを幸せにしてくれるのだ。
本当に得がたい個性のテナー吹きだと思う。
やっぱり僕はロリンズが好きなようだ・・・。

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2006年8月 6日 (日)

<ジャズ回想 第7回>  1975年7月の日比谷野音。

ついに見た動くモンク~「真夏の夜のジャズ」と「ナベサダ」のこと。

大学1年の時、東京へ遊びに行った。7月7日だったかの月曜日、フランス語の講義の後、僕は新幹線に乗った。中学の同級生であるS君と東京駅で、夕方4時頃に(この時代1975年なので、ハガキで~時~分着の新幹線と連絡しておいて:笑)待ち合わせをしているのだ。S君は4月から東京で学生生活を始めていたので、この4~5日は彼のアパートに泊めてもらうことになっていた。
東京へ遊びに行くメインの目的は・・・<真夏の夜のジャズ>である。スイング・ジャーナルの広告か何かで知った<日比谷野外音楽堂で「真夏の夜のジャズ」を見よう>というイヴェントを見るために・・・わざわざ東京まで行くのだ。このイヴェントがその週の木曜日なので、そのイヴェントの前後に2人で東京のジャズ喫茶を回ろうぜ、という大体の計画だった。 いろんなジャズの本や記事で「真夏の夜のジャズ」という映画があるんだそうな・・・ということを知っていた。そしてその映画では・・・
あのセロニアス・モンクが「本当に動いてピアノを弾く」ということも。「動くモンクを見てみたい」(笑)・・・いや、当時は「笑い事」じゃなかったのだ。1975年・・・もちろんまだヴィデオなんて普及してない。高校の授業で使ったオープンリールのヴィデオ・デッキが、かなり珍しいくらいの時代である。
もちろんTVでもそんなジャズ映画を放映するわけがない。だから・・・昔のジャズマンの演奏する姿なんて、普通ではほとんど見られない時代だった。
~モンクは一体、どんな風に「動く」のか? どんな具合にピアノを弾くのか? 本当に「踊る」のだろうか?~
ジャズファンなら誰でも、そんな素朴的な興味が相当に湧いてしまうのだった。実際・・・そういうニーズがあったから、「1本のジャズ映画を日比谷野音で上映する」なんていうイヴェントも成り立ったのだろう。(観客は満員だった!)とにもかくにも僕の「東京巡り」は・・・だから「モンクを見る!」ということが最大の目的だったのだ。だから、事前にS君と何度かハガキのやりとりをして、このイヴェントのチケットを確保してもらうよう頼んでおいた。そうして「確保できた」の知らせを受けてからの、ようやくの「東京行き決行!」だったのだ。僕はもう本当にワクワクしていた。

このイヴェントのチラシを保存してあるはずだ。さっきから探しているが、どうも見つからない(笑)
僕はレコードのチラシ関係は一緒にファイルしてあるのだが・・コンサートのチラシやらチケットは、なぜかバラバラなのだ。
例えば文庫本の間とかそのころ買った雑誌にはさんであったりして・・・それでも案外、どこかにとってあるのだ。それで前に見た記憶をたどると・・・たしかあのチラシは、思わぬ時に発見したのだ。そうだっ!ジャンゴのあのレコードだ!そんな訳で・・・タナの下の方でちょっと苦労したが、ジャンゴのレコードを見つけ出した。75_004_3

そのチラシがこれだ。だいぶ汚れているが(笑)・・・この時、東京で買ったジャンゴの日本コロムビア1100円盤がシュリンク付きだったので、
そのままそのジャケットにはさんでおいたのだろう。

<真夏の夜のジャズ>1975年7月10日(木)午後6時30分開演となっている。入場料は2000円だ。
星降る夜の映像と即興の衝突」という大げさなサブタイトルが付いているのは・・・この映画は第2部、つまりメインの扱いで、第1部は、なぜか「渡辺貞夫カルテット」のコンサートだったのだ。そのコンサートのコピーもすごい(笑)~即興に命をかける男達のライブ・コンサート~
ナベサダは72年夏にネムジャズインで見た。秋にもミニ・コンサート(名古屋のデパートでのオープンイヴェント)で見た。スタンダードを吹いてもモードっぽい曲を演っても、わりとわかりやすいジャズで、僕は好きなミュージシャンだった。このカルテット~ピアノが本田タケヒロだった~まだ組んでから間もないはずだ。当時、FM放送で毎週土曜の夜にナベサダの番組があり、そのFM放送でこのバンドの音は聴いていたように思う。
僕はこの1975年、地元の大学で「ジャズ研」に入り、ウッドベースを始めていたので、それまでレコードで聴いてきたジャズの「感じ」に加えて「演奏の実際」みたいなこと、そんな気配を少しは肌で判りはじめていた。そんな僕が聴いていても、この時のドラム奏者には何か余裕が感じられずあまり巧いとは思えなかった。実際、ナベサダは、何度もドラムの方を向いたり、そばに寄ったりして何やら指示をしているのだった。ある場面では・・・ボサ調の曲が途中から4ビートに変化していった。あれは・・・ボサ風の曲なのに、アドリブの途中で、ナベサダが急に4ビートノリで吹き始めたように思う。すぐさまピアノがそれに気がつき、4ビートのバッキングに変えたのだが、何か変だぞ? どうにもノリが気持ち悪い・・・ああ、ドラム奏者が全くその変化に気付かないようだ。ピアノのソロになっても、ガンコにボサのリズムを死守している。おそらくは特に打ち合わせなどなく、この時の演奏で自然発生的に生まれたアイディアだったのだろう。それにしても・・・である。それで・・・とうとうナベサダがドラムのすぐ右側に行き、右手を上下に振りながら何か叫んでいる。右手のアクションは、間違いなく「4ビート」(シンバルをレガートする右手の仕草だ)を示している。それでようやく・・・ドラマーのリズムが4ビートに変わった。ピアノの本田が嬉しそうにまた長いソロを弾き出した。・・・そんな様を僕はワクワクしながら見ていた。バンドが演奏しながら、あんな風に「リズム」を変えていくことがあるんだ、そしてそれがうまく合わないこともあるんだなあ・・・というジャズの難しさ・おもしろさも実感できた。そんなリズムの「やりとり」~このことをS君にも話したのだが~が自分にも判るようになってきたことが、ちょっとうれしかった。

さて、この「真夏の夜のジャズ」~モンクの出番はわりと最初の方だ。モンクが画面に現れると・・・「ウおおっ!」と静かに観客がどよめいて、拍手もあちらこちらで起きた。(モンク好きとしてはちょっと残念だが・・・後にドルフィが登場した時の方が、明らかに大きなドヨメキと拍手が巻き起こったのだった)モンクはトリオで「ブルー・モンク」を演奏するのだが、ベースがヘンリー・グライムス(だったか?)というのがちょっと珍しい。映画そのものの僕にとってのハイライトは・・・しかし、ちょっと残念なものだった。せっかくのモンクの演奏中(演奏の音は流れている)なのに・・・カメラがヨットやら観客ばかり映しているのだ。半分くらいは「風景」だったように思う。
モンク目当ての僕としては、これはもう・・・相当にがっかりしたものだ(笑)75_006_2

ドルフィ登場の場面では・・・モンクの時よりも大きな拍手が沸き起こった。チコ・ハミルトンのマレットの長いソロと、チコが顔中がもう汗ダラダラになって、しかし目を見開いてドラムを叩き続ける姿も印象に残っている。《今回、この記事を書くきっかけになったparlophoneさんのブログに、この「真夏の夜のジャズ」が、詳細に紹介されている。アニタやダイナの一番いい場面の写真が楽しい》

出口のところでジャズ評論家の野口久光さんを見かけた。たぶん氏は、このイヴェントの監修か何かで関わっておられたはずだ。近くのジャズ関係者の方に「雨が降らなくてよろしかったですねえ・・・」とか話していた。野口久光さんはすごく小柄で、真夏なのにピシッとスーツを着ていた。

この日比谷野音のイヴェントが木曜だった。ということは・・・月曜の夕方から火曜・水曜・金曜と、毎日、どこかに出歩いていたわけだ。S君がその頃発売された「東京ジャズ喫茶~」なる雑誌を持っていたので、あれこれ見ながら~新宿、渋谷、それから吉祥寺にも行ってみたい~行く街と回るコースを考えたりして・・・そんなことがやけに楽しかった。そうしてホントにいろんなジャズ喫茶にも行ったなあ・・・。S君のアパートは井の頭線の東松原だったので渋谷へ出るのが便利だ。だから・・・まず渋谷だった。この頃の渋谷にはジャズ喫茶がいっぱいあった。
道玄坂の小路に入るとまず「ジニアス」、その斜め向かいに「デュエット」があった。少し離れたところに「音楽館」もあったはずだ。道玄坂をの反対側には「メリー・ジェーン」という店もあったかな。それに中古レコード店の「JARO」、輸入のレコードがたくさんあったヤマハ楽器渋谷店もあった。そんな具合だったので、ジャズ好きには全く最高の街だったように思う。
渋谷では、道玄坂の「ジニアス」に何度か寄った。階段を下りると右にドア。入ると・・・奥行きは狭いが左右に細長く拡がった店だった。僕らは一番、左側のスピーカーのまん前へ座った。この店のスピーカーは・・・壁に埋め込まれていて、かなりの大音量でかけていた。僕はジョニー・グリフィンのWay Outをリクエストした。72年にはビクターがriversideを国内発売始めていたので、75年には国内盤が出ていたかもしれない。かけてくれた盤が国内盤だったかオリジナル盤だったかは判らないが、ベースの音が強力に鳴っていたことはよく覚えている。いい音だったように思う。
なぜこんな盤をリクエストしたのかというと・・・モンクにはまっていた僕は、その絡みで、ベースのウイルバー・ウエアにも凝っていたのだ。入部したジャズ研の先輩に「ウイルバー・ウエアが好き」と言った時の、先輩の困ったような顔を今でもよく覚えている(笑)
この「ジニアス」で一番印象に残っているのは・・・ラシッド・アリのドラムだ。スピーカーのまん前に座ったその時、コルトレーンの「ライブ・イン・ジャパン」(東芝)がかかった。どの曲だったかは忘れたが・・・とにかくそのラシッドアリのシンバルの凄いこと!というかやかましいのだが(笑) とにかく絶え間なく叩き続ける・・・「間」とか「強弱」とかあまり考えてないドラムだ(笑) 当時、こういう叩き方を「パルス奏法」とか呼んでいて、要は安定したビートを叩かないやり方で、だから巧いとは思わなかったが、実際のコルトレーンのコンサートで表したであろうこのドラム奏者の「激しさ」だけは、理解できたように感じた。とにもかくにも・・・フリー的な演奏はほとんど聞いたこともなかったし興味がないはずの僕が、約20分くらいは、あのドラム音を至近距離で聞けたのである。(笑)
ジャズ喫茶の「いいオーディオ装置」(たぶん)で聴く「大音量の再生音」というものに、多少の興味を覚えたのはこの時だったかもしれない。

ヤマハ楽器では、1枚だけ輸入レコードを買った。チャーリー・パーカーのライブ盤<Happy Bird> 真っ赤なジャケットでscrapple from the appleが入っているやつである。この盤には・・・18才のジャズマニアとしては痛恨の思い出がある(笑) 僕はパーカーのレコードはそれまで1枚も持ってなかった。ジャズも聴くだけでなく演奏もやろうとしているんだから、パーカーだって聴いておかなくちゃなあ・・・というくらいの気持ちもあったので、何か1枚、と思ったのだろう。75_001_1
このcharlie parker というレーベルは(再発だけかもしれないが)ジャケット裏の表記が実にいいかげんで、表ジャケは「Happy Bird」なのに、裏ジャケには、Charlie Parker/Bird Is Freeなる文字も見えるし、これらLPに入ってなかった収録曲は、ダイアルの音源が混じって表記されているようでもある。版権とかはどうなっていたのだろうか?

