<思いレコ 第19回>スタン・ゲッツのJazz at Storyville。
スタン・ゲッツ入魂のアドリブ・・・1951年の傑作ライブ!
ジャズを長く聴いていると、まだ馴染みのないミュージシャンであっても、なんとなくこの人は好きだな・・・と感じる場面がけっこうある。それからそのミュージシャンのレコードを色々と聴いていくと・・・その人の諸作の中でも分けても好きなアルバムというものが自(おの)ずと浮き上がってくる。ジャズを長いこと聴いてきても厭きないのは、そんな風に少しづつ自分にとって未知のミュージシャンを知り、その人を身近に感じていく・・・そんな過程が楽しいからかもしれない。
Stan Getz/Jazz at Storyville(Roost RLP-407)1952年
thou swell
the song is you
mosquito knees
parker 51
スタン・ゲッツ・・・この人をもう長いこと聴いている。特に50年代初期のゲッツに痺れている。何故か?何かを好きになるのに理屈はないのだろうけど、強いて言えば・・・僕はまずもってあのテナーの音色が好きなのである。
1949年~1953年頃のゲッツの音色は、音が小さく、か細い感じで、ごく素朴に言えば・・・あんまり力強くない(笑)
僕の場合、テナーという楽器ではロリンズを先に好きになったので、この50年代ゲッツ聴きのごく当初には、若干の違和感を覚えた。ちょっと器楽的な話しをすれば、ゲッツの音色はサブ・トーンの割合が多い感じかと思う。サブトーンというのは・・・(私見では)吹き込んだ息の全てを音として「強く大きく鳴らそうとはしない状態」・・・というか、そんな吹き方のことだ。だからサブ・トーン気味の音は、まずは「柔らかい感じ」に聴こえる音色だと思う。判りやすい例を挙げるならば・・・<レスター・ヤングがサブトーン主体で、コールマン・ホウキンスがフルトーン主体>かな。
(実際の聴こえ方としては、サブトーンだから「小さい音量」、フルトーンだから「大きい音量」という単純なことではないとも思う)
様々なミュージシャンの現す音色(例えばテナーならテナーという楽器の)に対しての好みというものは・・・ヴォーカルものへの好みと同じように「その声(音色)」に対しての生理的な反応で左右されると思う。
「おっ、いい感じの声だな」と感じるのか・・・あるいは「あまり好きな声じゃないな」と感じるのか。そんな具合に、どういうものを好むかは良い・悪いじゃなくて、聴き手それぞれの感性の問題だろう。
楽器の音色としてゲッツのあの「ヒョロヒョロ~」がダメだという方も多いような気もするが、僕の場合は、その「ヒョロヒョロ音色」はすぐに気にならなくなり、というより、太くはなくても力強くはなくても・・・その逆に、柔らかくて肌理(きめ)の細かい肌触りのいいシルクのような・・・その「音色」を好きになった。
そしてこのことは・・・ちょいと大げさに言えば、ジャズの魅力というのは、力強くゴツゴツした黒人的なハードバップだけにあるわけではなかった・・・という、僕のジャズ聴きへの新たな開眼ポイントになったのだ。
僕自身のジャズ聴きの変遷を思い起こしてみると、ゲッツについては、50年代ゲッツに踏み込む前に、60年代のボサノヴァでのゲッツはよく耳にしていて、そこでもうゲッツを好きになってはいたじゃないか。ジョアン・ジルベルトとの「イパネマの娘」・・・間奏部でのあのゲッツのソロ! なんと見事に歌うフレーズであることか!あれは譜面か?(アレンジされていたもの) と思わせるほどに、テーマメロディを生かしながらの、小粋な崩し。ソロの最後の辺りの3拍3拍2拍のフレーズ・・・これはもう「粋」としてか言いようのないジャズになっていると思う。
この辺りの「前ゲッツ体験」を、今、あえて分析してみると・・・たぶん僕は、ゲッツの自然なフレーズ展開の見事さに感心していたのだろう。元メロディを生かしながら自在に展開させてしまうセンスのよさ・・・そうなのだ、ゲッツという人は「音色」だけではなく、「フレーズ」の人でもあったのだ! そんなの、あたりまえの話じゃないか(笑)
スタン・ゲッツは閃きの人だと思う。「閃き」を生かす~という点では、ソニー・ロリンズと同じタイプ(音色やフレーズは全く対極だが)かと思う。そうして・・・いい「閃き」が湧いた時のゲッツは・・・本当に凄い。テーマの部分では元のメロディを崩したりもするが、しかしそれは元メロディのツボをちゃんと生かしたようなフレーズであって、そしてひとたびアドリブに入れば、ゲッツはもう吹くのが楽しくて仕方ない・・・という風情で、迷いのない、そして見事に歌っているフレーズを次々と繰り出してくる。スローバラードでの叙情溢れるフレーズももちろん素晴らしいのだが、急速調でのスピードに乗った淀(よど)みのないフレージングときたら・・・それはもう、本当に生き生きとした音楽がそこに立ち現われるのだ。
