マイルス・デイヴィス

2019年12月31日 (火)

<ジャズ雑感 第41回> ヴィクター・フェルドマンという人

何十年もレコードを聴いていると『う~ん、何を聴こうかなあ・・・いいのが無いなあ』と、こんな風に積極的に聴きたいと思えるレコードが一向に浮かんでこない・・・無理やり何かを選んで聴いてみても・・・やはりイマイチ良くない。そんな経験が誰にもあるかと思う。そんな時、僕の場合は「困った時のマイルス」である(笑) 
つい先日も、そんな状況から選んだ「マイルスもの」は Seven Steps to Heaven(columbia)だった。そしてこのレコードを掛けてその音楽が流れてくると・・・目論見どおり、すぐに僕は幸せな気分になれたのである(笑) そしてこのレコードを聴くといつも・・・こう思う。
『ヴィクター・フェルドマンのピアノはいいなあ』と。
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この作品はハリウッドとニューヨークでの2つの録音セッションから3曲づつ収録されていて、一般的には、ニューヨーク録音~ピアノにハービー・ハンコック、ドラムがトニー・ウイリアムスということもあって、その凄くかっこいい(ジャズのサウンドとしてスタイルが新しい)収録曲~seven steps to heaven, so near so far, joshua の方により人気があるかと思いう。まあ人気というより、この作品のシャープで現代的なイメージがこの3曲に象徴される感じか。そしてそのことに対して僕にもまったく異論はない。実際、この3曲は素晴らしいのである。何がどう素晴らしいか・・・ひとことで言うと、とにもかくにもトニーウイリアムスのドラミング(ドラムの叩き方)が凄いのだ。それまでとは明らかに違う、新しくてかっこいい叩き方なのだ! 
seven steps~での管が吹く『パっ!パっ!パっ!パッ!パ~パ~パッ!』というテーマ(メロディーというより、ぶち切るスタッカートだけの合わせ)の後の3小節のドラム・フィル(短いソロとも言える)を聴けば、なにかしらそれまでのドラムの乗り方と違う感じを受けるはずだ。
『スタタタッ・スタッ・スタッ・ッタ・ッ・ッ・タタッ!~』う~ん、凄い!かっこいい!こんな音、とても文字では表せません(笑)そして音楽の音というものは聴いて感じるものだと思うが、敢(あ)えて説明的に言えば・・・このかっこよさとは・・・4ビートの内に8ビートの感覚を混ぜてきた乗り、という感じかな。僕が思うに、これはなにも「新しい」から賞賛されているわけではなく、なんと言うか・・・このサウンドを耳にすると・・・とにかく気持ちいいからなのです(笑)
あ、いや、しかし今、僕が語りたいのはトニーのドラミングのことではなく、ヴィクター・フェルドマンのことであった。実は今、その斬新さを褒め上げてきた、この seven steps to heaven なる曲を創ったのが・・・ヴィクター・フェルドマン、その人なのです!2管が短く切る音だけで『パっ!パっ!パっ!パッ!パ~パ~パッ!』そしてその後の3小節を埋めるドラムソロ!その後、もう一度、パ~パ~パッ!+1小節ドラムがあって、今度はすうっと流れるようにビートを効かす8小節~これが「ぶち切ったような」提示テーマの後だけに、この流れるような感じが気持ちいい。そして再び「ぶち切りテーマ」に戻り1コーラスを終える。
う~ん・・・こんな曲の構成を思い付くとは・・・もうそれだけで、ヴィクター・フェルドマンという人は凄いじゃないか!

しかし、そのフェルドマン氏にとってアンラッキーと思えることがある。この秀逸な自作曲(seven steps~)を引っ提げてマイルスとの1963年4月のハリウッド・セッションに臨んだわけで、当然、この自作曲も録音されたはずなのだが、そのseven steps~は発表されなかったのである。
<追記~ところがその1963年4月録音フェルドマン入り seven steps to heaven の音源・・・
録音から41年後の2004年に発表されていたのである。下の青文字・追記2ご参照下さい>
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発売されたLPに採用されたのは、1か月後の1963年5月に録音された前述のニューヨーク録音の seven steps to heaven だったのである。ちなみにその3曲の中の so near so far については4月のハリウッド録音の同じ曲が Directionsという2枚組で発表されている。この so near so far の2つのテイクの違い・・・これは実に興味深いです。12/8リズム(1拍3連を4回続けるようなリズム)に乗せて圧倒的にモダンなNYC録音の so near so far。これに対し、後年に発表された Directions 収録の so near so far は、ちょっと速め
テンポのわりと普通の4ビートなのである。しかし・・・これも悪くない(笑)

*追記1~ニューヨーク録音3曲の残りの1曲、Joshua もヴィクター・フェルドマン作曲でした。こちらも、もしもハリウッド録音が残っているのならば、ぜひ聴いてみたい(笑)
*追記1’~この Joshua にもハリウッド録音が在りました! フェルドマン絡みでメールやりとりをしていたsige君が知らせてくれました。
下記のマイルス7CDに収録されているようです。you tube音源のアドレスはこちら~
https://www.youtube.com/watch?v=CHWetvUQU1Q&feature=youtu.be
 

*追記2~ところが!そのフェルドマン入り(4月ハリウッド録音)の seven steps to heaven が残っていたのである! ひょっとしたら・・・という気持ちで色々と検索していたら見つかりました。
Miles Davis/Seven Steps:The Complete Columbia Recordings of Miles Davis 1963-1964(2004年・CD7枚組) というタイトルで発売されていて、1963年4月17日・ハリウッド録音として、seven steps to heavenの2つのテイクが収録されているようです。念のためyou tubeでも検索してみたら、その問題の2テイクの音源が載ってました。
p~フェルドマン、ds~フランク・バトラーです。興味のある方、ぜひ聴いてみてください。上がtake5、下がtake3です。
https://www.youtube.com/watch?v=UZKArpIsbBk&list=RDUZKArpIsbBk&start_radio=1 
https://www.youtube.com/watch?v=UH-jOzeeRg0

僕は・・・さっそく(笑)その seven steps to heaven、2テイクとも聴いてみました(クレジットではtake5、take3となっている)以下、私的な感想~
NYC録音(トニー、ハンコック入り)と比べると、テンポがやや遅めになっているが、テーマ部分のベース、ピアノ、2管の合わせはほとんど同じ。ただソロ順が違って、テーマの後、先にジョージ・コールマンのソロ、それからマイルスのソロとなっている。そしてフェルドマンのソロ・・・これ、作曲者だけあって・・・まったく素晴らしいです!その後、ピアノソロか合わせなのか、やや曖昧なままドラムと若干の絡みがあって、ラストのテーマに戻る。ソロの間の合わせの部分に若干の綻び(ほころび)があるかもしれないが、もちろん充分にかっこいい演奏である。フェルドマンのピアノのテーマ合わせ・ソロに拙い点は全くない。フランク・バトラーだってまったく悪くない。「乗り」の基本が4ビートというだけで、それはその時点では当たり前のことだったわけで、全体的にブラシを多用したセンスのいい、充分にかっこいいドラミングなのである。しかも!僕が seven steps to heavenの演奏で最も印象に残っている1か所~それは演奏の最後の最後・・・トニーが短いロールを入れてそれをクレシェンド、デクレシェンドさせて、すうっ!と終わるあの場面・・・あの秀逸なドラムの演出・・・あの部分をバトラーがこのNYCよりも1か月前の演奏で、すでにやっているのである!アレは・・・果たしてマイルスのアイディアなのか、あるいはバトラーがハッと思い付いてやったのか・・・? いずれにしても、NYCセッションでのトニーのあのエンディング部分での「ロール」は自己のアイディアではなかった・・・ということになる。そんなわけで・・・フェルドマン作曲の seven stepsにはハリウッド録音も存在したが、なぜか発売
されたのはNYC録音テイクになってしまった。そうなった理由は、決してフェルドマンやバトラーの演奏の出来が悪かった~ということではなく、トニーのドラミングがあまりにも革新的で凄すぎたからなのだ!そして常に新しいかっこいいスタイルを目指すマイルスが、この「新しいノリ/新しいサウンド」を獲得してしまったのだ・・・マイルス(CBS側)にしてみたら、この新作レコードはマイルスの新バンド~トニー、ハンコックの入った)のいいプロモーションにもなるし、フェルドマンには申し訳ないが(作曲のクレジットは入っているので著作権料がフェルドマンに入るからいいだろう・・・)ここはNYCセッションのテイクでいこう!・・・そんなところだったのではないだろうか?

そして・・・Joshua のハリウッド録音テイクも、テーマ部分、2管のハーモニー、ピアノのコンピング(和音での伴奏)など 正式発売されたNYCテイク と同じ。やはりフェルドマン自作曲においてはきっちりとその型が完成されていたのだ。ただ、seven~同様に、NYCテイクよりもやや遅めのテンポでゆったりした感じにはなっている。だがその分、マイルス、ジョージ・コールマンのソロは、余裕をもってじっくりフレーズを展開させていて・・・なんだかこちらのテイクの方が味わい深い。

*追記3~未発表音源を集めた2枚組 Directions は1981年に発売された(日本盤はサークル・イン・ザ・ラウンドというタイトルで発売されている)

傑作自作曲が自分の演奏したテイクで発表されなかったこと・・・このことがフェルドマン氏にとって不幸なことだったかどうかは微妙な問題なので置いといて~マイルスからのバンド参加の要請を、フェルドマンが丁重に断った、ということらしい~まずは「フェルドマンのピアノ」について語りたい。ここで、僕が聴くたびに『いいなあ・・・』と感じるロスアンゼルス(ハリウッド)録音について触れておかねばなるまい。
basin street blues,
I fall in love too easily,
baby won't you please come home 
~これら3曲である。
先に言ってしまうと・・・この3曲がバラード(ゆっくりしたテンポの静かめな演奏)ばかりでどれも絶品なのだ。マイルスのバラードの巧さは、これはもう誰が聴いても素晴らしい!と感じるだろう・・・いや、ものごとにはすべて好みの違いという側面があるから、オレはマイルスのバラードは嫌いだ!という方もいるでしょう。だからもちろん僕の好みでの話し~ということでご理解してもらって(笑)、僕はそういえばジャズ聴きの初期からマイルスのラウンドミッドナイトやマクリーンのレフトアローンを聴いて好きになったので、まあ抒情的なバラードが元々、自分の好みだったということかと思う。
そんな風だから、マイルスのこの<Seven Steps to Heaven>を聴いて バラードで演奏された I fall in love too easily  をすぐに好きになった。後にシナトラの歌を聴いてこの曲をもっと好きになった(笑)そして他の2曲も聴けば聴くほどに心に染み入ってくるわけである。
A面1曲目は basin street blues は、うんと古い曲のはずだが、ものすごくゆっくりしたテンポの、なんとういうか・・・マイルス・マジックによって、かっこいいブルージーでモダンなバラードに仕上げられている。
テーマのメロディーはタイトルどおりブルースっぽい感じか。そのメロディーをマイルスは、止まりそうなゆっくりテンポの下、ミュート・トランペットから生み出す厚みと深みのある音色、そして息の長いフレーズでこの曲の物語を綴る。その妙をじっくりと味わうと、次は
フェルドマンのピアノだ。
フェルドマンのソロ(アドリブ)終始「歌って」いると思う。その時の音楽がごく自然に流れるように歌おうとしているように感じる。右手のシングルトーンは、慌てることのない溜め気味の乗りで、決して弾きすぎることなく、気の利いたいいフレーズ(メロディー)を繰り出してくる・・・そこに左手でスタカート気味のコード(和音)を差し込んでくるのだが~この辺、ちょっとウイントン・ケリーに似ている(笑)~それを右手のフレーズのリズムと合わせるような弾き方に変化させつつ、徐々に盛り上げてくる・・・そんな感じだ。そうしてそれらは基本的に、静かな中での盛り上げ方であって、なんというか・・・誠に品がよくて情緒がある。だから僕はフェルドマンの、バッキングやソロを聴いていると、いつも『う~ん・・・いいピアノだなあ・・・』と感じてしまうわけだ(笑)
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そしてもうひとつ、とても大事なことがあって、それは録音の質感である。CBSの録音は丸みがあってそれも僕の好みなのだが、特にこのハリウッド録音3曲には、どの楽器の音にも、しっとりした仄(ほの)かに温かみのあるような質感があって、なんというかそれがマイルスのミュート付けたトランペットや、それからこのフェルドマンのピアノの優し気なタッチ、品の良さと似合っている。
さて、
フェルドマンのリーダー作は幾つかあるのだが、イギリス時代のヴィブラフォン中心のものとか、映画にリンクした企画ものなどが多くて、フェルドマンの情緒感のあるピアノをじっくり味わえる作品が案外に見つからない。いや、ひとつ、いいのが在った。

riverside の Merry Olde Soulというレコードである。これ、最初はOJC盤で聴いてその録音・収録曲、そしてもちろん演奏の良さ・・・つまり全面的に素晴らしい内容に驚いた。
(2009年7月「リヴァーサイドの不思議」2人のエンジニア~Jack HigginsとRay Fowler という記事を書きました。ここからどうぞ)
その Merry Olde Soul~2年ほど前にようやく黒ラベルのステレオ盤を入手した。このレコードは1961年1月の録音でエンジニアはレイ・フォーラー。録音が良い、というのはピアノの音にしっとり感があって、それから特にサム・ジョーンズのベースの音が素晴らしいからだ。サム・ジョーンズは僕も好きなベース弾きだけど、録音(作品)によって、やけにペンペンと薄い音に聞こえたりすることがあって(レッド・ガーランドとの盤など)それが残念なのだが、この Merry Olde Soul のベース音は、全体に音圧感が高めで、切れの良さに加えて適度に厚みもあって、とってもいい! そう、ブルー・ミッチェルの『ブルー・ムーズ』でのサム・ジョーンズの音色とほぼ同質と言えそうだ(ブルー・ムーズのエンジニアもやはりレイ・フォーラー)
この中に特に好きな1曲がある。
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A面3曲目の serenity という曲である。ちょっとクラシックっぽい格調高い甘い曲調かもしれないが、僕はこの曲(とその演奏)がどうにも好きなのである。ちなみにserenityという単語を辞書で引いてみると・・・うららかさ、静穏、平静というような意味とのこと。この曲・・・正にそのタイトルどおり、清らかさを感じるような静かなバラードだが、曲の最後の方では、この静かなる男が控えめに、しかし、じわ~っと盛り上げてくる。両手をフルに使ってトリルというのか、たくさんの音を途切れないように連続してくる感じで、それをクレシェンド(だんだん強くする)させてくるのだ。しかしそのクレシェンドは案外に短めで、決してくどくはない。このserenity・・・フェルドマンという人の核心が表れたような曲、演奏だと思う。きっとフェルドマン自身も充分に満足したはずだ。そう確信できるほどに、このレコード・ジャケットのフェルドマンは素晴らしい笑顔を見せてくれている(笑)
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2016年1月 1日 (金)