この盤は、charlie parkerレーベルの再発(ペラペラジャケットで黄色のラベル)なのだが、A面に~happy bird blues, scrapple from the apple, ornithology, a night in tunigia, bird's nest, cool blues
B面に~I remember april, I may be wrong, my old flame, scrapple from the apple, out of nowhere, don't blame me
と各6曲表記されており、表記の収録時間を足すとA面が26分ほど、B面は36分ほどになるのだ。価格は1400円ほどだったか。これはお徳だなあ・・・と僕は考えたはずだ。 75
当時は・・・レコードを1枚買うのにもいろんな決断要素があった。それこそミュージシャンを決めてどのレコードにするか決めて・・・そしてそういう風に決まってくるまでには・・・まず「価格」(これは今でも同じかあ:笑)、それから「収録時間」も重要だった。特に「パーカーという人」を初めてレコードで聴くので、やはり1曲でもたくさんの曲を聴きたい!と思ったのもムリはない。この盤はビニールシュリンクしてあったので、その場ではラベルまで見られなかった。しかし・・・家に帰ってシュリンクを破り、その黄色のラベルを見ると・・・それぞれ2曲づつしか入っていなかった。もちろん実際の音も2曲づつであった。これにはがっかりした(笑) しかしまあ・・・単純に考えれば、いくらなんでも片面に36分も入るわけがない。
音もムチャクチャ悪いし、もうパーカーなんて・・・という感じだった。
この「Happy Bird」のせいで、僕がパーカーに開眼するまでに、確実に3年は遅くなったはずだ(笑)

渋谷の「ジャロ」にも寄ってみた。むちゃくちゃ狭い階段を下りて左に入り口・・・店内も相当に狭い。その狭い店内にぎっしりとLPが詰まっていた。
壁のかざってあるモンクの「モンクス・ミュージック」が目を引いた。というよりその値段にびっくりした・・・たしか7800円とか8000円だったか。
その当時、「オリジナル盤」の価値など全く知らなかった。ただ国内盤と輸入盤という認識しかなくて、そして輸入盤のメリットは「安い」ことだったのだ。だから・・・こんなモンクス・ミュージックや他の似たような値段の盤を見ても「やけに高い輸入盤だなあ・・・とても買えないや」と思っただけだった(笑)

そういえば、10日の日比谷野音での<真夏の夜のジャズ>の前に、銀座にも寄ったのだった。数寄屋橋辺りを歩いていると
「イエナ書店」が見つかった。ははあ・・・これがよく植草甚一の本に出てくる「イエナ」かあ・・・とか思ってるうちに今度はソニービルが見つかった。地下ににハンターという中古レコード店があるのだ。調べはついている(笑)
ここはけっこう中古レコードが安いので有名だった。スイングジャーナルのハンターの「レコード下取り広告」には・・・オノ・ヨーコのレコードがゴミ箱に入っている写真が載っていた(笑) 当時、要らない!と思うレコードのイメージの代表がオノ・ヨーコだったのだ(笑)
ここでも1枚だけ買う。
ダラー・ブランド/Sangoma(sackville)75_002

ダラー・ブランドは高校の時、もう大好きになってしまい、高2の時、73年2月には、名古屋までコンサートを見に行った。
ピアノソロのコンサートだったが、僕はもうすっかり感動してしまい・・・終演後も楽屋の入り口で30分も待っていたりした。しかし・・・ダラーは裏口から帰ってしまったようで、とうとう楽屋からは現れなかった。この sackville盤は、当時、わりあい新譜に近いソロピアノ集だったはずで、すぐ購入決定したように記憶している。この前に買った独ECM盤のancient africaというレコードが・・・全くよくなかった。ピアノの音がペンペン・キンキンで全くひどい音だったのだ。それに比べれば、このsackville盤はナチュラルなピアノ音で聴きやすい。特にB面は、エリントンに捧ぐ~みたいなメドレーだが悪くない。今でも時々聴く。

この後、S君が(たぶんビートルズへの熱狂から)どうしても帝国ホテルを見ていくぞ、と言い張った。
ついでに中に入りたい、というので、ロビーを横切ったりした。
「ああ、これが帝国ホテルかあ」と感動するS君を、僕は醒めた気持ちで(笑)眺めながら、日比谷公園へ向かうのだった。

《補筆》 このブログ記事をアップした2~3日後、S谷君に出会った。ブログに登場させてもらったことを彼に伝えると・・・本日(8/11)、彼が僕の職場に顔を出し「読んだぞ」と一言。ついでに「おい。ビートルズ(の泊まったの)はヒルトンホテルだぞ」と、こちらの勘違いを訂正してくれた(笑)そうか・・・ビートルズはヒルトンホテルだったのか。それにしても、S谷君。あの夏は、1週間近くも泊めて頂き、しかもこちらのジャズ熱に付き合って、嫌がりもせず、あちこち一緒に歩き回ってくれたなあ・・・。S谷君、改めて・・・ありがとう!

東京にいる間に、S君とは他にもいろいろとジャズスポットを回った。
新宿の「ディスク・ユニオン」~ここでまたまた1枚だけ。それも輸入盤ではなく国内盤だ。3年ほど前に発売されていたが買いそびれていた
ジャンゴ・ラインハルトの1100円盤を買った。この時、同じ曲を収録の外盤があったのだが、迷ったあげく「国内盤」を選んだ。75_003
あれは今思うと・・・everest レーベルのjazz archive というシリーズだったかもしれない。すごく安っぽいジャケットだったことだけを覚えている。                            《この盤に「真夏の夜のジャズ」のチラシを、はさんでおいたのだった。31年間も:笑》

それからピットインの辺りを抜けながら、今度は「ディグ」へ。
ディグでは、少しだけレコードの話しをしていたら・・・すぐさま「おしゃべり禁止です」と注意された。あのときの周りのお客の冷たい視線・・・(笑) ディグは、イスが狭くて硬くて・・・それに肝心の音も、ジニアスと比べるとそれほどいいとは思わなかった。

吉祥寺の「メグ」にも行ったな。駅からウロウロと歩いてなんとかたどりついた。階段を上がって右側にドアがある雑居ビルの2Fだった。
メグでは何をリクエストしたのか・・・覚えてない。音の印象もない。

そして・・・明大前のジャズ喫茶「マイルス」だ。
駅を出て陸橋を渡ってすぐのT字路を左へ曲がってちょいと登ると「マイルス」というジャズ喫茶があった。狭い階段を上がって2Fにあるとても狭い店だった。マイルスのWalkin' がかかっていた。このレコードはそれまで聴いたことがなかった。だから・・・聴いたことのないテナーが聞こえてきて・・・そうするとこのテナーがラッキー・トンプソンという人なんだろうね・・・なんてことをS君と話した。
この「マイルス」には、なぜか居心地のよさを感じて、東松原に近いこともあって、その後、2~3回は寄った。東京2日目の火曜日だったか・・・同じく中学の同級であったI君が、わざわざ甲府から出てきた。この3人でS君のアパートで話し込んだ後、なぜか夜遅くの明大前まで出てきてしまった。マイルスへ寄った後、なぜか深夜喫茶みたいなところで時間をつぶしてるうちに当然、終電はなくなり・・・3人で明大前から東松原まで歩いて戻ったのだ。ひと駅なのでそんなに遠くはなかったが、それでも30分以上はかかっただろう(笑)
この時、I君はなぜか・・・ちょっといいトランジスタラジオを持っていた。何か聴きながら行こうよ、というわけで、そうしたら・・・ちょうどあのジャズ番組
「アスペクト・イン・ジャズ」が流れてきたのだ。そのジャズを聴きながら3人でトボトボと歩いた。多分、深夜の1時からの放送だったと思う。
こんな深夜に東京の住宅街を歩きながら、油井正一の声を聴き、そしてジャズを聴いている~というそのことが強く印象に残っている。

あの7月の夜は・・・もう31年も前のことなのか・・・。それにしても・・・ジャズは、やっぱり素晴らしい。どこで聴いても素晴らしい・・・。

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2006年7月22日 (土)

<ジャズ回想 第6回> またまたオフ回~藤井寺Yoさん宅:再訪記。

青い顔したウーレイ~3人で7時間の聴きまくり。

6月24日(土)ニーノニーノさんの「杜」のお仲間~藤井寺市のYoさん宅におじゃました。今回はリキさんと私bassclefが2人で乗り込んだ。2人はそれぞれ~僕は昨年9月、リキさんは今年の1月に~Yoさん宅の音を聴いており、その「音」を知っている。そして多分・・・その「音」を好きになっている。
Yoさんは、その後もいろいろな調整をしたようで、音がさらによくなっているらしい。そうなると・・・こちら2人は「また聴いてみたい」、
Yoさんは「また聴いてもらいたい」てな具合で・・・この3人の思惑が一致したようであった(笑)

11時前くらいに到着し、すぐ2階のあの「音聴き部屋」へ。部屋に入るなり「ここ、ここ・・・。この雰囲気がいいんだよなあ・・・」とリキさん。
白熱灯の温かみのある、ちょっと落とし気味の照明。これが・・・本当に落ち着く。お酒の好きな方が、ちょっと飲んで「いい音楽」を聴いたら・・・すぐに眠ってしまうだろうな(笑)

