<ジャズ回想 第22回>コルトレーン~1963年のmy fevorite things
これは誰にとっても同じかと思うのだが・・・レコードを集め始めの頃はそんなに次々には買えないから、持っているレコードをそれはもう一生懸命に聴くのである。
1972年・・・僕のコルトレーン体験としては~
monk's music(abc Riverside茶色ラベル)
kind of blue(CBSソニー:1800円定価)
coltran(ビクター1100円盤:1972年)
two trumpets & two tenors(ビクター:1968年頃の1500円定価盤)
~と、こんな順でレコードを入手していった。そうして、これらの1枚1枚をたっぷりと聴いて、どうやらコルトレーンという人の音色を覚えたようなのだが・・・その頃、まだ my fevorite thingsを聴いてはいなかった。そして、どんなコルトレーン記事でも絶賛されていた<コルトレーンの my fevorite things>・・・それがどんな音(演奏)なのか気になって仕方ない。
そんなある日「それ」を聴くチャンスがやってきた。そう・・・FMラジオだ。当時はFMラジオの番組をカセットに録音するのが音楽ファンの習性だった。さっそく僕も録音した・・・<1963年のニューポートジャズフェスティヴァルのライブ演奏のmy fevorite things>を。そしてそれを何度も聴いた。
《そのFMエアチェック音源を聴きまくった後~1976年頃に買った東芝盤》
マッコイの叩き出す和音の繰り返しに酔い、ロイ・へインズの「ガシャッ・ガシャッ」と聞こえるドラムス(スネア)に体を揺らし、そして・・・コルトレーンのソプラノサックスが捻り出してくるような叫びに畏(おそ)れ慄(おのの)きながら、吸い込まれていった。
impulse期のコルトレーンの音楽というのは・・・atlantic期までの端正さとは決定的に違う何かなのだ。それは、僕の解釈では「没入すること」で、その良さが判る音楽なのだ。その音楽(この場合、「音」と言ってもいいかな)だけを集中して聴いていくと・・・自ずと忘我の境地になる。つまり、それがこのLPのタイトルにもなっているSelflessnessということなんだろう。そして何よりもコルトレーン自身がその境地に至るまでアドリブを続けていくと、それは止むに止まれぬ「叫び」となり・・・そうなのだ!それこそが「コルトレーンの唄」なのだ!コルトレーンが叫び終えると・・・ようやく演奏は終る。
ついに聴いた1963年の my fevorite things は、やっぱり凄かった。圧倒的に凄かったのだ!
my fevorite thingsという曲は、ミ・シ・シ/ファ♯・ミ・ミ/シ・ミ・ミ/ファ♯・ミ~/というシンプルなメロディーで始まる。その時のコード(伴奏の和音)はEマイナー(ホ短調)なのだが、曲の後半になると、その同じメロディに対し、コードがEメイジャー(ホ長調)に変わっている。そして、そのメイジャーの和音になった時、不思議な浮遊感が生じるようでもある。この曲・・・そんな具合にさりげなく凝った曲である。こういう曲を創ったリチャード・ロジャーズも偉いが、その曲の面白さを発見したコルトレーンも偉い!(笑)
そうしてコルトレーンは、この曲をジャズとして演奏する際、構成をシンプルにしたかったのだろう・・・テーマのメロディ提示が終った後、コーラス(元々のメロディどおりに小節が進行すること)を繰り返すのではなく、バックの伴奏には「Eマイナー/F♯マイナー」部分だけを延々と繰り返させる。そうしてその音パターンをバックに長いアドリブに入る。それを充分に続けると、一度、テーマの合わせをしてから、今度は「Eメイジャー/F♯マイナー」に移る。コルトレーンは、atlantic期の初演からこの構成を変えていない。同じコードを繰り返すモード的解釈の下、充分にアドリブを吹き尽くすことができるだけでなく、そのコードを短調から長調へ変えることで、サウンドに変化が付けられる。そうしてこの構成が見事だと僕は思うのだ。
さて、リチャード・ロジャーズ作の my fevorite things は、もちろんワルツ(3拍子)なのだが、この3拍子曲へのコルトレーンの解釈・・・これがまた独特なのである。
ピアノやベース、ドラムスの伴奏陣がワルツをごく普通に乗る場合、1小節3拍を『ダン・ダン・ダン』(ダン=1拍)と1拍づつ刻むのだが、(1拍目に4分休符を入れたとしても『(ウン)・ダン・ダン』) マッコイは決してそういう風には弾かない。コルトレーンがテーマのメロディを吹く場面のバックでは『(ン)・ダア~ダ(ン)/(ン)・ダア~ダ(ン)』と小気味良く和音を刻む。そして、先ほどのEマイナー部分で、マッコイがその付点4分音符を2回続けると・・・『ダ~ン・ダ~ン』と聞こえる。このパターンを基本として、後は休符を入れたりしてはいるが、もう頑固的に『ダ~ン・ダ~ン/(ウ)・ダア~~ン』(ダーン=1.5拍、(ウ)=半拍の休符、ダア~~ン=2拍半))の繰り返しなのである。
そうなのだ・・・コルトレーン(バンド)流の3拍子解釈は・・・「付点4分音符の連打」が基本なのである。(つまり 1.5X2=3 ということ)
そしてその独特の3拍子ノリが延々と繰り返される中、コルトレーンのアドリブ(ソプラノサックス)に集中していくと・・・なにやら催眠的効果も生じてくるようでもあり、さきほど言ったような「忘我」を味わうことになるのだ。
さあ・・・「Eメイジャー/F♯マイナー」に移る。それまでのマイナー調から一転して輝くような感じのメイジャー調の響きになると・・・コルトレーンは乗りに乗る。ソプラノサックスの音色とこのEメイジャーの響きが・・・不思議によく合うのだ。長いアドリブの最後の方・・・この辺りからがまったく凄い。ここからは「付点4分音符X2」の連続攻撃だ!