<ジャズ雑感 第40回> マイルスのスケッチオブスペインのことを少し。

だいぶ前にマイルスの傑作~「マイルス・アヘッド」について書いたことがある。僕にはふとした時に想い出すメロディー(とそのサウンド)というものががいくつもあって、するとそれは・・・いつもマイルスのMiles Aheadに入っているメロディじゃないか・・・あのレコード全体の雰囲気みたいなものがどうにも体に染み着いてしまっているようだ~そんな内容だったはずだ。
どうしてそんな風になるのか、というと・・・マイルスという人はその音色・表現に圧倒的な存在感があって、その音色~言ってみればその人そのもの~を一度(ひとたび)好きになれば・・・ちょっと溜めたようなタイミングのフレーズも含めて、もうマイルスという人を大好きになってしまうのだ・・・そんなことも書いたかもしれない。そうして、そういう気分は今でも変ってないようで、あのレコード「マイルス・アヘッド」を掛けると、ほとんどの場合、両面を聴いてしまうくらいに・・・好きなのである(笑) 

ギル・エヴァンスがどうも苦手で・・・という方も多いかと思われますが、そういう場合は、ぜひ「マイルスの音色」だけに集中して聴いてみてください。その内にマイルスの音色と「合うように」鳴らされているはずのギル・エヴァンスのサウンドにも自然と馴染んでくる・・・ように思います。そんなわけで「マイルス・アヘッド」については、自分の想いみたいなものを整理できているのだが・・・実は、もうひとつのギル・エヴァンスとの大作『Sketches of Spain』については、夢レコでもほとんど触れたことがなかった。この作品・・・僕は1980年頃だったかに国内盤、その後、6つ目ラベルのステレオ盤とモノラル盤を入手して何度も聴いてきた。

Dscn3185 もちろん気にいらなかったわけじゃない。だけど「マイルス・アヘッド」と比べると、何かがちょっと違うような感じもあって・・・それはごく簡単に言えば、ちょっと堅苦しい感じで・・・素直に「大好きだ」とは言えないような感覚もあって・・・特にこの「スケッチ・オブ・スペイン~A面の「アランフェス協奏曲)」については、何をどう書いたらいいのか判らない・・・という気分だったのだ。

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1ヶ月ほど前に、マイルスの『モア・ミュージック・フロム・カーネギーホール』というレコードを入手した。このLP・・・当時のマイルスの未発表音源(1961年:カーネギーホール)をCBSソニーが1987年に発売したものである。自分の好きなマイルスの未聴レコードを今頃になって購入するというのも、実に暢気(のんき)な話しである(笑) 
Dscn3188このレコード・・・目玉はもちろん<アランフェス協奏曲のライブヴァージョン>だったはずだが、当時、僕はそのことを知ってはいても・・・この未発表音源LPを買わなかったのである。
2800円という若干高めの価格に(当時はCDは3200円、LPだと2800円というパターンだった)抵抗感もあったかと思うが、買わなかった理由はそれだけじゃない。正直に言おう・・・やっぱり「アランフェス協奏曲」そのものにそれほど興味を持てなかったのだ(笑) だからそのライブヴァージョン発掘!と言われても価値を感じなかったのだろう。

Dscn3189 「アランフェス協奏曲」はクラシック原典の曲で、哀愁感たっぷりのメロディーが素晴らしいものだが・・・全編、ゆっくりなテンポのルバート風なので、ビート感がないというか、いわゆるノリノリの4ビート場面はちっとも出てこないわけで・・・4ビートジャズを好きな方が普通のジャズを期待して聴けば・・・やはり退屈なものになるかもしれない。マイルスを好きだと自覚していた僕も、退屈とまでは言わないが、変化に乏しくてベタ~ッとした感じ・・・そんな印象を「アランフェス」に抱いていたのかもしれない。
ところがこの7~8年のことだろうか・・・僕も少しづつクラシックを聴くようになってきて・・・とは言っても、ラベルやドビュッシーのピアノもの、チェロ、クラリネット、それから弦楽など、ジャンルを限定した一部のクラシックに馴れてきたという程度だが、いずれにしても、クラシックのサウンドそのものや、1曲が長尺であることに対しても、以前ほど違和感を覚えなくなってきたのだ。

1/9追記~コメントやりとりにおいて面白い話題が浮かび上がった。マイルスとギル・エヴァンスがこの『アランフェス協奏曲』を採り上げることになったきっかけについて、この「スケッチ・オブ・スペイン」の裏ジャケット解説に載っている。
それは≪1959年の初頭、マイルスが西海岸に居た時、彼の友達が「アランフェス協奏曲」を掛けて聴かせた。マイルスが後日、こう語った『2週間ほど聴き続けたその後になっても、その曲のことがどうにもアタマの中から離れないんだ~~~で、そのレコードをギルにも聴かせてやったら・・・彼もそれを気に入ってくれたんだ≫
こんな感じなのだが、曲名の後そのレコード番号≪CL-5345≫まで書いてある。うん、何?・・・という感じなんだけど、これ、さすがColumbiaレーベルさん、そのレコードが自社発売のものだったので、宣伝も兼ねて、CL-5345と載せたのだ!(笑) 
グーグルで「CL-5345」と入れると・・・すぐ出てきました。これです。



レナータ・タラーゴという女性ギタリストのレコードだったんですね。CLはColumbiaのモノラルを表しますから、写真のように「灰色ラベル」でいいわけです。1959年初頭に、このレコードをマイルスとギルは聴きまくった・・・ということが判りました。
この辺りのことについて、yositakaさんがさっそくご自身のブログ<児童文学と音楽の散歩道>で詳しくレポートしてくれました。こちらでどうぞ。
http://blogs.yahoo.co.jp/izumibun/39808256.html

そんな中、僕はこの『アランフェス協奏曲~未発表音源』を発売から28年後に、初めて聴いてみたわけである。そうして・・・ある意味、クラシックに馴れた耳で聴いた、このライブ版~マイルス/ギル・エヴァンスの『アランフェス協奏曲~未発表音源』・・・これがなかなか良かったのだ(笑) ≪Sketches of Spainは1960年5月録音、このライブは1961年5月。1960年録音の「アランフェス」は約16分、この「ライブ版・アランフェス」も約16分・・・ということは、やはり同じ譜面を同じような編成で演奏したのだろう≫
聴きなれたはずのギルエヴァンスのアレンジ・・・同じアレンジのはずだが、カーネギーホールでのライブということもあってか、なにやらバックの伴奏陣が、みんな張り切って、1年ぶりに見る譜面を前にして皆が懸命に吹いているような気配がある。
レコードで聴きなれたアレンジと同じ構成・進行で、しかし前述のように、ライブで演奏されているのだが・・・とにかくその響きが妙に新鮮に感じられるのだ。そしてここに・・・マイルスが登場するのである。マイルスは出だしからどっしりとゆったりしたノリで、フリューゲルを鳴らす。そんな音色で、あの哀愁のメロディを奏でるわけで・・・これは効く(笑)
う~ん・・・これは凄く生々しいぞ! ホールでのライブだから・・・生々しいのは当たり前かもしれないが、録音の感じも臨場感たっぷりで、マイルスが、伴奏陣が・・・カーネギーのステージのそこら辺りで演奏している・・・そんなリアリティを感じられるのだ。
このアランフェスが(同じ譜面だったとしても)スタジオで粛々(しゅくしゅく)と録音されていったであろう、そういうスタジオでの緊張感とは別の、このカーネギーホールという大舞台ならではの、ミュージシャンたちの気概みたいなものに溢れた、いい演奏じゃないか・・・と僕は感じ取ったのだ。
そして、録音もそれほど悪くない。マイルスのフリューゲルはやや左側から聴こえる。ベースも左だ。全体のバランスとして・・・マイルスのフリューゲルの音量に対して伴奏陣全体の音量(レコードでの聞こえかたとして)が大きすぎるようにも感じる場面もあるけれど・・・ギルエヴァンスのアレンジした玄妙なるサウンドがしっかりと聞き取れるので、僕にはそれほど嫌ではない。
全編に聴かれる「今、ステージで演奏している」ような生々しさが、とても魅力的な「アランフェス」になっていると思う。
ラストは、マイルスが2つの音のトリルを何度も繰り返しながら・・・案外にあっさり終わる。
実はこの、ライブ版「アランフェス」を知ってから、スケッチオブスペイン版「アランフェス」を改めて聴いてみると・・・これがまたいいのである(笑) 印象としてはちょっと大人しい感じだけど、そこには端正な味わいもあって、やっぱりとても良いのである。これは・・・これからまた、モノラル盤、ステレオ盤といろいろ聴き比べる楽しみができたというものだ(笑)

そして、「アランフェス」の終わった後に、Will O the Wisp という曲が続くのも悪くない。このWill O the Wisp なる曲・・・原典は、スペインの作曲家;ファリャのバレエ曲~El Amor Brujo から、ギルとマイルスが選んだ1曲とのこと。ジャケット裏の解説にそう書いてある。
その原盤裏解説がナット・ヘントフによるもので、これが素晴らしい内容なんだが、ものすごく小さな活字で縦4列にびっしりと埋まっており・・・読むのに実に難儀なんです(笑) まだちゃんと読んでないのですが、スタジオでのマイルスやギルの様子や、テオ・マセロも交えて3人の会話の様子なども描かれており、とても興味深い裏解説です。
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この「アランフェス協奏曲」について、マイルス自身の言葉として載っている部分を見つけたので、ここで紹介しておきたい。
*裏ジャケット写真~縦4列の右から2列目の真ん中辺り~
you know・・・the melody is so strong・・・の箇所。 

≪いいか・・・このメロディはとっても強力なんだ。どうこうしようとする余地なんてないんだよ。このメロディでビバップなんてやろうとしたら・・・それこそ愚の骨頂だぜ。今、オレがやらなきゃならないのは、ものごとを結びつけることなんだよ。オレが吹くことで何らかの意味を持たせることなんだよ≫

う~ん・・・やっぱり、マイルスって人は、どこまでも自覚的・・・全部、判ってやっている人なんだなあ・・・実にかっこいいじゃないか!
この『ライブ版・アランフェス』を聴いた後に、スタジオ版「アランフェス」を聴くと、ちょっと大人しい感じを受けるけど、しっかりした端正さもあり、それがまた悪くないのである(笑) 改めて感じたのは・・・どちらのヴァージョンでも、実に堂々と、自分の間合いで自分の詩(マインド)を歌い切っている、マイルスという人の大きさというか・・・ミュージシャンとしての度量の大きさというか・・・なんにしても、マイルスは素晴らしい(笑)

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2009年12月19日 (土)

<ジャズ回想 第21回>コルトレーンのことも少し・・・take the Coltrane!

さて・・・コルトレーンである。「さて」というのは・・・前回の<サウンド・オブ・ミュージック>記事の最後のところに、つい、コルトレーンの名を出してしまったからで、あれは、my fevorite things 繋(つな)がりからのコルトレーン記事を確信的に意図していたわけではないのだが、その方向を全く意識していなかったのかというと、やはりそうでもなく(笑)・・・まあ、そんなわけで「コルトレーン」のことを書いておこうと思うのだ。
このブログ<夢見るレコード>を始めたのが2005年6月だったから、もう4年半ほどになるが、そういえば、コルトレーンのことをあまり取り上げていない。だいぶ前に、prestigeの『コルトレーン』、riversideの『モンクス・ミュージック』、それからロリンズとの対比でちょっと触れたことくらいだと思う。
http://bassclef.air-nifty.com/monk/2005/06/post_8ec3.html
http://bassclef.air-nifty.com/monk/2005/06/post_51a7.html

コルトレーンという人の音を最初に耳にしたのは・・・マイルスの<ラウンド・アバウト・ミッドナイト>だったはずだ。FMラジオのジャズ番組でその演奏を聴いて(録音もして)何度も聴いた。中3の時だったと思う。だけど、それはマイルス・デイヴィス、あるいはセロニアス・モンクという人を意識しての<ラウンド・アバウト・ミッドナイト>聴きだったので、正確に言えば「コルトレーンの音を耳にしていた」というだけで、その時点では、僕はまだコルトレーンという人を強くは意識していなかった。
その名演からジャズという音楽に惹かれ始めた僕は、そのうちジャズ雑誌やジャズ本を読むようになった。今、思えばあの頃のジャズ活字の世界は「コルトレーンは素晴らしい!」というものばかりだったわけだが(例えば、コルトレーンに比べれば凡庸なハンク・モブレイとか・・・)ジャズに入れ込み始めた高校生としては、そんな「コルトレーン賛美」に影響されないわけにはいかなかった(笑)1
当時、圧倒的に影響されたのは、立花実という人の「ジャズへの愛着」(ジャズ批評社)という本である。この本・・・街の図書館にあって高1の時(1972年)に読んだのだが、それはもう感動的なまでに著者の心情溢れるもので、<コルトレーンのバンドには真の音楽的交流があって、それこそが「共同体」と呼べるものだ>・・・みたいな内容だったと思う。まあ正直に言えばその辺のことはよく判らなかったが、ジャズに入れ込み始めた高校生には「共同体」というフレーズは・・・よく効いた(笑)
その立花実氏の本には、モンクス・ミュージックのことも書いてあって、「モンクの不思議な和音と格闘するコルトレーン」というような記述だったはずだ。そうして、立花氏はその音楽的格闘を激賞していた。2
その本を読んでから・・・素直な僕は「これは、コルトレーンを聴かねばならない!」と決意し(笑)コルトレーンという名前を意識するようになった。そんな頃、ネムジャズインを見に行った翌日(徹夜明け:笑)、名古屋で見つけたのが『モンクス・ミュージック』(ABC riverside盤)である。立花氏が描写した「モンクの和音に、一瞬、飲み込まれそうになったコルトレーン・・・しかしそこから決然とモンクに戦いを挑むコルトレーン」という、正にその場面を実感できるwell,you needn'tを何度も聴きまくった(笑)そうして、コルトレーンを好きになった。次に買ったのが、マイルスの傑作~Kind Of Blue(CBSソニー盤)である。

この高1の夏にこの2枚を聴き込んだことで、たぶん・・・僕はコルトレーンのテナーの「音色」を覚えたはずだ。「覚えた」というのは・・・他の知らないレコードを聴いても「ああ、このテナー(の音色)はコルトレーンだ)!」と「判る」という意味合いで、まあコルトレーンという人の音色はとても特徴的なので、そういう意味ではとても「判りやすい」ミュージシャンなのかもしれない。
「判る」といってもそのレコードを特に分析的に聴いたということではなく・・・好きなレコード(音楽)を集中して聴き込む時、その音楽というものは、たぶん、耳で聴いて感知しているだけではない。その音楽の振動が体のあちこちの細胞に沁み込んでしまうものだ。比喩的ではなく、体が覚えているというか・・・(笑)
ちなみに、コルトレーンの音色というのは~音というものはいつでも言葉では表現しにくいものだが~肌合いで言えば、その音色はとても硬質な感じで、そうだな・・・コールマン・ホーキンスやソニー・ロリンズの音色を<木の質感>とすれば、コルトレーンのそれは遥かに金属的で、しかしそれほど冷たい質感ではなく<質のいいきめ細かい肌触りのメタリック>という感じか。
私見では、同時代のどのテナー奏者にも似ていない、ちょっと「新しい音」だと思う。余談だが、1960年頃のジミー・ヒースが、ちょっとコルトレーンに似た音色をしているように思う。同時期のベニー・ゴルソンは、音色は似てないがフレーズがちょっと似ているような気がする。
そして、ちょうどその秋にビクターが1100円盤シリーズを発売することになったのだ。街のレコード屋に出入りしていた僕は、そのチラシを入手して発売前からどれを買おううかと・・・あれやこれや思案していた。そうしてようやく決めたのが、『コルトレーン』『モンクとロリンズ』の2枚である。