まずはこれから・・・とYoさんが、「東京銘曲堂ライブCD」を取り出す。
リキさんもこのCDがお気に入りで、自宅のsonusと「鳴り」の具合がどんな風に違うのか興味があるようだ。
my romance
but beatiful
昨年9月にこの同じ場所で同じCDを聴いた時は・・・元々たっぷりと豊かな音量で録音された(ように聞こえる)このCDのウッドベースの音が~このベースの音像というか音量がかなり大きく聞こえて、だから僕のベースの好みのバランスでいうと~ややふくらみすぎかな?という感じだった。
ところが今回は・・・だいぶん違ったのだ。そのベースの音像がグッと締まり、ベースの弦がビシビシと鳴るような感じがよく出るようになっていたのだ。こんなバランスであれば、「CD」全般に対する僕の不信感も~たいていのCDがベース中心に低音を強調しすぎか?~かなり和らいでくる。
端正にきれいに弾くギターの音色も、よりくっきりと聞こえる。テナーの音ももちろん素晴らしい。3人の音楽、その全体がより一層ツヤヤカになったように感じた。
何をどうしたのか・・・僕にはオーディオ的な細かいことはわからないのだが・・・スーパー・ツイーターの(クロスオーバーの)調整やら、スピーカーの角度やらを、いろいろ綿密にジリジリと微調整を繰り返したようだ。リキさんと僕に見せてくれた「調整メモ」(スピーカーを動かした位置を記録したのか、まるで何かの設計図のような・・・)には驚くやらあきれるやら・・・(笑)
いずれにしても、あの青い顔した幽霊・・・いやウーレイから飛び出てきた音は・・・「きめ細やかな上質な低音(ウッドベース、バスドラ)」「ふくゆかにしかもよく前にでてくる中音(テナーやチェロ、ヴォーカルなど)」という感じか。
だから・・・低音・中音・高音のバランスが、誠にいい具合になっている・・・ように感じた。このCDは3人~テナー、ギター、ベースというドラムレスの変則トリオである。ジャズの強烈にプッシュしてくるドラムのシンバル~例えばエルヴィン~がどんな風に鳴るのか・・・?
興味が湧いてきた僕は「あとはエルヴィンのドラムだね」と言ったような気がする。

そんな風にして始まった今回の藤井寺ミニ杜。お昼とかの間も、軽いものでも聴きながら・・・ということで、Yoさんがソニー・クリスの72年頃の盤からちょっとロック調のものなどを流す。僕はロック調がいまいち苦手なのですぐに厭きてしまう(笑)「もうちょっと前のソニー・クリスを」という僕のリクエストで、67年録音のThe Portrait of Sonny Criss(prestige) からsmileをかけてもらう。このバラード、出だしの部分をクリス一人だけで吹く・・・ソニークリスって、こんなによかったかなあ(笑)と思えるくらに、これはよかった。
録音もいい、と思ったらRVGだった。ラベルは黄緑色だったが、67年頃の盤なので、その黄緑ラベルがオリジナルかもしれない。
「いいねえ・・・」とか言ってるうちに、なんのことはない・・・ちっとも「音」が止むことはない(笑) 結局・・・11時から6時までほぼ7時間ぶっとおし、という怖ろしくも楽しい会となったのだ(笑) 

以下、かけたレコード・曲と、僕の勝手な感想を少し。
*デジカメはやはり持っていかなかったので、Yoさん、リキさんのオリジナル垂涎盤の写真はありません。この日、かかったレコードで僕が持っているものは、ジャケット写真を載せました。国内盤がほとんどです(笑)Yo_008_2

《写真は、fantasy custom盤》

Johnny Griffin/Kelly Dancers(riverside)
オリジナル盤(モノラル) と WAVE盤(ステレオ) から black is the color of my true love's hair
オリジナル・モノラル盤~グリフィンのテナーの中・高音域がややきつすぎというか、堅く感じる。リキさんも「ちょっときついかな・・・」と一言。しかし、テナーやベースがぎゅ~っとつまった、そして入力レベルが高そうなモノラルならではの密度感は凄い。                   「迫力ある音」が好きな方なら、やはりモノラルを選ぶだろう。
続けてかけたWAVEステレオ盤~モノラル盤だと、ロン・カーターのベース音が大きすぎて僕には「迫力がありすぎ」て、なにか違うベーシストのように感じたが、このWAVEステレオ盤でのロン・カーターは、右チャンネルからのちょうどいいくらいの音像で、テナーもぐっとまろやかになった。音場全体がすっきりとして、とても聴きやすかった。僕はもともとリヴァーサイドのステレオ録音が好きなので、余計にそう感じたのかもしれない。
WAVE盤は・・・クセのないマスタリング(だと思う)が、ある種、うまく録音されたcontemporaryでの楽器バランスに近い味わいがあるようにも思う。そうしてこの「バランスのいい誇張のない楽器の音色」を、Yoさんのシステムで実際に鳴らされると・・・Yoさんが以前から、「WAVE盤の素晴らしさ」を力説していたことにも、充分に納得がいくのだった。

Heren Merrill/Merill at Midnight(emarcy)から black is the color of my true love's hair(グリフィン盤と同じ曲です)と lazy afternoon
裏ジャケットに、若くてかわいい感じのメリルが写っている。たまに聴くメリルは実にいい。
続けて、ティナ・ルイス(concert hall)から1曲(曲名失念)
あの色っぽいジャケットから想像されるとおりの色っぽい唄い方・・・そして案外、どの唄もしっかりと唄っている。
モンローの唄~あのコケティッシュなキャラクターを演出している唄い方(嫌いじゃないのですが:笑)の色気の部分を半分くらいにして、あとの部分を
しっかりと唄いこんでいる感じ・・・女優さんとのことだが、唄は巧いのである。ちなみに、ティナ・ルイスは、例えば普通のポピュラー風オーケストラLPのジャケットに、モデルとしてその姿が登場しているだけでもかなりの価値があるらしい。ティナ・ルイスかあ・・・。

お昼前くらいに、少し軽いものを・・・ということでベニー・ゴルソンとフレディ・ハバードの「スター・ダスト」(82年だったかの録音)をかけた時、トランペットのピッチやら音程の話しになった。その流れでベーシストとしてはあまりピッチのよくない(であろう)ジミー・ギャリソンのベース音がが大きく捉えられているあのピアノトリオ盤~
Yo_004 ウオルター・ビショップJr/~トリオ(キングが出した時の国内盤)からsometimes I'm happy を聴く。このレコード、録音自体はあまりよくない。
ベースの音も大きいことは大きいが、「響き」の成分が少ない、右手で弦を引っ張った「近くで録られた」感じの音だ。ピアノの音も同様でもあまりいい音とは言えない。Yoさんに指摘されるまでは、この盤・・・それほど ピッチの事を気にしたことがなかった(笑)   《上の写真~左はキング盤。右は西独の1989年の再発盤》

だいたいがギャリソンを好きなので、多少ピッチが悪かろうが、ただ「ギャリソンが弾いている」という認識でしか聴いてこなかったようだ(笑) それからベースの音程もたしかによくないのだが、この盤では、ピアノ自体の調律がだいぶんおかしいようにも聞こえる。高音域の方がちょっとフラットして、なにか全体に「ホンキートンクっぽい」ピアノサウンドではある。
ピッチのズレうんぬんはともかく、人間が何かを聞く時、「あばたもえくぼ」的なことや「意識してない部分は、鳴っていても聞こえない」的なことと、それから、その「気になる部分」はこれまた各人で様々な局面があるのだなあ・・・というようなことを、再確認したことではある。

Tenor Saxes(norgran)
The Consummate  of  Ben Webster(norgran) から同じ曲:Tenderly
これは前回のミニ杜(マントさん)でも味わったが、全く素晴らしい音質の盤。同じNogranの貴重盤なのだが、なぜかオリジナルのはずの
Consummate よりもTenor Saxes の方が、はっきりといい音なのだ。テナーはもちろんピアノやらべースも明らかに鮮度が高い。不思議な盤である。

この後、Yoさんセレクトによる「ロリンズ特集」
Sonny Rollins/Saxophone Collosus(オランダ盤)から you don't know what love is
Way Out West (in stereo 盤)(緑ラベルステレオ盤)からway out west
Contemporary Leaders から how high the moon と the song is you
The Standard(RCA Victor) から my one & only love
Sonny Meets Hawk(RCA Victor)  から summer time
milestone all stars から in a sentimental mood

そして Harold Land/in the land of jazz(contemporary) から you don't know what love is
これはハロルド・ランドというテナー吹きの快演!あまり知られてないレコードだが(僕も未聴だった) このバラードは、品格がある端正ないいバラードだった。Yoさんいわく・・・「ロリンズのyou don't know よりいい」 この意見に僕も異論はなかった。ハロルドランドというテナー吹きも実にいい。Harold_land_fox

<補足>そういえば・・・Yoさんと最初にジャズの話題で盛り上がったのも、このハロルド・ランド話題であった。同じcontemporaryにはランドのいい盤がいくつもある。Carl's Blues~ランドが「言い出しかねて」をじっくりと吹き上げる~というのもいい盤だ。それから The Fox もいい。これは僕が、ランドの良さに開眼したレコードだ。   《写真上がFox。録音もいい》

Yoさんのシステムではもともと「よく鳴る」contemporary盤が続く。Yo_005_1
《右の盤は残念ながら国内盤・・・キングGXC3159。それでも充分に音がいい・・・と強がりを:笑》

Hampton Hawes/For Real から hip
どの楽器も素晴らしい音を発しているのだが・・・それでもやはり・・・ラファロのベース音!音圧・強さ・しなやかさ、そしてテーマ部分で、「ぐう~ん」とベースの音程を高い方にスライドさせる驚異の技!(右手で弾いた直後に左手で2つの弦を押さえている(ダブルストップという)その力を、ある程度残したままスライドさせているのだと思う) それからホウズのピアノタッチの躍動感、さらにハロルド・ランドの端正で案外にハードボイルドなテナーの音色、そうしてフランク・バトラーの切れの良さ・・・全てが素晴らしい。
最高の演奏と最高の録音を、まさに眼前で実感できたような気持ちのいい瞬間だった。
「演奏」の快感と「音」の快感が同時に味わえる~そんな感じだった。
それにしても・・・この盤はcontemporaryの中でも最高峰の録音だと思う。

JR.monterose/The Massage(jaro) ~この希少レーベルの青白のラベル、初めて現物を見ました。
Violets for your Furs~モンテローズは、やはり素晴らしい。好きなテナー奏者だ。なんというか「唄いっぷり」の
スケールがとてつもなく雄大なのだ。
じゃあ同じ曲を別のテナーで聴こうか・・・てな訳で、

Yo_006_1 Jutta Hipp/緑色のジャケのやつ(bluenote:liberty ラベル)から Violets for your Furs 
~liberty ラベルでも充分にいい音だった。このモノラル録音でのベース音(アブダリマリク)も、とても大きく弾むような豊かな音で入っていた。
《写真上は東芝国内盤》   こちらの「音像のでかさ」は、先ほどのロン・カーターの場合とは違って、僕にはそれほど気にならない。なぜかというと・・・
(もちろん推測だが)ウイルバー・ウエアやマリク、それからミルト・ヒントン、トミー・ポッターというタイプの場合は、もともと彼らがウッドベースから引き出す音が、「輪郭の大きな響きの音」のように思うからだ。使っているウッドベース自体が大きめのサイズだったり、弦の種類が羊弦(現在ではスチール弦が多い)だったり、右手の弾き方(はじきかた)などで、たぶん出てくる音像は違ってくるものだと考えられる。
これらのタイプと対照的なのは、もちろんスコット・ラファロ、リチャード・デイヴィス、ゲイリー・ピーコックやペデルセン(初期の)などである。
ウイルバー・ウエアの「音像の拡がった大きく響く音」と、ラファロやピーコックの「シャープにしまった音」とは・・・どうです?あきらかにタイプが違うでしょう。もちろん、どちらがいいとか悪いとかの問題ではないのだが・・・困ったことに僕は、どちらのタイプのベーシストも・・・大好きなんです(笑)