Stan Getz/Jazz at Storyville volume 2(Roost RLP-411)1952年
pennies from heaven
budo
jumpin' with symphony sid
yesterdays
さて・・・ゲッツの「音色」と「フレーズ」についていろいろ書いてきたが、僕が思うスタン・ゲッツという人の本当の凄さとは・・・実はその「音色」と「フレーズ」の見事な融合感にあるのだ。
ゲッツの吹くフレーズには理論で分析したような跡はまったくない。閃きによって生まれた自然なフレーズを、あたかも「そういう音しか出なかった」ように思える自然な音色で吹く・・・。これら2つの要素がまったく違和感なく、ごく自然に溶け合っていることに、僕は驚くのだ。
スタン・ゲッツという人は、自分の音色に合うフレーズを自ら生み出したのだ・・・いや、自分のフレーズに合う音色を創り出した・・・そういうことだと僕は思う。
そうして、ひとたび彼がテナーを吹けば、それがテーマであってもアドリブであっても・・・そこには本当に「自然な歌」が溢れ出るのだ!
もしあながたゲッツのそんな「自然な歌」に浸りたいのであれば・・・何を置いても、スタン・ゲッツのこの Jazz At Storyville を聴かねばなるまい。ようやくレコードの話しになった(笑)
Jazz At Storyville は「ストーリヴィル」というジャズクラブでの1951年10月28日のライブ録音である。1951年のしかもライブ録音だから、やはりそれほどいい音質とは言えない。まあしかし・・・このライブ盤に関しては・・・音質云々(ウンヌン)はもうなしにしよう。 音楽を聴こうではないか! 1951年のこの瞬間に、テナーという楽器を本当に生き生きと吹いた・・・そう、息を吸って吐いていた彼の生きた時間を、生きた音楽を聴こうではないか!
Roostレーベルにはゲッツの10インチ盤が7枚ある。その内の3枚が、Storyvilleのライブ盤である。番号は~407、411、420で、各4曲づつ収録の全12曲。後に2枚の12インチ盤で再発された時に、1曲(everything happens to me)が追加されている。
*12インチ盤の写真はこの記事の一番下にあります。
vol.1が1952年に発売された後、1954年に発売されたvol.3(420)の裏ジャケット。タイトルJAZZ AT STORYVILLE の下の、~not so long ago at the Storyville Club in Boston という文章が何やら言い訳がましい(笑) 2年も経ってしまったから「最近」とは言えずに「そんなに以前のことではない」みたいな意味合いだろう。
これらシリーズ3枚目の10インチ盤~3枚のライブ盤:全12曲・・・どのテイクも本当にいい。しかしあえて・・・ベストを(というより単に自分の好みだが)挙げれば・・・そうだな、やはり parker51ということになるかな。
parker51なる曲は「チェロキー」のコード進行をそのまま使っていて、そもそもチェロキーという曲は急速調で演奏されることが多く、スピードに挑戦する時に格好の曲なのだ。ゲッツはパーカーがそうしたように、2小節8拍を「3拍3拍2拍」で取るノリのフレーズを吹いたり、細かいアルペジオ風のフレーズの終わりを「タッタッタッ!」という歯切れのいいスタカートで締めるパターンを繰り返したり・・・いろんなアイディアを繰り出してくる。・・・parker51 は全員がスピードの限界辺りを果敢に突き進んでいて(220くらいのテンポか)そのリズムに乗って、スタン・ゲッツがアドリブの本領を発揮している名演だと思う。
ドラムのタイニー・カーンも凄い。特に急速調の曲でのタイニー・カーンは、柔らかいシンバリング(シンバルの叩き方)で、バンド全体をグイグイと乗せてくるような感じだ。バッキングを無難に流すだけのありきたりのドラマーではない。そして、vol.3に収録の move では終盤にドラムのソロ場面があるのだが、これが素晴らしい聴きものだ。リズムの割り方が面白くて、かなり変則的なことを演っているのだが、自分のソロを見事にコントロールしている。1951年としては相当に新しい感覚だと思う。カーンもまた閃きの人だったのだろう(笑) ゲッツは明らかに、このドラマーの凄まじいノリに刺激を受け・・・燃え上がったのだ!