005《1972年秋にビクターから発売された1100円盤シリーズ~まさかこのシリーズのコレクターはいないと思うが(笑)ちょっとした特徴としては・・・解説書は一切なし。外見的には、ジャケ裏右下の<1100円という定価とPJ~12>というシリーズ番号が入っていること。そして、センターラベル外周部分に何のアドレス(住所)表記もないことくらいか。余談だが、当時、このシリーズを入手した方が、この<1100円~>箇所をナイフで削った・・・という涙ぐましいエピソードを読んだことがある(笑) その頃、僕は「オリジナル盤」というものの価値を知らなかったので、そのエピソードを不思議に感じたものだ》

今、思えば、立花実氏の絶賛した精神共同体のコルトレーンとは・・・もちろんimpulse期(それも後期)だったのだが、当時はそんなレーベル変遷の知識もなく、単純に「コルトレーンはコルトレーン」だと思っていた。そして、この1100円盤シリーズはprestige原盤~1950年代のバリバリのハードバップ~だったのだ。
『コルトレーン』は、初めて聴く<1957年のコルトレーンのリーダー作>だったわけだが・・・先にKind Of Blueの新しいサウンドを聴いていた僕としては、いきなりバリトンサックス(サヒブ・シハブ)の急速調のリフの繰り返しから始まる何やら忙(せわ)しない感じのA面1曲目(bakai)に、「あれ?ちょっと・・・暑苦しいなという印象を受けた。kind of blueのあの静謐(せいひつ)なサウンドと比べればそれも無理からぬことだったと思う。しかし、それも何回も聴いている内にすぐ慣れた。そうして、2曲目が・・・「コートにすみれを」なのである。
これが・・・本当にすう~っと清冽な気持ちになってしまう素晴らしい演奏だった。この曲のことは、だいぶ前の夢レコ(マット・デニス作の曲)の中で少し書いたことがある。とにかくいいメロディといいハーモニーの素晴らしい曲なので、実際、あの1957年時点で、この曲を、バラードとして自分のリーダー作にセレクトした・・・というそのことにこそ、コルトレーンの素晴らしいセンスがあったのだ・・・と僕には思えてくる。
そういえば、マイルスの述懐として「なぜあんな下手な新人を使うんだ?」とか仲間から言われた~とかいう記事を何かで読んだことがある。「マイルスバンドの新人」という位置づけなので、たぶん1956年以前のことかと思われるが、それはコルトレーン賛辞ばかりの中で、当時は唯一の、マイナスイメージの話しだったように思う。

004もちろんジャズを聴き始めの高校生には、そんな技術的なことは判らない。
「そうかあ・・・あれでも(あんなに巧くても)下手というのかな?」いうくらいの感想だった。たぶん、その「下手~」というのは、コルトレーンのうんと初期の頃のことだったのだと思う。そういう意識でもって初期のコルトレーンをいろいろ聴いてみると・・・もちろん下手なはずはないのだが、ただ、わりと頻繁に「キィ~ッ」というリードミスの音が出たり、それからソロの途中でフレージング(アドリブのメロディ造り)が、ちょっとモタモタした感じになったり・・・という部分もあり、その辺が、ホウキンスやベン・ウエブスター流れのソフトでスムースな流れのアドリブから比べれば「ゴツゴツとして不器用」な感じは確かにある。しかし、その硬質な音色やフレーズの根本的な新しさ・・・これはもう圧倒的にそれまでと違うテナーである。マイルスにしてみたら、「みんな判っちゃいないぜ・・・あいつの凄さが・・・」てなもんだったんだろう。そんな風なマイルスの述懐もあったかと思う。
しかしそのマイルスも、prestige作品のいくつかのバラードではコルトレーンを登場させていない。この辺・・・マイルスはそのバラード全体の構成と、この時期(1955年~1956年)のコルトレーンの実力までもちゃんと考え併せて・・・スローバラードでは、曲のバランスを崩してしまいそうなコルトレーンを、あえて外したのだろう。
(実際~it never entered my mindでは、コルトレーンのテナーは、演奏の最後の最後にプア~ッと鳴るだけだ:笑)
僕の勝手な推測では・・・この時、コルトレーンは「なぜだ!なぜオレを使わないのだ!」と怒りに打ち震えた(笑)コルトレーンは早い時期からもう絶対にバラード好きのはずなのだ。「バラードも吹きたい・・・」とコルトレーンは悶えていたはずなのだ(笑)
そうしてコルトレーンは、その直後の自分のprestige期リーダーアルバムで、敢然とスローなバラードに挑戦しているのだ。1957年の最初のリーダー作『Coltrane』には2曲のバラードが収録されている。今ではとても有名になった<コートにすみれを>と、もうひとつ、とても地味な<while my lady sleeps>である。(私見では、実はこちらの<while~>もなかなか素晴らしい。バックに同じパターンを弾かせながらテナーだけがメロディを変化させていく~その感じがちょっとモード的でもあり、コルトレーン的な「唄い」にフィットした、何やら新しい感じがある演奏だと思う。
さて、<コート~>を聴くと、コルトレーンはたぶんシナトラを聴き込んでいたのだろうな・・・と思えてくる。シナトラはすでに1940年代にこのマット・デニス作の名曲を吹き込んでいる。ジャズのインスト版としては、1956年7月録音:ユタ・ヒップ(p)とズート・シムス(ts)のbluenote作品(Yuta Hipp with Zoot Sims)が最初だろうか。当時、録音から発売までは案外に早かったらしいので、ひょっとしたらコルトレーンは、発売仕立てのその『Yuta Hipp with Zoot』を聴いて、この曲を気に入ってしまったのかもしれない。そうして1957年3月録音の『コルトレーン』に、この<コートにすみれを>を吹き込んだ・・・。シナトラかシムスか、
あるいはその両方か・・・。いずれにしても、この曲はコルトレーンに合う。それまでのスローバラードというのは、テンポはスローでも、たいていベースは4拍を刻んで、ゆったりと弾むような(バウンス)全体に「ゆったりと」という雰囲気だったように思う。コルトレーンは(もちろん、そのやり方をマイルスの方が先にやっていたわけだが)テーマ部分ではベースには2拍を打たせ、つまり、リズムにうんと間を持たせて・・・その分、テナーがメロディをあまりフェイク(変えること)せずに、ゆったりと音を伸ばしたのだ。時には、伸ばした音の後に、弱めの音量でパラパラっと短めに入れるグリッサンド風なフレーズ・・・これも実に粋なのだ。音のことはなかなか表現しづらいが、ひと言で言えば「瑞々しい」という感じか。とにかく・・・コルトレーンのバラードはいい。何がいいのか・・・というのは、もう感覚の問題ではあるが、強いて言えば・・・それは、その音色の新しさが生んだ<ちょっとビターな情緒感>みたいな感じだと思う。柔らかい音色でラプソディックに吹かれるバラードも(例えばコールマン・ホーキンス)もちろんいいものだが、コルトレーン流のバラードから匂い立ってくる<凛(りん)とした佇(たたず)まい>・・・これにも強烈に「新しいジャズ」を感じる。
そうなのだ・・・コルトレーンは、ついに自分の硬質な音色に合う新しいバラード奏法を見つけたのだ。コルトレーンの<コートにすみれを>は、本当に素晴らしい!
この傑作バラード演奏で、僕が特に好きな場面がある。それは・・・ガーランドのピアノソロが終って、コルトレーンが入ってくる瞬間だ。
それはサビの(曲の途中でメロディの展開がちょっと変わる箇所のこと)出だし・・・1拍だけ待って・・・それはググッと堪えていた情緒をここで一気に吐き出すかのような、一点の迷いもなくキリッとした決意を持って吹き込まれる、低い方から高い方へ一気に上がる切れのある16分音符の(4つ目の音はタイで繋げて伸ばす)フレーズだ。
こんな瞬間があるから・・・僕はジャズを止められない(笑)

ああ・・・すっかり『コートにすみれを』の話しになってしまった。まあいいじゃないか・・・ジャズにアドリブは付きものだ(笑)コルトレーンのmy fevorite thingsについてはまた別の機会に。

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2006年12月21日 (木)

<思いレコ 第13回>Miles Davis/Someday My Prince Will Come(columbia)

「いつか王子様が」~ウイントン・ケリー、3拍子の切れ味。

Dscn1526_3 ふとした時にアタマの中に聞こえてくる「音」というものがある。いつだったか、この<夢レコ>でも書いたように、僕の場合はマイルスのものにそんな「音」が多い。マイルスのLPはどれも好きで何度も聴いたものだが、とりわけ好きなのが、このSomeday My Prince Will Comeだ。実際・・・僕はこの「Someday~」を、いったい何回くらい聴いてきたのだろうか。何度、聴いてもそのたびに「う~ん・・・いいなあ」という想いでいっぱいになってしまい、A面が終わると、1曲目のSomeday~だけもう1回聴いたりするのだった(笑)
そんな風だから、どうやら細胞のどこかにこの「音」が染み込んでいるらしく、ふとした時にアタマの中にあのベースの音~
bom,bom,bom/bom,bom,bom/bom,bom,bom/bom,bom,bom~が聞こえたりする。そうなると・・・もういけない(笑)その後のケリーのブロックコードやら、マイルスがテーマを吹く時のミュートの響き具合やらが、どんどんとアタマの中にあの曲が流れてきてしまうのだ。

bom,bom,bom/bom,bom,bom/bom,bom,bom/bom,bom,bom・・・最初、そんな風にチェンバースがウッドベースの1弦のF(ファ)の音だけを弾き始める。これはウッドベースではけっこう高い方の音程で、ギターのフレットで言うと3弦の10フレットの位置になる。この「ボン・ボン・ボン」(1小節に3回)を4小節(12回)続けると・・・ケリーのピアノが入ってくる。モダンな響きの感じのするコード(和音)だけでまず16小節。次にケリーは、右手のシングルトーンで軽くアドリブを入れてくる。アドリブといっても、まだ曲のテーマが出る前のイントロ部分なので、軽くいこうぜ、という予告編くらいの感じだ。しかし・・・この予告編でのケリーはいい。3拍子の「ノリ」が素晴らしいのだ!
チェンバースがきっちりと(どちらかというとやや無表情なくらい)3拍づつ刻むF音にのっかって、ケリーは、キレのいい右手で飛び跳ねる。アイディアに満ちたフレーズを、全く力まずに、軽く、そしてしなやかに弾き込んでいる。ワルツというリズムに独特の躍動感みたいなもの~まさに鮎が水面に飛び跳ねているような~そんな感じが、うまく現れているのだ。ケリーの3拍子は全く素晴らしい!
そんなわくわくさせるようなケリーのアドリブ予告編が16小節続くのだが・・・まだ「いつか王子さまが」のメロディは出てこない。これっぽちも出てこない。おそらく「出してはいけなかった」のだろう。この辺り・・・全てはマイルスの指示のはずだ。「絶対に主メロディは弾くなよ」と、あの声で言ったに違いない(笑) そう確信できるのは、やはりさきほどの「チェンバースのF音連打」なのである。チェンバースは、出足のベースだけの部分から1弦Fの音を続けている。マイルスが入ってくるまで、本当に同じ音だけを延々と弾き続けているのだ。試みにちょっと小節数をカウントしてみた。1小節に3回のF音を弾く計算だ。
ベースのみ部分4小節(12回)
ケリー/和音部分16小節(48回)
ケリー/アドリブ部分16小節(48回)・・・都合、108回のF音のみ連打である。ああ、そういえば、さっきチェンバースがF音を弾き続けるのは「マイルスが入るまで」と書いたが、実はもうちょっとオマケがあった。マイルスがテーマを吹き始めての8小節は・・・やはりF音を続けているのだ。だからそれも足すと・・・108回+24回=132回だ。ただでさえベースのランニング音をメロディックに変化させることを好むチェンバースが、自分のチョイスとしてこれだけ同じノート(音程)を続けられるだろうか? やはり・・・マイルスの指示だと思う。それにしてもいくらマイルスの指示でも、チェンバースもいい加減、厭きただろうなあ・・・(笑)
でも、ここでぐぐっとガマンするから・・・いよいよ入ってくる「いつか王子様が」のメロディが生きてくるのだと思う。こんな具合にさんざんじらしておいて・・・いよいよマイルスがテーマのメロディをミュートで吹き始める。
そりゃあ、マイルスは気持ちいいだろうなあ・・・そんなマイルスが小憎らしいけれど・・・聴いている方も、本当に気持ちよくなってしまうのだ。そういえば・・・小さい頃、TVの相撲中継を親父と見ていたのだが、千秋楽の大一番だというのに、なかなか始まらない。仕切り前の儀式めいた段取りがやけに長いので、僕が「早くやればいいのに」と言うと、親父は「バカッ!これがいいんだ!」と力むのであった。あれと同じ理屈かもしれない(笑)

マイルスのこんなやり方は、たぶん当時1960年では珍しかったと思うのだが、今でいう「ペダル」(曲が進行してコードが変わっていっても低音部だけは同じ音程を維持していくような手法)とよく似ている。ただ「ペダル」というのは、たいていは低い音域でやるのに、この曲では高域F連打なので、言わば「逆ペダル」だ。
ちなみに、このチェンバースのF音連打のパターンは、ソロとソロの間つなぐブリッジの部分でも、それから曲のエンディングの部分でも出てくる。それらが実に効果的なのだ。そしてそれに乗っかるケリーのアドリブがまたかっこいい。それにしても・・・ディズニー映画のかわいらしいワルツ曲に、こんな演出を加えて、しかもそれがムチャクチャ効果的になっている~そんなマイルスの構成力というのは、本当に素晴らしい。Dscn1570_1