Zoot Sims with Bucky Pizzarelli(classic jazz)1976から what is this things called love
~ピザレリのように、ギター一丁で、バッキングの和音から、しっかりしたしかもノリのいいリズムまで出してくる名手がいたのです!
ギターソロでもコード(和音)中心のソロで、そのコードのパターンを、微妙に変えながら厭きさせない。そして、それまでのビート感を決して崩さない。
インテンポ死守!である。というより、さらにビートをなめらかな流れにしているようでもある。サックスとギターだけのデュオなので・・・ギターソロといってもギター独りだけになるわけで、その「ギター1台キリ」でのこの名人芸・・・ため息が出てしまう。

ここで、僕が持ってきたヴォーカル盤を2枚。Yo_001

Irene kral /better than anything(ava) から it's a blue world と this is always
この盤は大好きなのだ。アイリーン・クラールは、アン・バートンの次に好きになった「声」なのだ。フレイジングがちょっと個性的だがリズム感がすごく伸びやかで何を聴いても心地よい。好きだ。

tony bennette/cloud 7(columbia) からI fall in love too easily Yo_003

この盤には初期のベネットのジャズ魂が溢れている。チャック・ウエインのコージーなアレンジ、小粋なビート感、そしてベネットの若々しいあの「声」~僕がベネットを好きなのは、ベネットがあの「声」だからかもしれない(笑)この「クラウド7」は、ジャケットもなかなかいい雰囲気ではある。リキさんもジャケットは気に入ったようだ。

次に僕のリクエストでモンクのソロピアノを。thelonious monk/Alone in San Francisco から remember と everything happens to me        続けて brilliant corners。ここで・・・リキさんはやや苦しそう(笑)

そこで、次にリキさんセレクトのクラシックをしばらく続けた。
グルダ/バッハ:Goldberg Variations(columbia)
キャサリーン・バトル 歌曲
ミュウシャ・マイスキー(グラモフォン3LP)からバッハ/無伴奏チェロ1番
ベルリオーズ:幻想交響曲
モーツアルト:39番
モーツアルト:ハイドンのために創ったという弦楽四重奏~こういう四重奏は、(僕は)ステレオ録音が楽しい。右からちょっと内よりにチェロが聞こえるなあ・・・と思ってたら、リキさんがジャケットを見せてくれた。
そのジャケットに4人の奏者の演奏風景が写っており、チェロ奏者が右から2番目だ。その立ち位置・・・いや、座って弾いてるから「座り位置」か)とおりの定位で聞こえる。リキさんとしては、左右への広がり具合がありすぎるらsく、「もうちょっと4人が内側に近づいてほしい」とのこと。そういえばジャケットの4人はかなり近づいて、こちらを向いて座っている。その4人の中央辺りに、やけに長い「マイクの塔」みたいなのが鎮座している。
僕はまだクラシック自体にほとんど馴染みがないので、「弦楽四重奏」というものもそれほど聞いた経験はないのだが、「チェロ」が入っているとすごく聞きやすい。自分でも気がつくと「チェロを主体」に聞いているのだ。ジャズでも「ウッドベース」から聞いていく。ベースという楽器に相当に馴染んでしまっているので、どんな音楽を聴いても・・・底辺の組み立て、みたいな部分にどうしても興味がいってしまうのかもしれない。

Marty Paich/The Broadway Bit (warner brothers:ステレオ金色ラベル) から I've grown accustomed to your face と I've never in love before
ラファロのベース音は~このワーナー盤では録音自体がややエコー強めのためか~For Realと比べると、やや輪郭が甘く聞こえるが、
ビート感、音圧、ソロ、全てが素晴らしい。

Al Cohn/Cohn On The Saxphone(dawn)
dawnのオリジナル盤は、乾いた感じのやや固めのテナーの音。 バラード曲が多く、コーンがじわじわと吹きこむ地味だけどこれはいい盤だ。

Bill Evans/you must believe in spring からthe peacocks。続けて同じ曲、
Yo_007

Jimmy Rawles/The Peacocks(columbia) から the peacocks
最後に聴いたこのジミーロウルズの盤は、1971年の録音で僕はCD(ソニーのマスターコレクション)で聴いていて、中でもこのthe peacocksが、凄く好きになってしまった。ロウルズとスタン・ゲッツのデュオ演奏だ。全編にしみじみした情緒が流れているのだが、最高に「詩的」な場面が最後にやってくる。ゲッツが最後のテーマを終えるところで・・・(もう吹く息は、切れているのに)サックスのキーを「パタパタパタ・・・」としばらく鳴らしているのだ。どう聴いても・・・孔雀が飛び立つイメージにつながる。僕は、この粋なアイディアが事前に準備されていたとは思わない、いや思いたくない。ゲッツが息をきらす、まさにその瞬間に、「パッ!」と閃いたのではないだろうか? ジャズは素晴らしい・・・だからまだ止められない。

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2005年11月13日 (日)

<ジャズ雑感 第11回> ジャズの廉価盤シリーズとその発売小史:A面

1972年秋、ジャズの廉価盤~宣伝用の小冊子・チラシの楽しみ。

1971年、中3の時からジャズを聴き始めた。LPレコードの当時の2000円というのは、今なら5000~6000円くらいの感覚だろう。だから、そうそうLPレコードなんて買えやしない。だから、最初の頃は、とにかくFMラジオのジャズ番組がたよりだ。カセットテープにどんどん録音して、何度も聴き返した。それでも72年春頃から、テープで聴いてすごく気に入ったモンクやマイルスのLPを、少しづつ買い始めたのだ。そんな72年の秋に、「ジャズ廉価盤」が発売された。僕はこの「廉価」を「レンカ」と読めずに、長い間、間違って「ケンカ」と呼んでいた(笑) そうして・・・1972年は・・ジャズの「ケンカ盤」ブームの年だった。このビクターがキッカケとなって、各社から続々とジャズの名盤が発売され始めたのだ。たいていは、1回の発売で10~20タイトルで、それを何回か続けていったように記憶している。2~3年の間に、1200円、1300円、1500円と、じわじわと値上げしつつ、それでも各社から相当なタイトルが発売されたように記憶している。
9月からの年内に発売されたシリーズは以下。たぶん、全てが限定盤だったはずだ。(  )内がシリーズ名で~以下が宣伝文句だ。

1.日本ビクター 1100円盤シリーズ(prestige jazz golden 50)
~50年代ハードバップの”幻の名盤”20枚~
72年9月5日発売。コルトレーン/コルトレーンなど20タイトル。コルトレーンやロリンズ、モンクの主要盤以外にも、ジジ・グライス/セイング・サムシング や ベニー・ゴルソン/グルーヴィング・ウイズ・ゴルソン など渋いタイトルも出ている。

僕は、自転車で「街」(豊橋の駅周辺のことを「街」と呼んでいた:笑)まで出かけ、レコード店から、こういう「廉価盤シリーズ」の小冊子やパンフをもらってきて、解説を読んでは、「次は何を買おうかな」とかの作戦を巡らしていた。ビクターのプレスティッジ/1100円廉価シリーズは、「オリジナル通りの復刻」というのが「売り」だったので、裏解説もオリジナルの写しで英語のままだった。それまでの国内盤はジャケ裏が「日本語の解説」という仕様が多かったのだが、そうじゃない場合には、中に「解説書」がつくのが普通だったのだが、この「ビクター1100円シリーズ」では、中の解説書も一切付いていなかった。「オリジナル通り」というより、コストを抑えるためだったかもしれない。その替わりに、発売タイトルを特集したような「小冊子」をサービス品として、レコード店に配布していたようなのだ。1枚買えば、この「小冊子」を付けてくれた。同じ小冊子がスイング・ジャーナルにも付録として付いていたはずだ。その小冊子がこれだ。

jazz_catalogue_001(左の写真の右下:コルトレーンの表紙のもの)

この小冊子には、20枚の発売タイトルの紹介だけでなく、プレスティッジレーベルに関する、ちょっとしたこぼれ話しや、幻の名盤的な情報などおもしろい記事も多くて、それから7000番台、8000番台のリストも付いていた。 jazz_catalogue_003

この prestige jazz golden 50シリーズは、50と銘打ってあるので2~3回に分けて発売する予定だったのだろうが、初回20タイトルが思ったより売れなかったためか、あるいは、途中で版権が東芝に移ってしまったためか、いずれにしても、この20タイトルで終わってしまった。しかしビクターはなかなか良心的だった。というのは・・・76年か77年頃に、版権が再びビクターに戻った際に、普通の価格ではあったが、相当数のタイトルの復刻を再開したのだ。その際の「小冊子」がこれだ。jazz_catalogue_002

(写真右:右下の横長のもの)65ページも
ある、なかなかの豪華版カタログである。
スティーブ・レイシーの「エヴィデンス」やら
ウオルト・ディッカーソンの「トゥー・マイ・クイーン」など、気になるタイトルが復刻された
ようだ。

2.日本コロムビア 1100円盤シリーズ(jazz historical recordings)~輝かしいジャズの歴史の1頁がここにある。クリスチャンが! ロリンズが!~ 
72年11月発売。ロリンズ/ソニー・ロリンズ・プレイズ など。これは、periodやeverest という当時は全く珍しいレーベル原盤の復刻シリーズだった。コロムビアも小冊子を作った。廉価シリーズだけでなく、ルーレットやルースト、MPSなどの所有レーベルの発売タイトルを紹介した総合カタログ(72ページ)のようなものだった。(一番上の写真:左のもの)
僕はロリンズやモンク入り?のチャーリー・クリスチャン、ジャンゴ・ラインハルトなどを入手したが、サド・ジョーンズ/マッド・サド ジョン・ラポータ/モスト・マイナーなど渋い盤も発売されている。この2枚は、一時期、国内盤の廃盤人気が高かった頃に、かなりの値段まで上がったように記憶している。
「ロリンズ・プレイズ」は、ヴィレッジヴァンガードのライブの翌日の録音ということで、A面3曲のみだが、どれも素晴らしい。<sonny moon for two>では、アイディアに満ちたアドリブで、余裕のロリンズが聴ける。 ちなみに、サド・ジョーンズ/マッド・サド~この中にエルヴィン参加セッション、3曲が入っている。