ジャズは・・・凄い(笑)
Stan Getz/Jazz at Storyville volume 3 (Roost RLP-420)1954年
rubberneck
signal
hershey bar
move
ジャケットについて言えば・・・vol.3の写真ジャケが一番好きだ。vol.1とvol.2のジャケット・・・バート・ゴールドブラットのイラストは、もちろん悪くないが、何かしら全体のバランスがちょっと変な感じもあって、その点、vol.3のモノクロ写真はかっこいい。ゲッツのあの「白いマウスピース」が、ひと際、輝いている。そうしてよく見てみると・・・あれ?このゲッツの写真~(写真上)右向きでテナーを吹いているゲッツのアップ写真なのだが、これ・・・明らかにvol.1とvol.2のイラストと同じじゃないか。そうか、この写真を基にイラストにしたのだな。そしてvol.3のジャケット右隅にはメンバー4人の演奏中と思(おぼ)しき写真も写っている。う~ん・・・しかし小さい。この4人をもっとアップにした写真を裏ジャケットに載せればよかったのに。
余談だが、この「白いマウスピース」について少しだけ。この白いマウスピース(brilheart社のstreamline)・・・僕などは、あれこそがゲッツの代名詞みたいなイメージを持っているのだが、ゲッツも生涯、このマウスピースしか使わなかった・・・ということではないようだ。管楽器をやっている方には当たり前のことなのだが、管楽器というものは、マウスピースの種類によってその音色が相当に変わるのだ(リードの種類も大いに関係してくる)
スタン・ゲッツも、ある時期、マウスピースをあれこれ試していたらしい。ゲッツのテナーの音色(基本的にはサブトーン主体のソフトな音色だと認識している)が、年代によって微妙に違うようにも聴こえるのだが、それは当(まさ)にマウスピースの違いによるものだったのかもしれない。その辺りについてジャズ仲間のsige君がとても参考になる資料を紹介してくれた。
テナー奏者の西条孝之介が、ゲッツの使ったマウスピースについて詳しく語っているのだ。以下、ほんの一部を抜粋~
≪(細いメタルのマウスピースを使ってますね)これはベルグラーセンですね~ゲッツは若いとき、ビバップをやろうとした~サヴォイの「オパス・デ・バップ」の頃、僕としては許せない音なんですよ。下品な音。~~~~~~~~ウディ・ハーマン楽団の頃から変わってくる~白いマウスピースですね。ストリームラインと書いてあるけど~ブリルハート社製でね。プレスティッジもルーストも全部これ~≫ う~ん、興味深い・・・。ジャズ批評119号(p101~p103)をお持ちの方~ぜひご覧ください。
なんにしても・・・ジャズは本当に素晴らしい!
左の写真~2枚の12インチ盤。
左側が第1集(1956年)
右側が第2集(1957年)
追加1曲のeverything happens to meは、第2集のA面最後に収録されている。
下の写真~試みに第1集のジャケットを「反転」させてみると・・・なかなかいい写真が現われた! ベーシストにうんと近い位置で吹いている。ストーリーヴィルでの演奏中の写真なのだろうか?
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