《columbia:PC8456》1977年頃の米再発。センターラベルは・・・うんと安っぽいので、あまりお見せしたくない(笑) 60年代に入った頃のcolumbiaのステレオ録音は、ベースやピアノ、そして管の音も、意外に厚めの音で、しっとりとした味わいがある。好きなステレオ録音だ。6つ目のステレオ盤(CS8456)が欲しいなあ(笑)~先日、このレコードの1961年のオリジナル盤で「いつか王子様が」を聴き比べる機会があった。想像していたとおり・・・モノラル盤(recooyajiさん)、ステレオ盤(konkenさん)ともに、やはり素晴らしい音だった。「モノラル」での各楽器の厚みや豊かさも凄い。ステレオだと、もう少し全体に軽みがでてきて優しい味わいになってくる。いつもおとなしめにシンバルを鳴らすジミー・コブのシンバルのライトな味わいには「ステレオ」の方が似合うように感じた。もともと僕は、ベースやドラムスがちょっと離れて聞こえた方が好みなので~もちろんリアルステレオでそれぞれの楽器の音圧(実体感みたいなものという意味合い)がしっかりと録られていることが前提だが~「ステレオ録音」の方がより好みだった。そういえば、ニイノニーノの新納さんは、以前からHPでも「VictorやColumbiaなど大手はステレオ録音の方が優れている」と書いておられたが、僕なども、ヘンリー・マンシーニのあのゴージャスなサウンド(「ハタリ」や「ピンク・パンサーなど)をステレオ盤で味わうと、その意見には大きく頷いてしまうのである。
【追記】NOT(ブログ~These Music Suit Me Well)さんが、さっそくこのSomeday My Prince Will Comeの1961年オリジナルの6つ目:ステレオ盤/モノラル盤のセンターラベルの詳しい記事をアップしてくれました。う~ん・・・ラベルの世界も深い(笑)

ジャケット話しでひとつ。カヴァーの女性はフランさんという当時のマイルスの奥さんだったとのことだが、ステレオ盤とモノラル盤には、些細な(いや、しかしけっこう大きなとも言える)違いがある。ジャケットの一番下の方~フランさんの胸元の「青い布切れ」の見える分量がだいぶん違うのである。ステレオ盤だとほんの少し。モノラル盤だと1cm以上は見える。この辺りの「ステレオ盤/モノラル盤についてのジャケットの謎」については、拙ブログにリンクしてあるmono-monoさんの記事に詳しい。おもしろいですよ。

さて・・・もうひとつ、ケリーのピアノのことを。
マイルスがテーマの出足、8小節を吹いている時~チェンバースはまだ高音F音を続けているのだが~この時、どうにも印象的なケリーのバッキングがある。ケリーがとても切れ味の鋭いコンピング(バッキングの時、主にコード(和音)を弾くこと・・・かな?)を、ワルツの3拍子の普通には入れないようなどうにも微妙な位置に、すごく短く「スッ!」「スッ!」と・・・そう、まるで豆腐に包丁を沈めるような感じで、差し入れてくるのだ。この曲を何度も聴いてきたが、特に分析的に聴いたわけでもなく、だから僕には、なかなかその「スッ!」のリズム~タイミングが判らなかった。ただ「かっこいい!」と感じていたのだ(笑)
3拍子でのアクセントの付け方というものに絶対の決まりがあるわけではないと思うが、例えばドラムスのハイハットについて言えば・・・1956年頃からマックス・ローチがやったのは・・・少なくともテーマの部分のバッキングでは「1、2、3」の2拍目と3拍目にハイ・ハットを踏むやり方だったと思う。あるいは2拍目だけにハイハットという場合もあったかもしれない。1、2、3とノル場合、普通に考えても、これなら自然にノレる。だから・・・その後も、このローチ方式がたぶん一般的になっていったように思う。
余談だが、初期の3拍子ジャズを聴いたなかで、どうにも違和感を覚えたプレイがあった。もちろんローチのではなく、誰のレコードだったか忘れてしまったが、そのドラマーは、3拍子の曲にも関わらず、全く普通に4拍子の場合と同じように、ウラ打ち(2拍目と4拍目にハイハットを踏むこと)をしていたのである。たしか最後までそのやり方で踏み続けていたので、確信犯だったとは思う(笑)
そういう踏み方をすると・・・どういう風に聞こえるのか?文字ではなかなか説明しづらいのだが・・・3拍子が2小節で「1、2、3/4、5、6」と6拍分のカウントとなる。この6拍をひとつの単位として捉えた場合、ハイハットの2拍・4拍打ちをそのまま機械的にあてはめれば「1、、3/、5、」の最初の小節の2拍目(2番)と、2小節目の1拍目(4番)と3拍目(6番)の位置にアクセントがくることになる。口で言うと・・・「ウ・チャ・ウ/チャ・ン・チャ」(チャがアクセント部分)てな感じか。3拍子を2小節単位でくくれば、こういうアクセントの入れ方も全くOKなわけで、ちょっと聴くのに慣れさえすれば・・・自然なノリに聴けると思う。ただ、僕が聞いたレコードでのその「3拍子ウラ打ち死守」違和感を覚えたのは・・・聴いていて、どうにも「ノッて」なかったからである。おそろしく不自然な感じがした。
おおまかに言えばアクセントの位置自体は、この2、4、6の位置でも合っているとは言えるのだが、それは・・・6拍単位のウラ打ちでも数字上の辻褄は合う~というだけのことのように思う。音楽は「辻褄合わせ」だけでは面白くないのだ。

そうしてこの間、なにげなく「いつか王子様が」を聴いていたら・・・「ぽっ」とアタマの中に電気が点いた(笑)  そうだっ!ケリーは、正にこの6拍単位での2、4、6の位置にあの「スッ!」「スッ!」を入れていたのである。ただし・・・先ほど「面白くない例」として挙げた機械的な6拍のウラ打ちではなく・・・「スッ!」が、実に微妙なタイミングで差し込まれているのだ。
3拍子でノッている以上、やはり1、2、3、1、2、3というカウントの中での生き生きしたノリが必要なのだと思う。その「ノリ」とは・・・微妙なシンコペーションであると考えている。この6拍ウラ打ちで3拍子特有の揺れるような感じを出すには・・・2小節目の1拍目・3拍目(つまり4番目と6番目)の位置に、わずかに「突っ込むような感じ」が必要なように思う。そうして、ケリーは・・・このサジ加減が実に絶妙で、一瞬、大丈夫かな?と感じてしまうほど突っ込み具合が「切れて」いるのだ。素晴らしいセンスだと思う。
この辺りのことは、本当に微妙なタイミングのことなので、とても文字では言い表せない。興味がある方は・・・ぜひ、このマイルスの「いつか王子様が」を、マイルスがテーマを吹き始めた際のケリーのバッキングを、ぜひ聴いてみてください。

みなさんもたぶん大好きであろうこの曲~マイルスが練りに練って構成したであろう「いつか王子様が」。
マイルス、モブレイ、コルトレーンの素晴らしいソロが聴き所であることはもちろんだが・・・ケリーならではのムチャクチャに鋭いセンスがあったからこそ、あのチャーミングなテーマを持つ3拍子が、本当に生き生きとしたものになったように思う。Dscn1569

さあ・・・マイルスがテーマを吹き終わった後に、再び始まるチェンバースのF音連打・・・そして再びケリーの見せ場。ケリーのピアノがぐうんと冴えてくる。このままいつまでも続けていけそうないいアドリブだ。
だがしかし・・・マイルスの鋭い構成力がそれを許さない。ケリーがシングルトーンを弾いている途中で、全体の音量を少し下げさせた後に、今度はクレシェンドをかけさせる~この辺り、チェンバースに向かって手のひらを上に向けて「上げろ」と指示しているマイルスが見えるようだ~チェンバースの音量が俄かに上がってくる。そのクレシェンドに反応したケリーがブロックコードのバッキングに戻してくる。ああ・・・これで終わるのだなあ・・・誰もがそう思ったそのとおりに・・・ケリーの終止感の薄い不思議な和音で「すう~っ」と、この曲は終わるのだ。見事なエンディング!
そうしてそのケリーの最後の音が伸び切ったその時「ッポン!」という音が聞こえる。あの「ポン!」の意味するものは・・・マイルスの会心の「OK!」のように、僕には思えてしまうのだ。
それにしても・・・あれはいったい何の音なんだろう?(笑)

【追記】 bsさん、貴HPの戯言日記にて当記事を話題のこと、ありがとうございます。リンクしてあるbsさんのHP(blue spirits)には、もうだいぶ前からこのマイルスのSomeday記事が載っております。僕の記憶の中では「恐るべき傑作」というようなbsさんのコメントが印象に残っていた。拙ブログをアップしてから再読しました(先に読むと影響されてしまいそうで:笑) マイルスの曲順に至るまで練りに練ったやり口を「悪魔の仕業」とまで激賞されております。全く異論ございません(笑) 

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2005年10月 3日 (月)

<思いレコ 第6回> ビル・エヴァンス/Peace Pieace & Other Pieaces(milestone)

マイルストーンの2枚組~ビル・エヴァンスのこと。

マイルストーンの twofer シリーズというものがあった。1972年頃から、主にRiverside、Prestigeの音源を2枚組として、再発したものだ。2枚組の廉価盤・センターレーベルも「濃い朱色のマイルストーン」・安っぽいジャケ写真・盤もペラペラ、という体裁なので、コレクト的価値は・・・ほとんどないだろう。今でも中古店で時々は見かけるが、かわいそうなくらい安かったりする。しかし、このtwoferが初出自だったセッションもけっこうあり、OJC以前には、とても重宝したのだ。当時は、ジャズ雑誌などにも輸入盤の情報などほとんどなかった。だから名古屋まで出かけて、輸入盤を扱うレコード店で「初めて」目にするのだ。そうして、その場で中身(の価値)を判断するしかない。最初の頃のtwoferは、ビッグネイムのミュージシャンのベスト集みたいな編集だったが、すぐに、2種のオリジナルLPをそのまま2枚組とすることが多くなったようだ。そして・・・その再、「未発表テイク」がいくつか付け加えられていることがたびたびあったのだ。マイルストーンは、オリン・キープニューズが監修していたので、特に「リバーサイド音源」のLPにその追加テイクが多かったのだ。僕の記憶では、「新品」の twoferはシュリンクされていたので、見開きジャケは開けられなかった。しかし、ジャケ裏の表記で、たいていの情報は判った。その2枚が、どのLPとどのLPのカップリングなのか?そのカップリングがそのままなのか、あるいは何らかの追加テイク、未発表テイクが入っているのか? 大体の場合、ジャケットにpreviously unrelased とかnewly discovered とか書いてある。今で言えば、「ボーナス・テイク」や「新発見のセッション」がCDで発売されるのと同じ感覚だ。DSCN0913

そんな twofer もので、ひときわ印象深いものがある。Bill Evans/peace piece &  other pieces (milestone)~Everybody Digs Bill Evans と「未発表セッション」のカップリングだ。これを見つけた時は、うれしかった。
「Everybody」も持っていなかったし、それにその「未発表」が、全く未知のトリオセッションだったからだ。ジャケ表紙に including 6 previously unissued selections と書かれており、ベースがチェンバース、ドラムスがフィリー・ジョーだった。この6曲は、「オン・グリーン・ドルフィンストリート」としてビクターから発売されたはずだ。この2LPには、さらにもう1曲・・・Loose Blues という曲も入っていた。ズート・シムスやジム・ホールとの共演で、不思議な雰囲気のブルースである。こちらの「ズート入りセッション」も、80年代に「アンノウン・セッションズ」というタイトルで、ビクターから発売された。さて、キープニューズは、この2枚組を「peace pieace and other pieces」と呼んだわけだが、このタイトルは、実はとてもおもしろい。というのは・・・Everybodyに入っているピアノソロに<peace pieace>なる曲があること。さらに・・・この曲は、バーンステイン作の<Some Other Time>と深い関係にあるのだ。もちろんこのことは、エヴァンス自身がキープニューズにも語ったようで、この2LPの解説の中で、キープニューズは、こんな風に書いている~『この日の成果は、エヴァンスが<Peace Pieace>と名づけた、注目すべきソロ・インプロヴィゼイションだ。この演奏は、全く偶然に生まれたのだ!エヴァンスは<Some Other Time>(40年代のミュージカル/On The Town)を演ろうとしていて、なにやら独自のイントロを工夫しているうちに・・・バーンステインの元メロディよりも、エヴァンス自身が気にいるような世界に入り込んでいったのだ』~こんなストーリーもあったらしい。その<Some Other Time>のタイトルともかけて other piecesと名づけたのだろう。なかなかシャレが効いてるじゃないか。

さて・・・この「Everybody Digs」。ビル・エヴァンスのあまたあるLPの中でも、エヴァンスのピアノプレイに限定した場合、私的エヴァンスNO.1である。まず<Minority><Oleo>などのちょっと早めの4ビート曲が素晴らしい。右手のシングルトーンで独特の長いラインを弾くのだが、とにかくタッチが強く(エヴァンスとしては)いつもに増して硬質な音を聞かせてくれるのだ。コリコリしたタッチで紡がれる個性的なアドリブが、すごく魅力的だ。それから、うんとスロウなバラードとして<Young and Foolish><Lucky To Be Me:ピアノソロ><What Is There To Say>それから<Peace Piece:ピアノソロ>。これらのバラードが・・・凄い。モンクとはまた別の感覚として・・・本当に「孤高」のサウンドというような世界を現出させている。エヴァンスは、これらの曲の録音時、相当に何か「深いfeeling」に浸っていたはずだ。<Young~>は、エヴァンスのピアノだけで、ルバート風に始まる。もうすぐに曲の芯にある「ググッと沈み込んだ感じ」に入り込んだような音世界になってしまう。しばらくソロピアノが続き、ようやく、ベースとドラムスが入り、イン・タイムになるが、あくまでもかなりスロウなバラードのままである。

このtwofer2LPの「Everybody~」は、モノラルだ。75年remasteredby David Turner となっている。音質は・・・特に悪いわけではないが、まあOJCと似たりよったりというくらいだろう。先日、たまたまこのEverybody~の「黒ラベルのステレオ盤」を、初めて聴く機会があった。58年12月録音だから「ステレオ」がオリジナル録音なのだろう。その音質は・・・この頃のエヴァンス独自の硬質なタッチ、これがクッキリと右チャンネルから聞こえてきた。バラードでの、ピアノの「鳴り」にも、素晴らしいものがあった。フィリージョーのやけに鳴りのでかい「響き」もよく出ている。サム・ジョーンズのベース音も相当にでかそうだ。ウイルバー・ウエアほどの「大きさ」ではないが、やはり同じスタジオでの録音なのか、同質の「響き方」をしているようにも聞こえる。このサム・ジョーンズとフィリージョー。一見、エヴァンスのピアノとは合わないような感じを受けるが、そんなこともない。ギリギリと繊細に研ぎ澄まされたようなエヴァンスのピアノに、豪放になるフィリージョー。これが意外に合うのだ。ここで「繊細」なドラムスが寄り添うように撫でる~モチアンのように~のも悪くないが、この58年ハードバップ&沈潜バラードのエヴァンスには、僕はフィリージョーで最高だと思う。(そういえば78年に来日したエヴァンストリオ~名古屋で見ました。ドラムスが・・・フィリー・ジョーだったなあ・・・)ピアノトリオの力感がいいバランスで入っている「いいステレオ録音」だと思う。あの「ステレオ黒ラベル」のEverybody Digs・・・いつか入手したいものだ。