3.日本フォノグラム 72年12月5日発売。
1100円盤シリーズ(フォノグラム1100コレクション)~ジャズレコードのイメージを変えた全く良心的企画!~
 キャノンボール・アダレイ/イン・シカゴ や ジェリー・マリガン/ナイト・ライツ など10タイトル。

”全く良心的”という表現がおかしいが、要するに、中の解説書も付いてますよ、ということだったらしい(笑)

73年になると、CBSソニー/1100円盤、テイチク/メトロノーム1200円シリーズなども出たと思う。キングのコンテンポラリー復刻は、もう少し後だったように記憶している。

少し経った75年にビクターが「リバーサイド・オリジナル・シリーズ」を開始した。これは廉価の限定発売ではなく、2200円の通常シリーズだった。この2~3年前からモンクやエヴァンスを好きになっていた僕は、その頃、出回っていた abc Riversideの茶色の環っかラベル盤や日本ポリドールからの数少ないリヴァーサイド盤を何枚か入手していたので、リヴァーサイドというレーベルには、もう興味深々だったのだ。
ビクターは、このリヴァーサイド発売時にも、お得意の小冊子を配布した。これも入手している。(右上の写真:右上のもの)
この「リヴァーサイド小冊子」が、「Riverside best selection 100」 と題した32ページもある素晴らしいものだった。
jazz_catalogue_004モンクやエヴァンスの主要盤だけでなく、他にも地味だが内容のいい(あとになって、それがわかってきた)それまで日本盤未発売タイトルの写真と、詳しい解説が載っており、リヴァーサイドの資料としての実用性もあり、とてもありがたかった。オリン・キープニューズという名前を知ったのもこの小冊子からだ。

CBSソニーも、発売タイトルのカタログを兼ねたような小冊子を1年ごとに作っていたようだ。(一番上の写真:真ん中)

これらの小冊子は、コストがかかるので、どのシリーズでも作られた訳ではない。フォノグラムとかテイチクとかは「チラシ」だった(笑) スイングジャーナルとかをチェックすると、たいてい翌月に発売される「~シリーズ」とかの宣伝が載ってる。それそ覚えておいて、発売ちょっと前にレコード店に行くと、たいていは、こういうチラシがタナの上とかカウンターの下とかに置いてあるのだ。ジャズファンなんて、日本中集めても、ほんとに少ないのだろう。どのチラシも、なかなか減らないようで、発売後にもダラダラと残っていた(笑) 

こんなチラシの類も集めた。もちろんレーベルの資料としても欲しかったのだが、どちらかというと・・・とても全部のタイトルは買えないので、せめて「チラシ」のジャケット写真でも眺めていたかったのだ。(笑)

これら「チラシ」にも、眺めているだけで、なかなかおもしろいものが多い。チラシについては・・・ビクターやコロムビア、それから、CBSソニー/1100円盤、テイチク/メトロノーム1200円シリーズ、フォノグラム/マーキュリージャズ1300円シリーズなどを、この「ジャズ廉価盤シリーズとその発売小史:B面」として、いずれ紹介するつもりだ。
ジャズレコード・・・まだまだ未知の盤がいっぱいだ! 

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2005年9月15日 (木)

<思いレコ 第5回> Cal Tjader/Tjader Plays Tjazz(fantasy) そして、ソニークラークのこと。

ソニー・クラーク~いさぎよくて、キレのいいタッチ。

ソニー・クラークのピアノには、「思いつめたような何か」を感じるのだ。そうして、それこそが、ソニー・クラークの魅力なのだと思う。もちろん僕にとって。
最初にソニークラークを聞いたのは、というよりパーソネルにソニー・クラークという名前を発見したのは、ロリンズの「サウンド・オブ・ソニー/riverside」だった。(僕の手持ち盤は、米マイルストーン発売のtwofer という2LPシリーズで、freedom suite と sound of Sonny のカップリング) その時は、「ああ、ソニー・クラーク・・・よく聞く名前だなあ」と思ったのだが、そのレコードからは、彼のピアノに特に強い印象は受けなかった。ロリンズの方ばかり聴いていたせいかもしれない。なにしろその頃の僕は、ピアノといえばモンクとエヴァンス、テナーでロリンズ・・・ほとんどこれだけだったのだ(笑) この極端に個性の異なるジャズピアニストを両方好き、というのも、おかしいといえばおかしいかもしれないが、「自分だけのスタイルを持っている」という点では、圧倒的に共通している、とも言える。ロリンズ好きだがゲッツも好きだ。エルヴィンを大好きだが、トニーだって好きだ。ドルフィーを聴いた後に、ハル・マクージックを聴いたっていいじゃないか。
スタイルの異なるミュージシャン、あるいは「ジャズ」「ロック」「クラシック」など異なるジャンルを同時に好きになること。このへんのことは・・・好きな食べ物にたとえると~これはだいぶ前に、何かの記事で読んだような記憶があるのだが~けっこう納得できるかもしれない。例えば~ロックを「肉料理」、クラシックを「野菜料理」、ジャズを「めん類」としよう。「めん類」が好きなあなたは、主に「うどん」を好むが、「ソバ」も好きかもしれない。たまには「きし麺」だって食べるだろう。「フォー」や「ビーフン」だってめん類に入れてもいいのだ。こんな具合に、「めん料理の種類」を「ジャズのスタイル」に当てはめれば、次は、「個々のミュージシャン」だろう。「てんぷらうどん」「鳥南蛮」「玉子とじ」・・・いくらでもある。いや、俺は絶対に「素うどんだ!」とか(笑) 

この15年ほど前から、いわゆるウエストコーストものも、好んで聴くようになっている。長い間、黒人ハードバップ系だけを聴いてきて、ウエストものに目覚めるまでにちょっと時間がかかったのだが、チェット・ベイカーやバド・シャンクの「個性」に出会い、それを好きになったことがキッカケだ。ジャズは「個性」を聴く音楽だと思う。そして、その「個性」があなたに合うか合わないかは・・・ジャズ雑誌の評からではなくて、自分自身が聴いて決めればいいことだ。要は・・・「いろんな人間を知ること」だと思うのだ。 

さて、ソニー・クラーク。ブルーノート時代のクラーク・・・もちろん悪くない。特に57年~58年の録音は、どれもいい。僕が特に好きなのは、モブレイとのレコードである。クラークのイントロで始まるバラードは、甘くせつない。それにしてもハンク・モブレイとの相性は抜群によく・・・この頃の、モブレイの柔らかい色気のある音色と、クラークのちょっと重く沈んだ音色との絡み合いは、絶品だ。個人的な好みでは・・・モブレイとの共演盤は、だいぶ後にキングから出た「マイ・コンセプション」も含めて、どれもみな好きだ。
ブルーノート録音でも60年、61年頃になると(デクスター・ゴードンやマクりーン、それにグラント・グリーンとの共演盤など)なぜか・・・クラーク本来の「タッチの味わい~強弱やアクセントの付け方のずらし」が、あまり感じられなくなる。フレーズにもヒラメキがなくなったようにも思う。これは、単に管奏者との相性だけの問題ではないように思う。

マクリーンとアート・ファーマーの2管入りクインテットで吹き込まれた、おそるべき傑作~「クール・ストラッティン」「クール・ストラッティン」以降に、この頃のよくクラークのピアノプレイを説明するのに「後ろ髪をひかれるような」という表現がある。たしかに「クール・ストラッティン」でのクラークは・・・テンポへの重いノリで、しかも重いタッチで粘るフレーズを弾いている。私見では・・・「クール・ストラッティン」こそが特異なアルバムなのだ。あの「重いノリ」は、クラークだけが創りだしたのではない。マクリーンが粘るフレーズ廻し全開でタメまくり・・・アート・ファーマーもじっくり構えて・・・チェンバースは、ますます重く・・・そんなメンバー全員が、誰かれ言うことなく「ためるノリ」の精神共同体になってしまったのだ(笑) 強いて言えば・・・やはりマクリーンのあのアルト~ソロの先発のマクリーンが、絶好調だったようで、あの重いサウンドで、タメにタメたノリで、充分に唄い上げてしまった~そのために、「そのノリ」が全員にノリ写ったのではないか?と推測している。もちろん、クラークのタッチは、この後も充分に「重く」「暗い」が、このアルバムでは、特別に重いような気がする。この辺りを捉えて「ファンキー路線」とか言われたこともあったようだが・・・「クール・ストラッティン」は、キャノンボールらの「ファンキー」とは全く違う。もっとシリアスでコクのある、素晴らしいジャズだと思う。

ただ・・・クラークの「マニア」は、あの「後ノリのクラーク」だけを好きになったのではないはずだ。ソニー・クラークという人間を本当に好きになってしまった人は~もうちょっと後のタイム盤「ソニー・クラーク・トリオ」や「アート・オブ・ザ・トリオ」「マイ・コンセプション」なで聴かれる~「思いつめたようなロマンティックな気持ち」みたいなものをクラークのピアノから感じ取ってしまったのだ、と思う。だから・・・クラークを好きになったはずなのだ。
そんなクラークにもウエストコースト時代(1952年~1955年くらい)があるのだ。Verveのバディ・デフランコとの録音がよく知られているようだ。クラークのマニアの方は、相当に多いようで、その証拠に、ポリドールが何度もクラーク入りデフランコを再発しているし、つい2年ほど前にも「紙ジャケCD」で、デフランコが何枚も出ている。Verveでのデフランコとの共演以外にも、いくつかの録音がある。僕が好きなのは・・・
Cal Tjader/Tjader Plays Tjazz(Fantasy 3278)050907_002

                                                                                                                                                                    

       

《ファンタジーというレーベルの「赤盤」の魅力というものには・・・やはり抗しがたいものがある。このFantasy赤盤は、90年ころ新宿DUにて入手。当時としては、かなり無理したように記憶している:笑》

10曲中6曲が、クラークとブリュー・ムーア入りのクインテットだ。Jeepers Creepers、A Minor Goof、それに Brew’s Bluesなどでは、とても「切れのいい」クラークのソロが聞かれる。バラードの Imagination では、わずか4小節だが、短くも美しいクラークのイントロが聞かれる。クラークのバラードのイントロってのは・・・これがまたいいのです。ぴしっとした中に、かすかに「ロマンティックな響き」が感じられる(ように思うのだ)

これらの録音には・・・さきほど説明したような「後ろ髪を~」なる特徴は、それほど強くは表れてはいないのだ。案外にあっさりしたノリだ。ただし・・・タッチは相当に強い。はっきりして迷わないタッチだ。そうして、クラークは、長いフレーズでは、その強めタッチの強弱を意識して弾いているようだ。この辺りを、さらに推し進めていくと・・・後の「後ろ髪~の後のり」になっていきそうな感じもある。当たり前のことではある。本人なのだから(笑) 
いずれにしても・・・これらウエストコース時代の録音は、どれもが「キラリと光る」プレイなのだ。どう光っているのか?ここで・・・僕は・・・ぴたっと筆が止まる(笑) うまく表現できないのだ。たしかにソニー・クラークは、モンクやエヴァンスほどの「スタイリスト」ではないだろう。「クール・ストラッティン」以降のクラークなら・・・あるいは、あの「超・後ノリのピアノ」を「クラークの個性」と言えるのかもしれない。しかし、ウエストコースト時代のプレイには、「ああ、あれね」と、誰にでもすぐ判るような特長がないのだ。でも、しかし・・・このウエストコースト時代のソニークラークのワンフレーズを聴くと・・・スカッとするのだ。なんとか説明してみると・・・こんな感じか。「タッチに覇気がある」「フレーズに迷いがない」「長いフレーズも一気に弾き切る」~そうして全体から、すごく「さわやか」な感じを受けるのだ。「品の良さ」と言ってもいい。それと、この時期の気迫あふれるプレイの中にも、さきほど書いたような「思いつめたようなロマンティックな気持ち」みたいなものが、やはり感じられるのだ。

そして、「ソニー・クラーク・メモリアル・アルバム」と「ジミー・レイニー・&ソニー・クラーク/トゥゲザー」の2枚(共にXanadu/クラウン)も、とてもいい。 050907_001
《僕の手持ちは、残念ながらCDです。この2枚は、CDがまだ3200円もした時に、クラーク聴きたさに、CD嫌いな僕としては、かなり無理して購入した(笑) 2枚とも、Xanaduのあの金色のジャケのシリーズでLPも出ていたはずだ。ちょっと丹念に探せば、安価で見つかると思う》

1954年1月のオスロ録音とされている。同じ時の録音で、クラーク入り1曲が、「ビリー・ホリデイ/ビリーズ・ブルース」(United Aritsits)から出ている。放送録音だかプライベート録音らしく、音質はかなり悪いのだが、これらの録音で聴かれる、ソニークラーク(22才)・・・これはもう・・・素晴らしい! もうピアノが弾きたくて弾きたくて~スタイルこそ、バド・パウエル風ではあるが~という気持ちがいっぱで、次々にフレーズが湧き出てきてしまって、それを押さえるのが大変・・・というくらいの強いタッチと、よどみのないアドリブなのだ。全て素晴らしいが、特に印象深いのは・・・「メモリアル」の方に入っている<Over The Rainbow>だ。ソロピアノの演奏である。ソニー・クラークという人に少しでも興味をお持ちの方には・・・なんとしても、この「メモリアル」を聴いてみてほしい。ミュージシャンが「自分の唄」を唄う、というのは、こういうことを言うのか・・・と感じていただけるかと思う。
あるいは・・・まず正規盤で音のいいブルーノートの「ソニー・クラーク・トリオ」の<I’ll Remember April>のピアノソロからの方がいいかもしれない。
というのは僕自身が、クラークの「もうひとつの個性」に気づいたのが~ウエストコースト時代のクラークまで、追いかけるキッカケとなった盤~Bluenoteの「ソニークラークトリオ」のB面に入っていた<I’ll Remember April>からなのだ。バップ~ハードバップ期の解釈としては、たいてい、この曲は急速長で演奏される。ところが、クラークは、この曲を「スロウなバラード」のピアノソロで演ったのだ。この演奏には、ちょっと「はっ!」とした。「あれ?ソニー・クラークって人は、もっと普通のハードバッパーじゃあなかったかな?」という気持ちだ。クラークは、この曲を~よくあるように途中でテンポアップすることもなく~淡々と丁寧に、そして切実に、 スロウテンポのまま唄い上げている。これを聴いて・・・端正ないい演奏だ、と感じた。そうして、僕はソニークラーク、という人を、それまでとは違う視線で捉えるようになったのだ。
そう・・・ソニークラークは、「真摯なピアノ弾き」なのだ。そして「スタンダードソング」を、おそらく、本当に自分が好きなスタンダードを、しっかりと、自分のものにして演奏するタイプなのだ。そうして得た「自分の唄」を丁寧に「唄う」ピアノだと思う。そんな視線で捉えなおすと・・・クラークの弾くスタンダードソングが、ぐうんと心に入り込んでくる。「クール・ストラッティン」のB面2曲目~<Deep Night>このスタンダードがいい。出足が<Blue Sky>とそっくりだ(笑) ちょっと渋さのある暗い曲調だが、じわじわと知らぬ間に、覚えてしまうような、シンプルなメロディが素晴らしい。これはピアノトリオで演奏されるのだが、クラークが多少の「アレンジ」を施したようだ。そのアレンジが、テーマの途中で何度も出てくる。そしてこれこそが、まさに「キラリと光る」フレ ーズなのだ。A面もいいが、B面も本当にいい「クール・ストラッティン」である。ちなみに・・・この<Deep Night>も・・・シナトラのヒット曲なのだ。クラークもまた、シナトラ信者だったのだろうか。それにしても、ジャズは、本当に素晴らしい。そして奥深い・・・。

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2005年9月 7日 (水)

<ジャズ雑感 第6回> ソニー・ロリンズ/オン・インパルス~マット・デニスのスタンダード。

スタンダードソングの魔力~いい曲だなあ・・・と思うといつもマットデニスだ。

<everything happens to me>~この曲を最初に聞いたのは・・・ああ、モンクの「サンフランシスコ」だ。いや、正確には・・・米マイルストーンの Pure Monk(himself と sanfrancisco のカップリング2LP)という盤で聞いたのだ。モンクのソロピアノというと・・・「サンフランシスコ」より前に、1954年のヴォーグ盤を聴きこんでいた。特に「煙が眼にしみる」を気に入っていた。この曲はジェローム・カーンの作曲だが、とにかくあのメロディーが好きだった。あのメロディーをモンクはそれほど崩してはいない。崩してはいないが・・・その元メロディーの合間にモンク流のアドリブを混ぜ込んで、見事に唄い切っている。本当に素晴らしいピアノソロなのだ。もともと、こういう古いスタンダードソングというものが、僕の性に合っていたのかもしれない。だから、スタンダードがたくさん入っている「サンフランシスコ」も、すぐに大好きになった。<remember>という曲も、モンクの斬新な解釈で、というより斬新なピアノプレイが印象深い。なんというか・・・左手コードの入れ方が、スタカート気味というか、ほとんど伸ばさずに、「ブツ切れ」状態なのだ。そんな過激なアレンジ(いや、素晴らしいヒラメキ!)でありながら、演奏全体には、なんとも言えないノスタルジイみたいなものを感じる。この曲はホワイトクリスマスの作者として有名なアーヴィング・バリーンの作曲だ。 この<remember>は、ハンク・モブレイの「ソウル・ステーション」A面1曲目に入っているので、ご存知の方も多いと思います。ああ、もうひとつあった・・・スティーヴ・レイシーがこの曲のチャーミングなテーマを吹く演奏があるんです。ギル・エヴァンスのプレスティッジ盤「ギル・エヴァンス&テン」に入ってます。この曲のチャーミングなメロディが、レイシーのソプラノサックスの音色によくマッチしているようです。
そして・・・「サンフランシスコ」の中で、一番好きになった曲が<everything happens to me>だ。正真正銘、このテイクが初聴きだ。(少し後にロリンズ(後述)、うんと後にシナトラ~この曲のオリジナルバージョン~も聴いた) この曲を、本当に「すうっ」と好きになってしまった。なぜかは判らない。ただ・・・「煙が眼にしみる」もそうだが、モンクが弾くスタンダードには、いつも「ペイソス」が漂っているのだ。僕は、この「ペイソス」という言葉を~一抹の寂しさの中にほのかな希望を感じるような雰囲気~「人生にはつらいことも多いけど、まあがんばっていこうや。たまにはいいこともあるし」みたいな感じに捉えてます。その「ペイソス」。モンクが弾くから「それ」がにじみでてくるのか?あるいは・・・曲の中に「それ」を感じとったから、モンクがこの曲を選んだのか?
多分・・・その両方だろう。そして、聞き手があるミュージシャンの演奏するある曲を聴いて、ものすごく気に入る・・・ということも、まさにミュージシャンがその曲を選んだのと同じような feeling を聞き手も感じたからなのだと思う。そうしてさらに、その曲を得たミュージシャンが「どんな風に唄うのか」を聴くことで、聴いてその「唄い」が納得できれば、その曲を、本当に「自分のもの」にできるのだと思う。
こんな具合に、あるミュージシャンのと聞き手の feeling が一致する、というのは本当に幸せなことです。僕の場合は・・・まさにセロニアス・モンク、それからロリンズが、そういうミュージシャンなのです。今回は、そのロリンズが演奏した<everything happens to me>についてだけにします。ロリンズについては、また別の機会にじっくりと(笑)

《Sonny Rollins/On Impulse~僕の手持ち盤はMCA impulse盤。すごく安っぽい緑色のラベルが哀しい:笑》

050907_001さて、ソニー・ロリンズの「オン・インパルス」(impulse)1965年~ロリンズのあまたのLPの中では、あまり「傑作」とか言われないようだが、これが実にいいアルバムなんです。(僕の知る限り、このLPを「いい盤」として何度か取り上げていたのは、大和明氏だけだ) 僕は、もう長いことロリンズ好きだし、愛聴盤もたくさんあるが・・・「凄い盤」とか「大傑作」とかじゃなく・・・「好きな盤は?」と問われれば・・・真っ先に、この「オン・インパルス」が浮かんでくる。まず選曲がいい。A面には on green dolphin street(ちょっとモード風の速め4ビート)と everything happens to me(バラード)、B面には、hold 'em joe (カリプソ風),blue room(ゆったり4ビート),three little words(軽いノリの速め4ビート) この5曲のバランスが絶妙で、全く厭きさせない。レイ・ブライアント(p)の明るくきらめくフレーズ。ミッキー・ロッカー(ds)のカラッとした切れのいいドラミング。そして・・・ウオルター・ブッカー(b)のがっしりしたリズムと唄心を感じさせるベースソロ。トリオが造り出すまとまりのあるサウンドに、ロリンズの自由自在に唄うおおらかさ、みたいなものが、実にうまい具合にブレンドされて、聴いていて本当に「気持ちのいいジャズ」に仕上がっている。
そうして、この<everything happens to me>が、おおげさじゃなく絶品なのだ。モンクのソロピアノを聴いて以来、大好きになっていたこの曲。あのちょっとセンチメンタルなメロディを・・・ロリンズが、イントロなしで、いきなり吹き始める。ロリンズ独特の「揺らぐような」サウンドを響かせながら、軽いフェイク(崩し)も混ぜてくるが、あのメロディをいつくしみながら、ゆったりと謳い上げている。本当にテナーサックスで「唄っている」ようだ。僕は「ロリンズは・・・この曲を本当に好きなんだなあ・・・」と確信する。そんなバラードプレイだ。ピアノもしっとりしたソロを取る。そして・・・ウオルター・ブッカーの出番だ。ブッカーも・・・じっくりと、いやどちらかというと、もっさりと・・・しかし・・・ブッカー自身の「唄」をこの曲の中で、唄い上げている。「唄こころ」というものを、たっぷりと指先から弦に伝え、その弦を、気持ちを込めて弾(はじ)いているかのようだ。ブッカーもまた、この曲を好きなのだ。もちろんブッカー自身、この曲を以前から知っていたのかもしれないが、仮に、この日、初めて出会った曲だったとしても・・・この曲をロリンズがテーマを吹き始めたその瞬間に「好きになった」のだ、と思う。「曲との相性」というものは、人との出会いといっしょで「インスピレイション」で決まってしまうこともあるのだ。