「バラード」といえば・・・マイルスが言ったとか、マイルスの自伝本に出ていたとかだったか・・・よく言われることがある。「バラードを演奏する時には~その唄の歌詞を思い浮かべながら演奏するのだ。そうすると、その唄のフィーリングがより表現できるのだ」という話しだ。僕は、この話しを信じない。歌詞?そんなもん、ただの言葉じゃないか。(ヴォーカルをやっている方、すみません(笑) インストに限った話しです) 「love」と言いたいときに「love」という言葉を思い浮かべるのなら・・・詩でも小説でもやればいいことだ。音楽(インスト)ってのは、もっと単純に「音」の世界のはずだ。言葉じゃない「純粋に抽象的な世界」、それだけのはずだ。発する「音」が全てなのだ。後はもう・・・その「音」から、これまた全く抽象的な feeling を感じればいいのだ。その feeling も「怒り」とか「優しさ」なんていう具体的なものじゃなく・・・「何らかの雰囲気~atmosphere」みたいなもの、そういうものでいいのだと思う。マイルスが、トランペットを吹くときに、本当に彼の脳内で「歌詞」を思い浮かべている、とは思えない。あるいは、「ちょっとした話し」として、そう語ったのかもしれない。それより、この「歌詞思い浮かべ説」について、僕がひとつうれしかったのは・・・かなり後期のエヴァンスのインタヴュー記事(80年9月に亡くなったので、その1~2年前だったか)の中で、こんなことが書かれていたことだ。

《僕はバラードを弾く時・・・歌詞なんて思いださないなあ。それよりその曲の持っているfeelingみたいなものを、出そうとするだけだよ》

みたいな内容だったはずだ。これを読んだ時・・・ああ、やっぱりそういうものだよなあ、と強力に納得したのだ。その記事を読んで後は、それまで以上に・・・エヴァンスを好きになったような気がした(笑)

どのスタンダードにもタイトルがある。そうしてそのタイトルから、その唄がだいたいどんなことを唄った(唄おうとした)のか、わかるのだ。そうして、どのスタンダードにも、その「メロディ・ハーモニー・リズム」から浮き上がってくる独自の「雰囲気~atmosphere」というものがあるのだ。<Young and Foolish>・・・若くて愚かだった・・・このタイトルだけあれば充分じゃないか。 さっき、「ビル・エヴァンスはこれらの曲の録音時、相当に何か「深いfeeling」に浸っていたはずだ」と書いた。何度聴いても・・・本当に深みのある内省的なエヴァンスのバラード演奏である。僕の勝手な推測では・・・エヴァンスは、このタイトルだけを「イメージ」したのだと思う。イメージだけ。あとは、「曲」と「音」しかない。もちろん、エヴァンスは、もうこの曲を大好きで好きで、だからこそ、吹き込んだのだと思う。だがしかし・・・演奏時に「歌詞」を思い浮かべる、などというレベルで、こんなにも深く沈潜したような feeling が生まれるだろうか?僕の耳には・・・この演奏は・・・エヴァンスのインタヴュー記事の真意を100%裏付けている、ように思う。
ちなみにエヴァンスは、この曲をやはり本当に好きなんだろう・・・うんと後のトニー・ベネットとのデュオアルバム(fantasy:1975年)でも、吹き込んでいる(A面1曲目) おまけに・・・あの<Some Other Time>も取り上げているのだ(笑) このレコードは、それまでほとんどインストものしか聴かなかった(聴けなかった)僕を、「ヴォーカルというのもいいものだ」と思わせてくれた恩盤なのである。エヴァンス興味だけで買ったのだが、ベネットのちょっとしゃがれた声や、バラードでの深み・表現力みたいなものに、惹かれるようになった。伴奏がエヴァンスのピアノだけ、ということもあってか「唄」がやたらと格調高いのだ。 トニー・ベネットについては・・・また別の機会に。

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2005年9月22日 (木)

<ジャズ雑感 第7回> ソニー・ロリンズ/カッティング・エッジ~野ばらによせて。

相性というものが・・・絶対にある。ミュージシャン同士の相性、それから、ミュージシャンと聴き手の相性。

ヴォーカルやサックスの場合、誰かの声・音色を聴いた時に、全く理屈ではなく本能的に、「好きな声質」、「好きな音色」と感じる場合と、そうでない場合があるかと思う。もう少し正確に言うと、聴いていて、普通に聴ける場合~これは、「好きだ」とまでは思わないが、少なくとも「いやではない」のだ。ほとんどの場合は、だいたいこの感じで聴ける。ところが・・・ほんの一部の「声質」の場合・・・「ああ、イヤだな」と、感じてしまうのだ。本能的・生理的な感性の問題(だと思う)だから、どうにもならない。仕方がない。僕の場合は、女性ヴォーカルで、苦手な音色、いや声質のタイプは・・・ジュディー・ガーランドやジョー・スタフォードなのだ。キレイな声だとは思うが、響きが金属的な感じがして、僕にはどうにも「硬い」のだ。ヴォーカルの場合は、発声の仕方とも相当に関連がありそうだが、総じて・・・オペラ的発声には、なじめない。どうにもジャズ好きな人間としては・・・「ぁぁあああっ~」と声を張らした瞬間に・・・がくっとくる(笑)

僕の好きなスタンダードに<old folks>という曲がある。マイルスの 「Someday My Prince Will Come」に入ってるバラードだ。マックス・ローチの 「Award Winning Drummer」~ジョージ・コールマンやブッカー・リトルが参加してる盤~を手に入れた。<old folks>が入っていたからだ。聴いてみて・・・驚いた。というよりあきれた。がっくりした(笑) あのチャーミングな曲、バラード、あるいは、ゆったりテンポで演るしかないであろうあの曲を、なんと端(はな)から「急速調」、ガンガンの4ビートで演っているのだ。
「オールド・フォークス」は、もちろんマイルスの「いつか王子様が」の1960年のテイクで知られている。ミュートの音色がしっとりとしたバラードである。
ローチの「Award~」は、1959年11月録音ということなので、もちろん、マイルスの<Old Folks>よりも録音時期が早い。もしマイルスのあの曲を聴いた後なら・・・とてもこんな風には演れなかった、とは思う。だから・・・仕方ないとは思わない。マクリーンの<オールド・フォークス>(prestige)(「マクリーンズ・シーン」1957年に収録)があるのだ。これは、ゆったりの4ビートだ。スロウなバラードではないが、「唄モノ」としてマクリーンが、じっくりと唄い上げている。そして、僕はこの<Old Folks>が大好きである。パーカーが吹き込んだ<Old Folks>(verve)1953年もある。ギル・エヴァンス伴奏での3曲の中の1曲だ~もある。ポピュラー風のコーラスも入っており、元々のポップチューンの感じに近いかな、と思える。これもやはり、ゆったりテンポで、パーカーが朗々と吹いている。スタンダードソングというものは、どんな曲にも、それぞれが自ずと持っている個性、特質みたいなものがあるはずだ。早いテンポでガンガンが合う曲、スロウでゆったりが合う曲。中くらいのテンポが合う曲。やはりそういう資質みたいなものがあると思う。
マックスローチという人は、そんな「曲の個性」というものを、あまり考えてないのだろう。おそらく・・・彼にとって「曲」は、ドラムスという楽器を「叩く」ための素材でしかないのだろう。だから、曲の解釈という点で、あまりデリカシーというものが感じられない。少なくとも・・・この<old folks>を聞くと、そうとしか思えないのだ。そして、これも僕の好みの問題だが・・・ローチのドラムのサウンドそのものが、あまり好きになれないのだ。ローチの音色は、「高い」そして「硬い」。基本的なチューニングが~ドラムスにも、調節によって「音の低い・高い」があるのです~高いのだろう。一部のレコードの録音のせいかな?とも思った時期もあるが、どのレコードで、あの「硬い音色」なので、やはり、ローチ自身が選んだ「音色」なのだと思う。ローチという人は、人間も堅いらしく・・・ドラムプレイも、やはり「硬い」のだ。だから、ローチのドラムソロも、あんまりおもしろくないものが多い。何か・・・設計図とおりに叩いているような感じ、を受ける。エルヴィンやロイ・へインズのような「ヒラメキ」というものがあまり感じられない。「硬いプレイ」と言ってもいいだろう。全てに正確かもしれないが・・・ドラムソロとしては、面白みがない。

「ドラムのサウンド」で思いだしたのだが、モンクの「ブリリアント・コーナーズ」というレコードがある。モンクとロリンズ、アーニー・ヘンリー、ペティフォード、それにローチだ。ロリンズもヘンリーも大好きなので、<Ba-lue Boliver Ba-lues-are>もいいし、ピアノソロの<I Surrender, Dear>も最高だ。しかし・・・B面3曲目の<Bemsha Swing>だけは・・・もうどうにもこうにも、ダメなのだ(笑) いや・・・この曲自体は、「クリスマス・セッション」での好演もあり、もちろん好きなんです。しかし、「ブリリアント~」での<Bemsha~>は・・・。あの曲で、ローチは、なんと「ティンパニ」を使っているのだ!解説によると、たまたまスタジオの隅に置いてあったとのことだが・・・。この「ティンパニ」の「グワーンン」という音に我慢がならない(笑) あの響き・あの音圧・あの音量・・・思い出しただけでも、身震いする。(笑) 何か不用意に大きな音で、周りを威圧するような雰囲気・・・モンクの「ちょっといい曲」の味わいを損なってしまっている。というより、単純に、ジャズとしての演奏のバランスを崩してしまっている。モンク好きの僕には、そのように聞こえる。<オールド・フォークス>の、あの解釈とも通じる「無神経さ」というものを、感じずにはいられないのだ。

こんな風に、僕は、ちょっと苦手なローチだが・・・もちろんローチには、鋭いバッキングでの快演がいっぱりある。特に、ロリンズのvol.1(bluenote)でのJJ・Johnsonとの絡み~JJの決めフレーズに、ここぞっ!とばかりに、スネアで応戦する~この辺りは、さすがに聴き応えがある。パーカーやパウエル、それにロリンズ(1955~56年頃)らのバッキング、特に急速調の曲では、キッチリしたスピード感とバップらしい熱気みたいなものを、生み出している。この時期、ローチの他に、こんな巧いドラマーはいなかっただろう。そして・・・マックス・ローチの、あの「高くて硬い音」を好きな方も多いと思う。ローチの律儀なドラミングを好きな方も多いだろう。ローチ好きの方には、「ティンパニが堪えられない」なんてもの、全くナンセンスな話しだろうし、<Old Folks>に、別段、思い入れのない方にとってみれば、ローチが、それを急速調で演ったって、何の問題もないことなのだろう。まあ結局は・・・相性がよろしくないということだろう。ローチの発する周波数は、僕のチューナーでは、うまく受信できないのだ。だから・・・これは、あくまで僕にとっての「不幸な例」ということで、ご理解下さい。
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・・・ああ、ロリンズのことを話そうと思ってるうちに・・・そのロリンズのボスだったこともあるローチの話しになってしまった。「不幸な例」はこのくらいにして・・・今度は「幸福な例」、これなら、いっぱいあるぞ(笑)
さて、ロリンズ。65年インパルス盤からぐんと時代が進み・・・ロリンズとしてはかなり後期の1972年「カッティング・エッジ」というモントルーでのライブ盤がある。そのA面2曲目に<野ばらによせて>というバラードが入っている。この曲は・・・たしかクラシックの曲(シューマンだったか? 請う情報)なのだが、素朴なメロディのとても優しい雰囲気の曲だ。こういう曲を選んだ、というまずそのことに共感してしまう。
*補記~その後、「野ばらによせて」の作曲者が判りました。アメリカの作曲家(1861~1908)で、エドワード・アレクサンダー・マクダウエルという人でした。ドビュッシーやシューマンの影響を受けた作曲家ということです。

そうして、ロリンズ自身が「いい」と思ったから選んだであろうこの曲を・・・テナーでいつくしむように吹くロリンズ。エンディングでは、バックの演奏を止めて、長いカデンツァに入っていく。このカデンツァが凄い。テナー1本でのカデンツァ。ロリンズ以外に誰が、こんな風に「音楽を生き生きと唄う」ことができるのか。コード進行がどうか、スケールがどうか、なんていう話しじゃあない。本当に「自分の唄」というものを持っているロリンズだから、こんなカデンツァを吹けるのだ!その長いカデンツァの終わり・・・ロリンズが再びメロディを吹くと・・・バックのバンドが「ここしかない」というタイミングで入ってくる。音楽が、ぐぐッっ!とインテンポに戻る。・・・と聴衆も思わず「うお~っ!」・・・ああ、このこの充実感、この高揚感はなんだ! ロリンズの 感じている feeling にバンドも聴衆も完全に感応したのだ!聴衆も幸せになったはずだが・・・こうしてレコードを聴いている僕らも幸せになってしまう。・・・・・この<野ばらによせて>は、本当に素晴らしい。こんな風に、ジャズ聴きの「幸せ」を、ひとつづつ積み重ねていくのは、実にいいものです。ジャズが好きだ。

みなさんの「幸せな例」・・・どんなでしょうか?思いついたら・・・お知らせ下さい。

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2005年9月 7日 (水)

<ジャズ雑感 第6回> ソニー・ロリンズ/オン・インパルス~マット・デニスのスタンダード。

スタンダードソングの魔力~いい曲だなあ・・・と思うといつもマットデニスだ。

<everything happens to me>~この曲を最初に聞いたのは・・・ああ、モンクの「サンフランシスコ」だ。いや、正確には・・・米マイルストーンの Pure Monk(himself と sanfrancisco のカップリング2LP)という盤で聞いたのだ。モンクのソロピアノというと・・・「サンフランシスコ」より前に、1954年のヴォーグ盤を聴きこんでいた。特に「煙が眼にしみる」を気に入っていた。この曲はジェローム・カーンの作曲だが、とにかくあのメロディーが好きだった。あのメロディーをモンクはそれほど崩してはいない。崩してはいないが・・・その元メロディーの合間にモンク流のアドリブを混ぜ込んで、見事に唄い切っている。本当に素晴らしいピアノソロなのだ。もともと、こういう古いスタンダードソングというものが、僕の性に合っていたのかもしれない。だから、スタンダードがたくさん入っている「サンフランシスコ」も、すぐに大好きになった。<remember>という曲も、モンクの斬新な解釈で、というより斬新なピアノプレイが印象深い。なんというか・・・左手コードの入れ方が、スタカート気味というか、ほとんど伸ばさずに、「ブツ切れ」状態なのだ。そんな過激なアレンジ(いや、素晴らしいヒラメキ!)でありながら、演奏全体には、なんとも言えないノスタルジイみたいなものを感じる。この曲はホワイトクリスマスの作者として有名なアーヴィング・バリーンの作曲だ。 この<remember>は、ハンク・モブレイの「ソウル・ステーション」A面1曲目に入っているので、ご存知の方も多いと思います。ああ、もうひとつあった・・・スティーヴ・レイシーがこの曲のチャーミングなテーマを吹く演奏があるんです。ギル・エヴァンスのプレスティッジ盤「ギル・エヴァンス&テン」に入ってます。この曲のチャーミングなメロディが、レイシーのソプラノサックスの音色によくマッチしているようです。
そして・・・「サンフランシスコ」の中で、一番好きになった曲が<everything happens to me>だ。正真正銘、このテイクが初聴きだ。(少し後にロリンズ(後述)、うんと後にシナトラ~この曲のオリジナルバージョン~も聴いた) この曲を、本当に「すうっ」と好きになってしまった。なぜかは判らない。ただ・・・「煙が眼にしみる」もそうだが、モンクが弾くスタンダードには、いつも「ペイソス」が漂っているのだ。僕は、この「ペイソス」という言葉を~一抹の寂しさの中にほのかな希望を感じるような雰囲気~「人生にはつらいことも多いけど、まあがんばっていこうや。たまにはいいこともあるし」みたいな感じに捉えてます。その「ペイソス」。モンクが弾くから「それ」がにじみでてくるのか?あるいは・・・曲の中に「それ」を感じとったから、モンクがこの曲を選んだのか?
多分・・・その両方だろう。そして、聞き手があるミュージシャンの演奏するある曲を聴いて、ものすごく気に入る・・・ということも、まさにミュージシャンがその曲を選んだのと同じような feeling を聞き手も感じたからなのだと思う。そうしてさらに、その曲を得たミュージシャンが「どんな風に唄うのか」を聴くことで、聴いてその「唄い」が納得できれば、その曲を、本当に「自分のもの」にできるのだと思う。
こんな具合に、あるミュージシャンのと聞き手の feeling が一致する、というのは本当に幸せなことです。僕の場合は・・・まさにセロニアス・モンク、それからロリンズが、そういうミュージシャンなのです。今回は、そのロリンズが演奏した<everything happens to me>についてだけにします。ロリンズについては、また別の機会にじっくりと(笑)