ジャズ聴きの幸せは・・・やはり自分にとっての、本当のフェイバリットミュージシャン(そんなに多くはいるはずもないが)を見つけることだと思う。その人の音色、フレーズ、選曲、唄い・・・そんなもの全てが自分の好みと合致する、ということは少ないかもしれないが、人を好きになる、ということは、もういずれ、その人の全てを好きになってしまうものなんです(笑)

・・・そんなわけで、スタンダードが好きになってくると、だいたい「好きな曲の傾向」みたいなものができてくる。僕の場合は・・・なぜだか、コールポーターやガーシュインのゴージャスで壮大な曲想よりも

ハロルド・アレン(I’ve got a world on a string, over the rainbow,when the sun comes out,come rain or come shine, let’s fall in love など)
ジェローム・カーン(smoke gets in your eyes,all the things your are など)
アーヴィング・ヴァリーン(remember,blue skies など)などの、いかにも「小唄」と呼びたくなる曲の方がが好みのようだ。

そして・・・マット・デニス。さきほど書いたように、モンクのソロピアノでこのマットデニスの名曲<everything happens to me>を知ったのだが・・・実はそれより前に、マットデニスの曲をよく聴いていたのだ。72年9月頃、日本ビクターが prestige 音源から20枚だか30枚を、オリジナル・ジャケとセンターレーベルで050907_002復刻し、1100円盤シリーズとして発売したのだ。 その中から「コルトレーン」(1957年)を買っていた。コルトレーンがサックスを前に置いて正面を睨んでいるジャケ。あれだ。<コートにすみれを/violets for your furs>は、このLPに入っている。私見だが、この1100円盤シリーズは、案外にいい音だと思う。後に発売された米ファンタジーのOJCシリーズよりも、楽器の音に「芯」があるように感じる。

僕はA面2曲目の、この<violets~>とB面2曲目の<while my lady sleeps>が特に気に入っていた。<while~>はマットデニス作ではないが、こちらもなかなかいい曲だ。タイトルは「あいつ(女)が眠ってるうちに・・・」という意味だろうか~その眠ってる内に、多分・・・抜き足差し足で部屋を出て行こうとする男(笑)~すごく勝手な推測だが、この演奏を聴くと、そんなイメージが広がってくる。こちらは激賞されることもなく sleepしているようだ:笑)
両方ともバラードで、「静かに」演奏されていた。コルトレーンのバラードというのは、独特の「澄んだ感じ」があって、今思えば、このリーダーアルバム1作目には、片面3曲づつのLPのA・B面2曲目にバラードを配置してあり、コルトレーン自身も「バラード」にかなりの配慮をしていたのだろう。マイルスのLPでもそうだが、同じペースの曲が連続しないように~LP片面20分を飽きさせないようにする工夫が感じられる。そのコルトレーンのバラードがいい。コルトレーンがいい、という以上に、この「コートにすみれを」が、チャーミングなメロディーをもった素晴らしい曲なのだ!ということを言いたい。もちろん、この曲を選んだコルトレーンもまた素晴らしい。

そうしてこの素晴らしい曲を作ったのが・・・これまたマットデニスなのだ! 余談だが、FMで流れるジャズをマメにカセットにエアチェックしていた頃~71年~75年頃だったか~何かのジャズ番組で、峰厚介のコンサートのライブが放送された。その中に「コートにすみれを」が含まれたいた。「あれ・・・あのコルトレーンのLPに入ってるやつだぞ。渋い曲を演るなあ・・・」とちょっと驚いたことが印象に残っている。(やはりバラードで演奏されていたはずだ。この演奏はたしかレコード化もされてないだろう。僕のカセットテープコレクションのどこかに入ってるはずだが)自分が「いいなあ」と感じていた曲をこうして、日本のテナー奏者が取り上げている、ということに感心したのだ。「楽譜とかどうするんだろう?やっぱり耳でパパッと音もとっちゃうんだろうか?」とも思った。というのも、その頃、この「コート~」という曲のことをジャズ雑誌で活字として読んだ記憶が一切なかったからだ。僕の記憶では、この「コート~」がいい、というような記事がジャズ雑誌に載ったのは・・・かなり後、少なくとも80年より後だったと思う。「コルトレーンのバラードの原点」という表現が増えてきて、今ではすっかり名曲「コート~」として定着しているようだ。ズート・シムスの「コート~」も、相当に有名になった。ブルーノートのユタ・ヒップの緑色の盤(1956年)に入っている。この演奏もいい。やはり「曲の力」というのも相当にあるはずだ。とどめに(笑)同じテナーで、JRモンテローズの「コートに~」もとてもいい。

おまけとして・・・マット・デニスのちょっといい曲を以下。
everything happens to me
violets for your furs
the night we call it a day
angel eyes
will you still be mine?
let’s get away from it all
どれも印象的なメロディでを持っており、「品のいい寂しさ」みたいなものを感じさせる。僕の心に「きゅうん」と入り込んでしまうキュートな曲ばかりだ。
ついでに言うと・・・これらの曲のほとんどは、すでに1940年代、1950年代にシナトラが唄っている。だから・・・モンクもロリンズもコルトレーンも、そしてマイルスもみんなシナトラを聴いていたのに違いない。そうして、そのスタンダードソングを、「どうやってかっこいいジャズにしてやろうか?」てなことばかり考えていたに違いないのだ。実際、マイルスの回想本で「シナトラをよく聴いた」というのを読んだ記憶がある。なお、モンテローズの「コートに~」では、彼は、シナトラのキャピトル盤を聴き込んだようで、演奏としては珍しくも、ヴァースの部分からチャーミングに吹いている。
そんなことを考えてみると・・・シナトラこそ、モダンジャズのバラードの「父」みたいな存在だったのだ、と思えてくる。最高のジャズミュージシャン達が、最高の素材~ソフトでスイートな極上のポピュラーソング~に、少々のビターネスをまぶして「ジャズのバラード」に仕立て上げてきたのだ。「好きな曲」を軸に、ちょっといろんな唄・演奏を探ってみると、スタンダードソングの世界が本当に奥深いことを実感する。自分が「好きだ」と思えるスタンダードソングを何曲か知るだけで・・・もうジャズ聴きの楽しみはぐんと拡がるのだ。
そうして・・・やっぱり、ジャズはやっぱり止められない(笑)

追伸 :みなさんのお好きなスタンダード曲~ぜひコメントにてお知らせ下さい。とても絞りきれないでしょうが・・・思いつくままどうぞ(笑)

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2005年9月 4日 (日)

<思いレコ 第4回> セロニアス・モンク/ザ・モンク・ランズ・ディープ(vogue/東宝)

ニーノニーノの「こだわりの杜」~趣味でつながる楽しみ。

ニーノニーノというオリジナル盤通販のお店がある。そのニーノの新納さんは、HPも運営しているのだが~オーディオやレコードのセンターラベルの話しが満載の中身の濃いHPである~そこにはBBS「こだわりの杜」もあって、「拘りのオヤジたち」が、連日、親密なやり取りをしているのだ。最初に書き込む時には、ちょっと思い切りが要るかもしれないが、一度入ってしまえば、思いのほか気さくな方たちばかりである。僕も1年ほど前から、ちらちらと書き込みをするようになった。4月には、長野の白馬で「杜の会」なるオフ会が開かれたので、普段、出不精の僕もそのオフ会に参加したのだ。そこで、Dukeさんを始め、普段、ハンドルネイムでやりとりしている皆さんと~この「白馬」では、栃木・群馬・静岡・愛知・長野・大阪などから集まった「杜の住人」の方々~実際にお会いしたわけだが・・・いやあ、これが驚くほど自然な打ち解け具合だったのだ。我ながら偏屈な人間だよなあ、と思ってる僕なんかでも、初顔合わせの方々とすぐに打ち解けて、好きなジャズや音楽についてのいろんな話しができてしまうのだ。皆さんの持ち寄ったレコードもいろいろ聴けて、本当に楽しかった。「趣味」だけでつながる集まりというのは、実にいいものです。そんなこともあり、その後の「杜」というBBSでのやり取も、いっそうリアリティが増した、というか「立体感」が出てきたような手ごたえもある。
白馬でのオフ会から一週間後、Dukeさんから電話があった。HPの次の「コラム」を書いてくれ、「テーマは自由。なんでも好きに書いてください」とのこと。 この「コラム」というのは、「杜」の常連さんが、ほぼ月替わりの交代で、「ジャズやオーディオへの思いのたけをぶちまける」みたいなコーナーだ。あのコーナーに、自分の「文章」が載るのか! もちろんたいへんに光栄なことで、うれしくもあったのだが・・・さて何を書こうか。僕の場合、とにかくもうジャズが好きで好きでという状態なんで・・・そういう「ジャズへの拘り」具合なら、なんとかなりそうに思った。だから、中3の頃から自分が「どんな風にジャズという音楽へ没入していったか」みたいなことを書き始めたのだが・・・それからの2週間ほどは大変だった(笑) なかなか書けないのである。いや、書くには書くのだが・・・言い回しが判りにくいし、文章もガチガチ(笑) 普段の「杜」への書き込みは、誰かの話しへの反応やら、ちょっと自分から話しを振ったりで、ずいぶんと気楽に書けたんですが・・・いざ、「コラム」という場所を与えられて、そのスペースが、自分だけにまかされてしまうと・・・これが、妙に構えてしまうのです。そんなに大げさに考えるな、いつもの書き込みと同じだ、気楽にいけよ。もっと長く書いてもいいんだぞ、と自分に言い聞かせるのですが・・・そうは、なかなかできないもんなんです(笑)
例えば・・・ただ「モンクが好きだ」と書けばいいのに「僕はどうしてモンクが好きになったのだろうか?」とか変な言い回しになったり(笑) まあそれでも、結局は・・・自分の好きなジャズ、そのジャズ遍歴を回想風に書くしかない、という気持ち的な開き直りも経て、どうにかそのコラムを書いたのだ。けっこう何度も書き直したりしてましたが(笑)
そのコラムは、6月いっぱい、「ニーノニーノのコラム」欄に on air (笑:言葉の使い方が違ってますが)されていた。杜のみなさんから暖かい反応をいただくたびに、つい読み返してみたりしましたが、ガチガチな文章は、もはや変わるはずもないのでした(笑)
そのコラムの中で挙げたミュージシャンたちは・・・もちろん僕の個人的な好みの歴史なので、どの方にも共通する感覚というわけもないのですが、読まれた方には、bassclef という人間の「ジャズの趣味」がどんな具合なのかということは、判ってもらえたように思います。
「白馬・杜の会」があり、その白馬でのことを「杜」へ詳しく(いや、しつこく:笑)書き込みしたりしているうちに、さらに「コラム」も書くことになり~そうこうしてるうちに、どうやら「ジャズへの自分の想い」を、もっともっと綴りたくなってきてしまったようです。もともと、レコードへの思い込みは強い方だったので、自分のレコード購入記録みたいなものを<レコード日記>として書いていたんですが、4月初めにパソコンが壊れてしまい、(バックアップも取らないタイプなので)それらも全部、消えてしまったのです。そのことへの若干の「拘り」もあったのかもしれません。そんなわけで・・・5月末からこのブログ<夢見るレコード>を始めたのです。いずれにしても、僕がブログを始めたきっかけは、間違いなくあの「コラム」だったのです。ジャズへの想いを「コラム」という型でまとめる機会を与えてくれた、新納さん・・・いやDukeさんには、とても感謝しています。
そのコラムをここに再録します。この転載を快諾していただいたDukeさん、改めて・・・ありがとうございます!ジャズへの想いを正直に書いたつもりです。このガチガチ具合を笑って許してください(笑) 
Blame It On My Youth...