《Sonny Rollins/On Impulse~僕の手持ち盤はMCA impulse盤。すごく安っぽい緑色のラベルが哀しい:笑》

050907_001さて、ソニー・ロリンズの「オン・インパルス」(impulse)1965年~ロリンズのあまたのLPの中では、あまり「傑作」とか言われないようだが、これが実にいいアルバムなんです。(僕の知る限り、このLPを「いい盤」として何度か取り上げていたのは、大和明氏だけだ) 僕は、もう長いことロリンズ好きだし、愛聴盤もたくさんあるが・・・「凄い盤」とか「大傑作」とかじゃなく・・・「好きな盤は?」と問われれば・・・真っ先に、この「オン・インパルス」が浮かんでくる。まず選曲がいい。A面には on green dolphin street(ちょっとモード風の速め4ビート)と everything happens to me(バラード)、B面には、hold 'em joe (カリプソ風),blue room(ゆったり4ビート),three little words(軽いノリの速め4ビート) この5曲のバランスが絶妙で、全く厭きさせない。レイ・ブライアント(p)の明るくきらめくフレーズ。ミッキー・ロッカー(ds)のカラッとした切れのいいドラミング。そして・・・ウオルター・ブッカー(b)のがっしりしたリズムと唄心を感じさせるベースソロ。トリオが造り出すまとまりのあるサウンドに、ロリンズの自由自在に唄うおおらかさ、みたいなものが、実にうまい具合にブレンドされて、聴いていて本当に「気持ちのいいジャズ」に仕上がっている。
そうして、この<everything happens to me>が、おおげさじゃなく絶品なのだ。モンクのソロピアノを聴いて以来、大好きになっていたこの曲。あのちょっとセンチメンタルなメロディを・・・ロリンズが、イントロなしで、いきなり吹き始める。ロリンズ独特の「揺らぐような」サウンドを響かせながら、軽いフェイク(崩し)も混ぜてくるが、あのメロディをいつくしみながら、ゆったりと謳い上げている。本当にテナーサックスで「唄っている」ようだ。僕は「ロリンズは・・・この曲を本当に好きなんだなあ・・・」と確信する。そんなバラードプレイだ。ピアノもしっとりしたソロを取る。そして・・・ウオルター・ブッカーの出番だ。ブッカーも・・・じっくりと、いやどちらかというと、もっさりと・・・しかし・・・ブッカー自身の「唄」をこの曲の中で、唄い上げている。「唄こころ」というものを、たっぷりと指先から弦に伝え、その弦を、気持ちを込めて弾(はじ)いているかのようだ。ブッカーもまた、この曲を好きなのだ。もちろんブッカー自身、この曲を以前から知っていたのかもしれないが、仮に、この日、初めて出会った曲だったとしても・・・この曲をロリンズがテーマを吹き始めたその瞬間に「好きになった」のだ、と思う。「曲との相性」というものは、人との出会いといっしょで「インスピレイション」で決まってしまうこともあるのだ。

ジャズ聴きの幸せは・・・やはり自分にとっての、本当のフェイバリットミュージシャン(そんなに多くはいるはずもないが)を見つけることだと思う。その人の音色、フレーズ、選曲、唄い・・・そんなもの全てが自分の好みと合致する、ということは少ないかもしれないが、人を好きになる、ということは、もういずれ、その人の全てを好きになってしまうものなんです(笑)

・・・そんなわけで、スタンダードが好きになってくると、だいたい「好きな曲の傾向」みたいなものができてくる。僕の場合は・・・なぜだか、コールポーターやガーシュインのゴージャスで壮大な曲想よりも

ハロルド・アレン(I’ve got a world on a string, over the rainbow,when the sun comes out,come rain or come shine, let’s fall in love など)
ジェローム・カーン(smoke gets in your eyes,all the things your are など)
アーヴィング・ヴァリーン(remember,blue skies など)などの、いかにも「小唄」と呼びたくなる曲の方がが好みのようだ。

そして・・・マット・デニス。さきほど書いたように、モンクのソロピアノでこのマットデニスの名曲<everything happens to me>を知ったのだが・・・実はそれより前に、マットデニスの曲をよく聴いていたのだ。72年9月頃、日本ビクターが prestige 音源から20枚だか30枚を、オリジナル・ジャケとセンターレーベルで050907_002復刻し、1100円盤シリーズとして発売したのだ。 その中から「コルトレーン」(1957年)を買っていた。コルトレーンがサックスを前に置いて正面を睨んでいるジャケ。あれだ。<コートにすみれを/violets for your furs>は、このLPに入っている。私見だが、この1100円盤シリーズは、案外にいい音だと思う。後に発売された米ファンタジーのOJCシリーズよりも、楽器の音に「芯」があるように感じる。

僕はA面2曲目の、この<violets~>とB面2曲目の<while my lady sleeps>が特に気に入っていた。<while~>はマットデニス作ではないが、こちらもなかなかいい曲だ。タイトルは「あいつ(女)が眠ってるうちに・・・」という意味だろうか~その眠ってる内に、多分・・・抜き足差し足で部屋を出て行こうとする男(笑)~すごく勝手な推測だが、この演奏を聴くと、そんなイメージが広がってくる。こちらは激賞されることもなく sleepしているようだ:笑)
両方ともバラードで、「静かに」演奏されていた。コルトレーンのバラードというのは、独特の「澄んだ感じ」があって、今思えば、このリーダーアルバム1作目には、片面3曲づつのLPのA・B面2曲目にバラードを配置してあり、コルトレーン自身も「バラード」にかなりの配慮をしていたのだろう。マイルスのLPでもそうだが、同じペースの曲が連続しないように~LP片面20分を飽きさせないようにする工夫が感じられる。そのコルトレーンのバラードがいい。コルトレーンがいい、という以上に、この「コートにすみれを」が、チャーミングなメロディーをもった素晴らしい曲なのだ!ということを言いたい。もちろん、この曲を選んだコルトレーンもまた素晴らしい。

そうしてこの素晴らしい曲を作ったのが・・・これまたマットデニスなのだ! 余談だが、FMで流れるジャズをマメにカセットにエアチェックしていた頃~71年~75年頃だったか~何かのジャズ番組で、峰厚介のコンサートのライブが放送された。その中に「コートにすみれを」が含まれたいた。「あれ・・・あのコルトレーンのLPに入ってるやつだぞ。渋い曲を演るなあ・・・」とちょっと驚いたことが印象に残っている。(やはりバラードで演奏されていたはずだ。この演奏はたしかレコード化もされてないだろう。僕のカセットテープコレクションのどこかに入ってるはずだが)自分が「いいなあ」と感じていた曲をこうして、日本のテナー奏者が取り上げている、ということに感心したのだ。「楽譜とかどうするんだろう?やっぱり耳でパパッと音もとっちゃうんだろうか?」とも思った。というのも、その頃、この「コート~」という曲のことをジャズ雑誌で活字として読んだ記憶が一切なかったからだ。僕の記憶では、この「コート~」がいい、というような記事がジャズ雑誌に載ったのは・・・かなり後、少なくとも80年より後だったと思う。「コルトレーンのバラードの原点」という表現が増えてきて、今ではすっかり名曲「コート~」として定着しているようだ。ズート・シムスの「コート~」も、相当に有名になった。ブルーノートのユタ・ヒップの緑色の盤(1956年)に入っている。この演奏もいい。やはり「曲の力」というのも相当にあるはずだ。とどめに(笑)同じテナーで、JRモンテローズの「コートに~」もとてもいい。

おまけとして・・・マット・デニスのちょっといい曲を以下。
everything happens to me
violets for your furs
the night we call it a day
angel eyes
will you still be mine?
let’s get away from it all
どれも印象的なメロディでを持っており、「品のいい寂しさ」みたいなものを感じさせる。僕の心に「きゅうん」と入り込んでしまうキュートな曲ばかりだ。
ついでに言うと・・・これらの曲のほとんどは、すでに1940年代、1950年代にシナトラが唄っている。だから・・・モンクもロリンズもコルトレーンも、そしてマイルスもみんなシナトラを聴いていたのに違いない。そうして、そのスタンダードソングを、「どうやってかっこいいジャズにしてやろうか?」てなことばかり考えていたに違いないのだ。実際、マイルスの回想本で「シナトラをよく聴いた」というのを読んだ記憶がある。なお、モンテローズの「コートに~」では、彼は、シナトラのキャピトル盤を聴き込んだようで、演奏としては珍しくも、ヴァースの部分からチャーミングに吹いている。
そんなことを考えてみると・・・シナトラこそ、モダンジャズのバラードの「父」みたいな存在だったのだ、と思えてくる。最高のジャズミュージシャン達が、最高の素材~ソフトでスイートな極上のポピュラーソング~に、少々のビターネスをまぶして「ジャズのバラード」に仕立て上げてきたのだ。「好きな曲」を軸に、ちょっといろんな唄・演奏を探ってみると、スタンダードソングの世界が本当に奥深いことを実感する。自分が「好きだ」と思えるスタンダードソングを何曲か知るだけで・・・もうジャズ聴きの楽しみはぐんと拡がるのだ。
そうして・・・やっぱり、ジャズはやっぱり止められない(笑)

追伸 :みなさんのお好きなスタンダード曲~ぜひコメントにてお知らせ下さい。とても絞りきれないでしょうが・・・思いつくままどうぞ(笑)

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2005年9月 4日 (日)

<思いレコ 第4回> セロニアス・モンク/ザ・モンク・ランズ・ディープ(vogue/東宝)

ニーノニーノの「こだわりの杜」~趣味でつながる楽しみ。

ニーノニーノというオリジナル盤通販のお店がある。そのニーノの新納さんは、HPも運営しているのだが~オーディオやレコードのセンターラベルの話しが満載の中身の濃いHPである~そこにはBBS「こだわりの杜」もあって、「拘りのオヤジたち」が、連日、親密なやり取りをしているのだ。最初に書き込む時には、ちょっと思い切りが要るかもしれないが、一度入ってしまえば、思いのほか気さくな方たちばかりである。僕も1年ほど前から、ちらちらと書き込みをするようになった。4月には、長野の白馬で「杜の会」なるオフ会が開かれたので、普段、出不精の僕もそのオフ会に参加したのだ。そこで、Dukeさんを始め、普段、ハンドルネイムでやりとりしている皆さんと~この「白馬」では、栃木・群馬・静岡・愛知・長野・大阪などから集まった「杜の住人」の方々~実際にお会いしたわけだが・・・いやあ、これが驚くほど自然な打ち解け具合だったのだ。我ながら偏屈な人間だよなあ、と思ってる僕なんかでも、初顔合わせの方々とすぐに打ち解けて、好きなジャズや音楽についてのいろんな話しができてしまうのだ。皆さんの持ち寄ったレコードもいろいろ聴けて、本当に楽しかった。「趣味」だけでつながる集まりというのは、実にいいものです。そんなこともあり、その後の「杜」というBBSでのやり取も、いっそうリアリティが増した、というか「立体感」が出てきたような手ごたえもある。
白馬でのオフ会から一週間後、Dukeさんから電話があった。HPの次の「コラム」を書いてくれ、「テーマは自由。なんでも好きに書いてください」とのこと。 この「コラム」というのは、「杜」の常連さんが、ほぼ月替わりの交代で、「ジャズやオーディオへの思いのたけをぶちまける」みたいなコーナーだ。あのコーナーに、自分の「文章」が載るのか! もちろんたいへんに光栄なことで、うれしくもあったのだが・・・さて何を書こうか。僕の場合、とにかくもうジャズが好きで好きでという状態なんで・・・そういう「ジャズへの拘り」具合なら、なんとかなりそうに思った。だから、中3の頃から自分が「どんな風にジャズという音楽へ没入していったか」みたいなことを書き始めたのだが・・・それからの2週間ほどは大変だった(笑) なかなか書けないのである。いや、書くには書くのだが・・・言い回しが判りにくいし、文章もガチガチ(笑) 普段の「杜」への書き込みは、誰かの話しへの反応やら、ちょっと自分から話しを振ったりで、ずいぶんと気楽に書けたんですが・・・いざ、「コラム」という場所を与えられて、そのスペースが、自分だけにまかされてしまうと・・・これが、妙に構えてしまうのです。そんなに大げさに考えるな、いつもの書き込みと同じだ、気楽にいけよ。もっと長く書いてもいいんだぞ、と自分に言い聞かせるのですが・・・そうは、なかなかできないもんなんです(笑)
例えば・・・ただ「モンクが好きだ」と書けばいいのに「僕はどうしてモンクが好きになったのだろうか?」とか変な言い回しになったり(笑) まあそれでも、結局は・・・自分の好きなジャズ、そのジャズ遍歴を回想風に書くしかない、という気持ち的な開き直りも経て、どうにかそのコラムを書いたのだ。けっこう何度も書き直したりしてましたが(笑)
そのコラムは、6月いっぱい、「ニーノニーノのコラム」欄に on air (笑:言葉の使い方が違ってますが)されていた。杜のみなさんから暖かい反応をいただくたびに、つい読み返してみたりしましたが、ガチガチな文章は、もはや変わるはずもないのでした(笑)
そのコラムの中で挙げたミュージシャンたちは・・・もちろん僕の個人的な好みの歴史なので、どの方にも共通する感覚というわけもないのですが、読まれた方には、bassclef という人間の「ジャズの趣味」がどんな具合なのかということは、判ってもらえたように思います。
「白馬・杜の会」があり、その白馬でのことを「杜」へ詳しく(いや、しつこく:笑)書き込みしたりしているうちに、さらに「コラム」も書くことになり~そうこうしてるうちに、どうやら「ジャズへの自分の想い」を、もっともっと綴りたくなってきてしまったようです。もともと、レコードへの思い込みは強い方だったので、自分のレコード購入記録みたいなものを<レコード日記>として書いていたんですが、4月初めにパソコンが壊れてしまい、(バックアップも取らないタイプなので)それらも全部、消えてしまったのです。そのことへの若干の「拘り」もあったのかもしれません。そんなわけで・・・5月末からこのブログ<夢見るレコード>を始めたのです。いずれにしても、僕がブログを始めたきっかけは、間違いなくあの「コラム」だったのです。ジャズへの想いを「コラム」という型でまとめる機会を与えてくれた、新納さん・・・いやDukeさんには、とても感謝しています。
そのコラムをここに再録します。この転載を快諾していただいたDukeさん、改めて・・・ありがとうございます!ジャズへの想いを正直に書いたつもりです。このガチガチ具合を笑って許してください(笑) 
Blame It On My Youth...

<全てはモンクから始まった>

~自分でもあきれるほどジャズが好きだ。休みの日には、たいていLP10枚くらいは聴く。なんでこんなにジャズが好きなんだろう?・・・よく判らない。でも<ジャズが好き>ということは、僕という人間の正真正銘の真実だ。この先、ジャズを聴かなくなるなんてことは・・・絶対にない。
これほど僕を惹きつけるジャズ。このどうしようもなく魅力的な音楽に、僕はどんな具合に、はまり込んできたのか。ちょっと思い出してみる。

・・・中3の時、マイルスデイビスをカセットに録音したのがきっかけだ。たしか週1回のNHK-FMのジャズ番組で、この日の放送はマイルス特集、DJは児山紀芳。今、思えばなぜ録音したのかわからない。その頃は、サイモンとガーファンクル、エルトン・ジョンなどを好んで聴いていたのだ。LPレコードはとても高くて、2ヶ月に1枚買えるかどうかだった。だからFMからいろんな曲を録音しては、気に入らなければそれを消去してまた使う、という感じだった。あの頃は、カセットテープも(まだTDKという名に変わる前の東京芝浦電気と漢字で書いてある真っ赤な箱のやつ)けっこう高かったし、決してムダ使いはできなかったのだ。 だから・・・名前だけ知っている「マイルス・デイビス」なる人を一度は聴いてみよう、くらいに思ったのかもしれない。いまだ鮮明に覚えているのは・・・その放送の中で、児山紀芳がマイルスの人物評として「タマゴの殻の上を歩くような」というフレーズを紹介していたことだ。そうしてその紹介のあとに流れた曲が・・・<ラウンドミッドナイト>(columbia/1956年)だ。「タマゴの殻?」そんな人物評にも興味を持ち、思わずカセットの録音ボタンを押したのだった。そんな風に気まぐれに録音した<ラウンドミッドナイト>。最初は、演奏なんかよくわからない。ただ・・・あの曲のもつムードに「何か」を感じた。そうして何度か聴くうちに、あのなんともいえない神秘的なテーマとそれを奏でるマイルスのミュートの音色が、もうグングンと僕の心に染み入ってきたのだ。さらに繰り返し聴いているうちに、マイルスのテーマが魅力的なのはもちろんだが、コルトレーンが出てくる場面にもゾクゾクしてくるようになった。そうしてラストのテーマでは、再びマイルスのミュートに戻る。このテーマに戻る場面でも、いつも気分がよくなるのだった。
「静寂」から「躍動」、再び「静寂」に戻る、という自然な流れ。何度でもまた繰り返して聴きたくなる。・・・それまでには味わったことのない感覚だった。

その少し後・・・今度は「あの曲」の作曲者、セロニアス・モンク自身のソロピアノでの「ラウンド・アバウト・ミッドナイト」(vogue/1954年)を再びFMから録音した。マイルスのミュートが演出したあの曲の持つ「独特なムード」に慣れていたせいか、このモンクのソロピアノにも違和感など全く感じることもなく、いやそれどころか・・・モンクのピアノは、不思議なくらいに、本当に真っ直ぐに僕の心に入り込んできてしまったのだ。マイルスのラウンドミッドナイトは、もちろん素晴らしい。でもモンクのこの演奏には・・・もうムードなんてものを通り越して、モンクという一人の人間が、自分のあらゆる感情を吐露しているような厳しさがあった。モンクの、いや、あらゆる人が、人生を生きていく上で味わう感情・・・<挫折><孤独><哀愁>そして<優しさ><希望>・・・みたいなものが、この演奏の中に封じこめられているかのようだった。(そういう風に聴こえた)

このモンクのソロピアノのレコードは、なかなか見つからなかった。高1の夏に、東芝ブルーノートの国内プレス(ジニアス・モンク vol.1)を間違えて、買ったりしました。「ラウンド・アバウト・ミッドナイト」という曲が入っている、という理由だけで買ったのだが、このLPに入っているバージョンは、モンクによる初演(1947年の3管入りのもの)だった。「なんか違うなあ・・・」とがっかりしたのだ。(笑)その年の秋だったか・・・ようやく vogue録音のソロピアノのLPが東宝から発売されたのだ。タイトルは・・・セロニアス・モンク/モンク・ランズ・ディープ(東宝) ようやく、あの「ラウンドアバウトミッドナイト」に出会えたのだ。すぐに手に入れて・・・・・このレコードは、本当に何度も何度も聴きました・・・・。runs_deep    

このLPには、ラウンド・アバウト・ミッドナイト以外にも、リフレクションズ(ポートレイト・オブ・アーマイト)、オフマイナー、ウエル・ユー・ニードントなどモンクの傑作曲が入っており、全てが気迫のこもった素晴らしい演奏ばかりです。。その中で、唯一のスタンダードの「煙が目にしみる」・・・これがまた素晴らしい!よく「モンクは変。判りにくい」とか言われるが・・・この「煙が目にしみる」みたいなスタンダードを弾くときのモンクは、一味違います。誰もがよく知っているあのメロディ、あの魅力的なメロディーをそれほど大きく崩したりはせず、謳い上げています。強いタッチなので、演奏全体にゴツゴツした「堅い岩」みたいな雰囲気を感じるかもしれませんが、それがモンクの「唄い口」です。そうしてこのモンク独特の無骨な唄い口が、却ってこの曲の持つ<哀感>みたいなものを、よく表わしているように思います。
ちょっと気持ちが弱った時なんかに聴くと・・・「おい君・・・人生ってそんなに悪いもんじゃないよ」とモンクに優しく諭されているような気分になります。

モンクの魂に触れてしまった(ように思えた)・・・ジャズにここまで深く入り込んでしまった・・・これでもう、僕のジャズ人生も決まったようなものです。この後、モンク~コルトレーン~マイルス~ミンガス~ドルフィー、ロリンズという具合に次々にジャズの巨人たちの<個性>を味わっていきました。それから、いかにモンク好きの僕としても、ずーっとモンクだけ! というわけにもいかず(笑)、ピアノでは、自然と、バド・パウエル、少ししてからビル・エヴァンス、ソニークラーク、ランディ・ウエストンなど好みになりました。特にウッドベースでは、モンク絡み(モンクス・ミュージック)とロリンズ絡み(ナイト・アット・ザ・ヴィレッジ・ヴァンガード)で、ウイルバー・ウエアがもう大好きになったりしました。ちょうどその頃、大学でモダン・ジャズ研究会なるサークルに入りました。聴くだけではガマンできなくなったようです。ピアノかベースか迷いましたが、たまたまベースがいない、ということもあり、ウッドベースを始めたのです。先輩に「好きなベーシストは?」と尋ねられ「ウイルバー・ウエア」と答えたら、その先輩、「うう・・・まあそういのもいいけど・・・まずはチェンバーだよね。チェンバースを聴きなさい」とかなり動揺しておりました(笑)。

楽器を始めると、それまで遠いものに感じていたテナー~アルト~トランペット~トロンボーンなどが、うんと身近なものになり、管楽器への興味が深まっていきました。(それまではどちらかというとピアノ中心に聴いていた) そう思っていろんなレコードを聴いていくと・・・いろんなミュージシャンの音色・フレーズなどの違いにも興味が湧いてきました。ジャズはロリンズ、コルトレーン、マクリーン、ブラウンだけじゃあなかったんです!
「おっ。この人、好きだな。もっと聴きたい!」~「おお、この人もおもしろい。他のも聴いてみたい!」~「ああ、こんな人もいたのか」~ 
・・・キリがありません。そりゃあそうです。ミュージシャンの数だけ、異なる個性が在るわけですから。「個性」に黒人も白人もありません。
だから・・・どちらかというと黒人ハードバップ重量級ばかりを10年くらい聴いてきた後に、ふと手に入れたペッパーの「モダンアート」、この盤で聴いたペッパーは・・・ものすごく新鮮でした。特にバラードでの唄い口には、しびれました。チェット・ベイカーの<あまり強く吹かない乾いたような音色>にも強烈に惹かれました。シナトラの「唱」に急に感じるようになったのもこの頃です。

こうして自分がどんな具合でジャズを聴いてきたかを振り返ってみると・・・だから・・・僕のジャズの聴き方は、こんな具合に、全くの「人聴き」でした。
だから、決してジャズをスタイルで分けて聴いてきたつもりはないのですが、興味を覚えたミュージシャンを聴いてきた34年の間には、自然と、ハードバップ~バップ~ウエストコースト~ボーカルと聴く範囲が拡がってきたようです。この先は・・・バップからもう少し遡って<中間派/エリントン派>あたりに、少しづつ踏み込んでいきそうな気配も感じております。(気配って・・・自分の意思なのに、なんと無責任な(笑)) ただ、僕の場合は、ジャズへの興味が、どうしても過去へ過去へと向ってしまう傾向にあるようです。正直に言うと・・・これまでのところ、結果的には「新しいジャズ」はほとんど聴いておりません。もちろん、あるカテゴリーを偏見をもって意識的に避けたりはしてませんが、あまり好みではないミュージシャンを羅列すると・・・たまたま<新主流派>だった、とかいうことはあります(笑) 「人聴き」するタイプの僕には、「おもしろい」と感じるミュージシャンがあまり見つからないようです。

こんな風に長い間、ジャズを聴いてきても、まだ飽きない。いや、それどころか、ますます好きになってきている。聴きたいジャズはまだいっぱいある。欲しいレコードもまだいっぱいある。わおー!!!

・・・ジャズとはなんと魅力的な、しかも懐の深い音楽なんでしょうか。全てはモンクから始まったのだ・・・・・。

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2005年7月29日 (金)

<思いレコ 第3回> マイルス・デイヴィス/マイルス・アヘッド

なぜか・・・ふと、思い出すメロディ。

050502_002マイルスといえば、ジャズを長いこと聴き続けてきて、僕が何度も実感していることがある。それを「マイルス特効薬」とでも言おうか・・・。
レコードって、聴くのにも「ノッてる時」と「ノッてない時」があるようで、ノッてる時は、「聴きたい」と思うレコードが、迷うことなく次々にアタマに浮かんでくるのだが、そうでない時は「あれを聴こう!」というレコードが思いつかないのだ。無理やり何かを手にとってみても・・・「音がイマイチ」「ドラムがうるさい」「曲がよくない。」などと、聴く前から、なぜか否定的なイメージばかり湧いてきて、なかなか前向きな気分になってこないのだ。
こんな感じ・・・多分、レコード好きの方なら、何度も味わっているのではないだろうか。そんな時、僕は・・・マイルスを聴くのです。たいていの場合、Columbia時代の初期~中期の盤から選ぶ。どの盤でも大丈夫です(笑) マイルスさえかければ、さっきまでの「ノラない気分」は、キレイさっぱりなくなって、「ああ。ジャズっていいなあ・・・」と素直に思えてきます。

ジャズファンを長年続けていると、やはり、ある「好み」が生じてきます。僕はテナーが好き。いやアルトがいい。オレはトロンボーンが好きだ。やっぱりピアノだよ~という具合に、特定の楽器に対する好み。それから、バップ、ハードバップ、ウエストコースト、新主流派、フリーなど、それからヴォーカル。 ある種、ジャズのスタイルにもやはり好みがはっきりしてくるようです。そうしてそれぞれの好みの軸になるような「特別に好き」なミュージシャンが、現れてきたりするのです。マイナーなミュージシャン、マイナーな盤へも目が向いてくる。そうして「渋い盤」ばかり集めるようになったりする。これも実に楽しいジャズのレコード道楽だ。だが、そればかりだと、やはり、退屈してくるのだ。「渋いもの」は、ときどき聴くからいいのだ。(次回ブログのテーマ「渋いピアノトリオの盤」~近日公開予定です:笑) 多分・・・この「聴きたいレコードないない病」というのは、だれもがなりうる病(やまい)です。持っているレコードの枚数には関係ないと思う。ひょっとしたら、レコードをたくさん持っている人ほど、この「ないない症状」がひどいかもしれない(笑) 

ジャズを好きになっていく頃には・・・おそらく、誰もが素直に「ああ、マイルスっていいなあ・・・」と感じたはずだ。逆に言えば・・・そう感じた人が、その後もジャズを聴き続け、ジャズという音楽を好きになっていくタイプ、ということかもしれない。 マイルスの音楽には、いわゆる、モダンジャズの「かっこよさ」(もちろんスピリッツも含めて)が、全て備わってる、と思う。 曲(テーマ)の聞かせ方、アドリブの凄さ・おもしろさ、ジャズのビートの醍醐味(チェンバースとフィリージョー)・・・そうして、曲が終わると気付く、その見事な「構成力」と完成度の高さ。僕はマイルスの「ラウンド・ミッドナイト」をジャズ経験の、ごく初期に聴き込んだ。例えば、マイルスのミュートをかけた「深い音色」で奏でられる<ラウンド・ミッドナイト>。テーマの終わり部分になってから、終わりそうでなかなか終わらない<オール・オブ・ユー>。コルトレーンとマイルスがテーマを、タイミングをずらしながら「非ユニゾン」で吹く<ア・リューチャ>~あんなにワクワクさせられた音楽ってそうはない。それから「カインド・オブ・ブルー」~僕はこの盤を高1の夏に買ったので、そのひと夏、何度も聴いた。そうして、その夏の終わり頃に聴く、この<フラメンコ・スケッチ>には、何かこう・・・胸がしめつけられるような切ないようなものを感じたりした。