<全てはモンクから始まった>

~自分でもあきれるほどジャズが好きだ。休みの日には、たいていLP10枚くらいは聴く。なんでこんなにジャズが好きなんだろう?・・・よく判らない。でも<ジャズが好き>ということは、僕という人間の正真正銘の真実だ。この先、ジャズを聴かなくなるなんてことは・・・絶対にない。
これほど僕を惹きつけるジャズ。このどうしようもなく魅力的な音楽に、僕はどんな具合に、はまり込んできたのか。ちょっと思い出してみる。

・・・中3の時、マイルスデイビスをカセットに録音したのがきっかけだ。たしか週1回のNHK-FMのジャズ番組で、この日の放送はマイルス特集、DJは児山紀芳。今、思えばなぜ録音したのかわからない。その頃は、サイモンとガーファンクル、エルトン・ジョンなどを好んで聴いていたのだ。LPレコードはとても高くて、2ヶ月に1枚買えるかどうかだった。だからFMからいろんな曲を録音しては、気に入らなければそれを消去してまた使う、という感じだった。あの頃は、カセットテープも(まだTDKという名に変わる前の東京芝浦電気と漢字で書いてある真っ赤な箱のやつ)けっこう高かったし、決してムダ使いはできなかったのだ。 だから・・・名前だけ知っている「マイルス・デイビス」なる人を一度は聴いてみよう、くらいに思ったのかもしれない。いまだ鮮明に覚えているのは・・・その放送の中で、児山紀芳がマイルスの人物評として「タマゴの殻の上を歩くような」というフレーズを紹介していたことだ。そうしてその紹介のあとに流れた曲が・・・<ラウンドミッドナイト>(columbia/1956年)だ。「タマゴの殻?」そんな人物評にも興味を持ち、思わずカセットの録音ボタンを押したのだった。そんな風に気まぐれに録音した<ラウンドミッドナイト>。最初は、演奏なんかよくわからない。ただ・・・あの曲のもつムードに「何か」を感じた。そうして何度か聴くうちに、あのなんともいえない神秘的なテーマとそれを奏でるマイルスのミュートの音色が、もうグングンと僕の心に染み入ってきたのだ。さらに繰り返し聴いているうちに、マイルスのテーマが魅力的なのはもちろんだが、コルトレーンが出てくる場面にもゾクゾクしてくるようになった。そうしてラストのテーマでは、再びマイルスのミュートに戻る。このテーマに戻る場面でも、いつも気分がよくなるのだった。
「静寂」から「躍動」、再び「静寂」に戻る、という自然な流れ。何度でもまた繰り返して聴きたくなる。・・・それまでには味わったことのない感覚だった。

その少し後・・・今度は「あの曲」の作曲者、セロニアス・モンク自身のソロピアノでの「ラウンド・アバウト・ミッドナイト」(vogue/1954年)を再びFMから録音した。マイルスのミュートが演出したあの曲の持つ「独特なムード」に慣れていたせいか、このモンクのソロピアノにも違和感など全く感じることもなく、いやそれどころか・・・モンクのピアノは、不思議なくらいに、本当に真っ直ぐに僕の心に入り込んできてしまったのだ。マイルスのラウンドミッドナイトは、もちろん素晴らしい。でもモンクのこの演奏には・・・もうムードなんてものを通り越して、モンクという一人の人間が、自分のあらゆる感情を吐露しているような厳しさがあった。モンクの、いや、あらゆる人が、人生を生きていく上で味わう感情・・・<挫折><孤独><哀愁>そして<優しさ><希望>・・・みたいなものが、この演奏の中に封じこめられているかのようだった。(そういう風に聴こえた)

このモンクのソロピアノのレコードは、なかなか見つからなかった。高1の夏に、東芝ブルーノートの国内プレス(ジニアス・モンク vol.1)を間違えて、買ったりしました。「ラウンド・アバウト・ミッドナイト」という曲が入っている、という理由だけで買ったのだが、このLPに入っているバージョンは、モンクによる初演(1947年の3管入りのもの)だった。「なんか違うなあ・・・」とがっかりしたのだ。(笑)その年の秋だったか・・・ようやく vogue録音のソロピアノのLPが東宝から発売されたのだ。タイトルは・・・セロニアス・モンク/モンク・ランズ・ディープ(東宝) ようやく、あの「ラウンドアバウトミッドナイト」に出会えたのだ。すぐに手に入れて・・・・・このレコードは、本当に何度も何度も聴きました・・・・。runs_deep    

このLPには、ラウンド・アバウト・ミッドナイト以外にも、リフレクションズ(ポートレイト・オブ・アーマイト)、オフマイナー、ウエル・ユー・ニードントなどモンクの傑作曲が入っており、全てが気迫のこもった素晴らしい演奏ばかりです。。その中で、唯一のスタンダードの「煙が目にしみる」・・・これがまた素晴らしい!よく「モンクは変。判りにくい」とか言われるが・・・この「煙が目にしみる」みたいなスタンダードを弾くときのモンクは、一味違います。誰もがよく知っているあのメロディ、あの魅力的なメロディーをそれほど大きく崩したりはせず、謳い上げています。強いタッチなので、演奏全体にゴツゴツした「堅い岩」みたいな雰囲気を感じるかもしれませんが、それがモンクの「唄い口」です。そうしてこのモンク独特の無骨な唄い口が、却ってこの曲の持つ<哀感>みたいなものを、よく表わしているように思います。
ちょっと気持ちが弱った時なんかに聴くと・・・「おい君・・・人生ってそんなに悪いもんじゃないよ」とモンクに優しく諭されているような気分になります。

モンクの魂に触れてしまった(ように思えた)・・・ジャズにここまで深く入り込んでしまった・・・これでもう、僕のジャズ人生も決まったようなものです。この後、モンク~コルトレーン~マイルス~ミンガス~ドルフィー、ロリンズという具合に次々にジャズの巨人たちの<個性>を味わっていきました。それから、いかにモンク好きの僕としても、ずーっとモンクだけ! というわけにもいかず(笑)、ピアノでは、自然と、バド・パウエル、少ししてからビル・エヴァンス、ソニークラーク、ランディ・ウエストンなど好みになりました。特にウッドベースでは、モンク絡み(モンクス・ミュージック)とロリンズ絡み(ナイト・アット・ザ・ヴィレッジ・ヴァンガード)で、ウイルバー・ウエアがもう大好きになったりしました。ちょうどその頃、大学でモダン・ジャズ研究会なるサークルに入りました。聴くだけではガマンできなくなったようです。ピアノかベースか迷いましたが、たまたまベースがいない、ということもあり、ウッドベースを始めたのです。先輩に「好きなベーシストは?」と尋ねられ「ウイルバー・ウエア」と答えたら、その先輩、「うう・・・まあそういのもいいけど・・・まずはチェンバーだよね。チェンバースを聴きなさい」とかなり動揺しておりました(笑)。

楽器を始めると、それまで遠いものに感じていたテナー~アルト~トランペット~トロンボーンなどが、うんと身近なものになり、管楽器への興味が深まっていきました。(それまではどちらかというとピアノ中心に聴いていた) そう思っていろんなレコードを聴いていくと・・・いろんなミュージシャンの音色・フレーズなどの違いにも興味が湧いてきました。ジャズはロリンズ、コルトレーン、マクリーン、ブラウンだけじゃあなかったんです!
「おっ。この人、好きだな。もっと聴きたい!」~「おお、この人もおもしろい。他のも聴いてみたい!」~「ああ、こんな人もいたのか」~ 
・・・キリがありません。そりゃあそうです。ミュージシャンの数だけ、異なる個性が在るわけですから。「個性」に黒人も白人もありません。
だから・・・どちらかというと黒人ハードバップ重量級ばかりを10年くらい聴いてきた後に、ふと手に入れたペッパーの「モダンアート」、この盤で聴いたペッパーは・・・ものすごく新鮮でした。特にバラードでの唄い口には、しびれました。チェット・ベイカーの<あまり強く吹かない乾いたような音色>にも強烈に惹かれました。シナトラの「唱」に急に感じるようになったのもこの頃です。

こうして自分がどんな具合でジャズを聴いてきたかを振り返ってみると・・・だから・・・僕のジャズの聴き方は、こんな具合に、全くの「人聴き」でした。
だから、決してジャズをスタイルで分けて聴いてきたつもりはないのですが、興味を覚えたミュージシャンを聴いてきた34年の間には、自然と、ハードバップ~バップ~ウエストコースト~ボーカルと聴く範囲が拡がってきたようです。この先は・・・バップからもう少し遡って<中間派/エリントン派>あたりに、少しづつ踏み込んでいきそうな気配も感じております。(気配って・・・自分の意思なのに、なんと無責任な(笑)) ただ、僕の場合は、ジャズへの興味が、どうしても過去へ過去へと向ってしまう傾向にあるようです。正直に言うと・・・これまでのところ、結果的には「新しいジャズ」はほとんど聴いておりません。もちろん、あるカテゴリーを偏見をもって意識的に避けたりはしてませんが、あまり好みではないミュージシャンを羅列すると・・・たまたま<新主流派>だった、とかいうことはあります(笑) 「人聴き」するタイプの僕には、「おもしろい」と感じるミュージシャンがあまり見つからないようです。

こんな風に長い間、ジャズを聴いてきても、まだ飽きない。いや、それどころか、ますます好きになってきている。聴きたいジャズはまだいっぱいある。欲しいレコードもまだいっぱいある。わおー!!!

・・・ジャズとはなんと魅力的な、しかも懐の深い音楽なんでしょうか。全てはモンクから始まったのだ・・・・・。

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