そんなわけで・・・聴きたい盤が見つからない時には、マイルスさえ聴けば、もう理屈ぬきに「モダンジャズ」の音世界に入っていけるのだ。 だから、「聴きたいレコードないない病」の「特効薬」は、僕にはマイルス・デイビスなのだ。もしあなたが「ないない病」にかかったら、マイルスが特別に嫌い、ということでなければ・・・ぜひマイルスを聴いてみてください。すかっとしますよ、きっと。その後に、ガーランドでもハンコックでも、もちろんコルトレーンでも、あるいは、キャノンボールでも。それにビル・エヴァンスへ走ってもいいかも。マイルスという大きい幹には、あらゆる枝葉がくっついている。ジャズ聴きが長くなり、知らぬ間に枝葉の方にばかり拘ってきて、そんな時、ジャズを聴くのに疲れてきたら・・・たまには、幹にすがりついてみる。目をとじてその太い幹に腕をまわしてみるのだ。よどんでいた気分は、たちまち、リフレッシュされ、再びジャズを聴く意欲が湧いてくる。

そんなマイルスのあまたのLPの中で、特に好きなのが、これだ。マイルス・デイビス/マイルス・アヘッド(columbia/CBSソニー)普通の日本盤です(笑) もう1枚は、80年後半(by「夜明けさん」コメント情報。Thanks!)に出た「ステレオ盤」(米columbia)これがオリジナルステレオ録音ということで、すっきりしたいい音質だ。全曲が別テイクとの説もあるようだが、はっきりしない。今では、モノ盤より、このステレオ盤の方を聴くようになっている。050502_003右側の1枚は「ポギーとべス」(英盤)ジャケのデザイン、案外悪くない。音もまずまず。

仕事でクルマ運転中とかに、ふと思い出したりするメロディがある。たいてい、その時には・・・ただメロディだけが浮かんでくる。そうしてその曲を包んでいる「雰囲気」を思いだす。ところが・・・その曲名が出てこない。「ああ・・・あのメロディだ。何かで聴いてる。絶対、持ってるLPだぞ・・・何だったかなあ・・・」その曲名は、だいぶ後から唐突に「ぽんっ」と思い出したりする。というより「そのLP」が何であったか、を思い出すのだ。また、何げなくLP盤を聴いてる時に「ああ・・・あの曲はこのLPに入っていたのか」ということもある。とにかく・・・どのLPかさえ思いだせば、こっちのものだ(笑) 

そんな経験をよくする。そして、その「音ネタ」が、なぜだか・・・マイルスが多いのだ。マイルスの吹くメロディの一節が、そのサウンド全体のイメージと共に「プお~」とアタマの中で鳴ってくるのだ。今では、鳴った瞬間に「ああ、あれだ」だ、と判るが、そうなるまでに、何度も繰り返された「メロディ」がある。
それが、この「マイルス・アヘッド」に入っている<The Duke>だ。ちょっと軽妙で、しかし少しだけ哀愁を感じさせるメロディ。これが・・・よく鳴る(笑) 僕は、ジャズ好きによくあるように・・・デイブ・ブルーベックが嫌いだった。デスモンドは好きだが、ブルーベックはダメだった。ところが、このどうにも気になる曲<The Duke>の作者が・・・ブルーベックだったのである(笑) ブルーベックに<In Your Own Sweet Way>というチャーミングな曲があることは、ビル・エヴァンス絡みで知ってはいた。 それにしても、こんないい曲を書く人か・・・これは見直さねばいかんな(笑)くらいは思いました。その後は・・・ブルーベックのこと、「好き」というわけではないが、デスモンドのテーマが終わり、ブルーベックのソロに入っても・・・途中で針を上げたりはせずに、再びデスモンドのテーマが出てくるまで、我慢できるようになりました(笑) 

思いだすメロディ・・・このLPから続くことが多い。<Lament>だ。JJジョンソン作のバラードである。渡辺貞夫も大好きな(多分)曲だ。この曲も本当にいい。このメロディが聞こえてくると、何かこう・・・「キリッとした男の決意」みたいなイメージが湧いてきて、なんだか荘厳な気持ちになる。もともと、このLPは、いろんな曲が、つながっていて組曲風に聴けるようになっている。だからなのか、さらに思い出してしまうのが<My Ship>だ。 これは、案外有名なスタンダードで、マイルスは、ほとんど原メロディを吹いてるだけなんだが、この「マイルス・アヘッド」の流れに中で、聴かされると・・・何か別の曲のように聞こえる。説明しづらいのだが、「普通のスタンダード」という感じではないのだ。どうやら、ギル・エヴァンスの「哀愁アレンジ」が醸し出すあのアトモスフィア(雰囲気)に、この盤全てが、包み込まれてしまったのかもしれない。そうして、そのアトモスフィアに、マイルスの「あの音色」が溶け込んでいく・・・。どうにも魅力的な音楽だ。ああ・・・マイルスは素晴らしい・・・。

未知だったものを知っていく喜び!~たとえそれが古い時代の音源でも~  ジャズはまだまだおもしろい!(Yo氏登録商標) PS:~Yoさん。いいフレーズなので使わせてもらいました。ジャズメンも、時には、フレーズ真似しますから(笑)

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2005年6月26日 (日)

<ジャズ雑感 第2回>JAZZ HERO'S DATA BANK~僕の強い味方

ジャズ・ヒーローズ・データ・バンク(JICC出版局) 使えるデータがいっぱいだ!

DSCN0741 この本は・・・すごい。ハードバップ期の主要なミュージシャンの参加したレコードが可能な限り集められて、年代順にリストされている。あとがきによれば、40名/5000タイトルとのことだ。これらの録音年月日はもちろん、演奏曲目、パーソネルまでもが、しっかりと表記されている。それから、白黒だが、とにかく全点にジャケット写真が付いているのだ。(ほんの一部タイトルだけ写真なし) マイルスやコルトレーン、ロリンズやモンクなどのディスコグラフィーなら、わりと見かける。しかし、ケニー・ドーハムやドナルド・バード、ハンク・モブレイやジョニー・グリフィン、またトミーフラナガン、ケニー・ドリュー、ホレス・シルヴァー、レイ・ブライアントなど、ちょっと渋めのミュージシャンに、これだけのページを割いた(さいた) ディスコグラフィーなんて、これまでにあっただろうか。さらに、この1991年の時点で、チェット・ベイカーやアート・ペッパーまでも載っている、というような本は、日本では間違いなくそれまで存在しなかった。                                   この頃、もう本格的にジャズの、特にハードバップ時代のLP盤を集め始めていた僕には、彼らの~あの時代の本当に、それぞれの個性が溢れる魅力的なミュージシャン達~のリーダーアルバムだけでなく、全ての参加レコード(判っている限りの))が、年代順に並べられ、しかも写真付きで見られるのは、とてもうれしかった。「これはすごい!」は大げさな感想ではないのだ。 1991年7月の発売、定価は3200円。当時としては、3200円というのは、けっこう高かった。(いや、今でもか)しかし、ジャズが好きで特にハードバップ大好きで、レコードを集めている人間にとっては、この本の価値は絶大であった・・・3200円はむしろ、安かったはずだ。僕も、即、購入した。DSCN0739

使い始めてすぐに、ある欠点に気づいた。僕の場合、アルファベットのG(stan getz)やらC(sonny clark)やらを頻繁に見る。それ以外にも、あるミュージシャンが気になったりすると、すぐにそのミュージシャンのレコードを確認するわけだ。そんな場合に、うまく目的のアルファベットの開始ページを探り当てられないのだ!人名というのは面白いもので、BとかGとかMなどは、
数が多いのだが、AとかHの人名は、うんと少ないのだ。だから、「H(hampton hawes)は大体、この辺りだろう・・・」と探っても、なかなかそのページを開けなかったりする。(笑) これにはイライラさせられました。そうして「これはイカン!」とも思いました。普段はずぼらな僕ですが、好きなジャズ研究(笑)のことで、たびたび発生する不便は我慢できません。僕は、すぐに手製インデックスを作り始めました。タテ1.5cmくらい、ヨコ4cmほどの紙片を切り抜いて、ヨコ長の紙片を二つに折り、ページをまたぐようにして、 A~F、G~Yまでの紙片を、それぞれの該当ページに貼り付けました。この貼り付け方にもひと工夫。まず「A」を一番上の方から貼り始め、1.5cmづつずらしていくと 「K」で、本の下4分の3あたりまできてしまう。あまり下の方だと、ページが括りにくい。そこで次の「M」からは、また本の上から始めることにした。さっき貼った「A」と、高さは同じ位置なのだが、本の厚さが6cm以上はあるので、全く重ならないのだ。これなら見やすい!折り返しの「M」から「Y」まで、また順番に貼り付けて、ようやく完了だ。不器用な僕は、この作業に苦労したが、その甲斐あって、ものすごく使いやすくなった!しばらくの間は、用もないのに、M!(mobleyやらmcleanなど)とかD!(donaldson、drewなど)とか、指定のページに素早く到達できる状態を、楽しんだりしてました(笑) そんな風だから・・・この本、もうボロボロである(笑)
DSCN0740本の中央辺りが、Gなんだが、Stan Getz、を頻繁にチェックしたせいか、p241からp272の部分が、背のボンド着けから脱落して外れてしまっている。これだけ使い込まれれば、こやつも本望だろう(笑)
  
僕の場合は・・・あるミュージシャンを気に入ると、しばらくは、そのミュージシャンのレコードを集めていくことになる。(もちろん、ほとんどは国内盤での話しです)そうすると、prestige とか riverside、bluenote など有名レーベル原盤のものなら、年月をかければ、ある程度はなんとかなる。その時、廃盤でも、過去20年くらいまでには、たいてい一度は、国内盤として発売されていることが多いのだ。(もちろん、その国内盤中古でも、一時はどれもこれもがレア扱いで、平気で4000円とかにもなったタイトルもあったようだが今は、それなりに落ち着いてきたようだ。)また、復刻で再発されることもあるからだ。 しかし、それはジャズの専門レーベルについてである。   例えば、Decca,Coral,ABC,Warner などのレーベルだと、契約の関係からか、過去にも数点しか発売されず、これからもなかなか国内発売されないようなタイトルが多い。もっとマイナーレーベルだと、さらに入手困難だ。例えば、Bill Evansの場合~Secco [The Modern Art of Jazz] や Carlton 「Free Blown Jazz] などだ。これらは、59年頃とされるトニー・スコット(cl)とのセッションで、なぜか他にも Perfect 「My Kind of Jazz] などに分散されて発売されたらしい。この辺りのレーベルになると、日本復刻はまず望めない。
この<トニー・スコットもの>については、何枚かフレッシュサウンドでLP復刻されていたが、完全ではなかった。そうこうしている内に、そのフレッシュサウンドから、決定的なCDが出たのだ。前述の3枚分の音源に加えて、これら3枚以外にも分散していた残り3~4曲も網羅した Tony Scott & Bill Evans~A Day In New York(freshsound)2CDだ。DSCN0746

このような復刻CD、復刻LPが出た時にも、この本は威力を発揮する。復刻の場合、タイトルそのものやジャケ写真が変わったりするケースが多い。そんな時は~収録曲名、録音年月、それからパーソネルなんかを、この本でチェックするのだ。国内復刻の場合なら、たいていジャズ雑誌の広告やら小パンフに載っているあるので、それを本のデータと照合する。最近の復刻は、ほとんど、セッション単位で完璧なので、ほとんど安心だ。(CDなら未発表テイクもつくこと多い)  難しいのは、大手のCDショップや廃盤店で、全く予備知識のない「復刻盤」を見つけた時だ。特定ミュージシャンの場合で、未入手音源の場合なら、(多少のダブリや、セッションでの欠損の曲があったとしても)ほとんど買ってしまえばいいが、好きさ加減が微妙なミュージシャンの場合は、ちと困る。入れ込み度が薄い分だけ、記憶があいまいなので、「持ってるかもしれないなあ・・・いや、やっぱりこのセッションの2曲は持ってないぞ・・・」とか迷うのである。ほんとは、<レコ買い>の時は、常にこの<ジャズ・ヒーロー>を持ち歩いていけばいいのだが。さすがにそこまでの根性は・・・僕には、ない(笑)
ただ、こんな時、最後に、ダブリかどうかを判断するのは、僕の場合は、「曲名」なのだ。最近のCD(特にヨーロッパ復刻もの)だと、単なるベスト選集の場合と、ベストの合間に、貴重なセッションや全くの別テイク、未発表曲が、ひっそりと収録されていたりする。LP単位では、もはや復刻されないであろうセッション~例えば、マイルスみたいなメジャーなミュージシャンでも、僕はなかなか入手できなかった音源がある。
1951年録音の Capitol音源~<Early Spring>と<Local 802 Blues>の2曲だ。この本によれば・・・この2曲を収録のLPは、
≪Enter The Cool~The History Of Jazz vol.4 (CR-8024)≫として日本発売されたことになっている。
capitolだから、やはり東芝発売だったのだろうか? こんな風にvol~というタイトルがつけられたアンソロジーみたいなレコードが、最も再発されにくいのだ。事実、僕は、この「Enter~」を一度も見かけた記憶がない。

つい先日、珍しくもタワーレコードへ寄ってみた。LP盤メインの僕としては、タワーやHMVというのは、年に2~3回寄るかどうかである。バーゲン品とか輸入盤低価格のもので、なおかつ興味ある音源を見つけた時だけ買う。そのタワーで、2CDで1040円というマイルスのコンピレーションを見つけた。 
DSCN0745 ≪Miles Davis/The Formative Years≫(Castle Pulse) というタイトルだ。

もちろんいくら安くても、単なるベストセレクションなら不要だ。こういう「安CD」は、ジャケットも冴えないし、たいていデータが明記されてない。CDの裏面を凝視するが、字が小さくて読みきれない(笑) 2004年製で ”Castle Pulse” というレーベルのようだ。全く初めての名だ。バーコードのところに、小さくMADE IN THE EU と表記してあるので、これも「欧州製」なんだろう。一応、曲名を見ていくと・・・まずは、Birth Of The Cool のスタジオとライブからのセレクトや、 ブルーノートからのセレクトらしい曲名が入っている。これならいらないなあ、と思ったその時、あの曲名~<Early Spring>と<~802~>という文字が、まさにパッと目に入ったのだ。クレジットには、「Metronome All Stars」としか表記されてない。
ううう・・・これは・・・確か・・・あの・・・ほれ、あれだ、あれだよ、と自分のアタマの中で、うっすらとした記憶をたどる・・・。こんな時、僕はよく、独り言を言ってしまうらしい。純正の怪しいオヤジである(笑) ええい!どう思われようと構うものか(笑) 今は・・・アタマの中を整理する方が大事なんだ!
Early とか Local とか 802 とかいう「文字」が、かろうじて、僕の記憶フィルターが引っかかったようだ。これは・・・この2曲は・・・マイルスが何かに客演した、あれだぞ・・・そうだ、あれだ!という感じで、ほぼ、そのアルバムが特定できた。もちろんジャケットまでは浮かんでこないのだが。 そうして・・・どうにもその2曲を聴いた記憶がないのだ。じゃあ・・・持ってないはずだ。~という訳で、久しぶりにCDというものを買ってしまいました(笑)
そんなわけで、この本/Jazz Hero’s Data Bankには、まだまだお世話になりそうです。

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