高い方から<シ~・ソ♯~/ミ~・ド♯/シ~・ソ♯~/ミ~・ド♯>と2オクターブかけて降りてくる『パア~・パア~/パア~・パア~』というフレーズを繰り返すコルトレーン!
そのフレーズにマッコイとギャリソンがここぞ!とばかり、その「付点4分音符X2リズム」に合わせてくる~『ダア~・ダア~/ダア~・ダア~』
う~ん・・・もうたまら~ん!これこそコルトレーンの唄なのだ!。歓喜の爆発なのだ!
しかしこの決定的場面で、ロイ・へインズは、そのダア~・ダア~(付点4分音符X2)を、なぜか合わせてこない。
エルヴィンならここは絶対にタメにタメた付点4分を乗っけてくるはずだ。僕の勝手な推測では・・・おそらくロイ・へインズは、敢えてそのエルヴィン風にしなかった・・・のだと思う。それは・・・ヘインズの意地かもしれない(笑)
しかし・・・その直後、コルトレーンがソプラノを打ち震わしたような歓喜フレーズの最後の段階に入ると、ここでロイ・へインズが必殺フレーズ(リズム)を繰り出してくるのだ~
『ダダ・ダダ・ダダ/ダダ・ダダ・ダダ』~3拍子3拍(4分音符3回)に対しての8分音符6回(スタカート気味)~これはもう、一瞬、テンポが加速してしまったかのようなノリなのだが、それはコルトレーンの唄いに感応したへインズの閃(ひらめ)き・・・そして、バンド全体の感じた歓喜への素晴らしいレスポンス(反応)なのだ・・・と僕は思う。ロイ・へインズもやはり凄い。
・・・そんな具合に、僕はmy fevorite thingsを何度も聴き、そしてそのたびに感動した。
考えてみれば・・・あの頃は「オリジナル盤」も「鮮度感」も「録音の良し悪し」も関係ない(笑)ただただ・・・その「音楽」を聴いて、そうして感動していたのだ。
まあそれを単純に言えば・・・ワカゲノイタリということだろうけど(笑)
そうして、今、50才を過ぎた自分が冷静に言うのならば・・・「コルトレーン」という人の音楽は、そういう「没入的」な聴き方に適している・・・とも思う。だから「ジャズ」というものを好きになってきたのなら、たとえカセットで聴いても、その「唄い」に集中していけば、オーディオや録音の拙(まず)さをモノともせず、音楽的な感動に導いてくれる・・・そんなタイプの音楽といえるかもしれない。
ジャズ好きになったからには(いや、そうなっていく経過として・・・)ある時期、コルトレーン音楽(impulse期1961年以降の)に、のめり込むことは、たぶん・・・あってもいい(笑)
もちろんなくてもいいのだけど、コルトレーンを聴く場合の、あのなんというか・・・管楽器の音に集中していく時の~聴き手である自分がその吹いている奏者の気持ちに同化していくような(たとえそれが錯覚だとしても、いいじゃないですか:笑)そんな気持ちを味わう・・・というのも、音楽の聴き方のひとつだと思うのだ。
僕の場合、そういう「コルトレーン聴き」を経て、実はその後、同じテナー奏者なら、ソニー・ロリンズの方により惹かれるようになっていったわけだが、その辺のことはこの記事で。
もちろん僕はコルトレーンを好きだし、今でもたまに聴くと、やっぱり気持ちいい(笑)
ただ僕は最晩年の「アセンション」や「クル・セ・ママ」まで聴き込むほどの本当のコルトレーン好きではない。
わりと聴くレコードも、prestige後期とimpulse初期に片寄っていて・・・苦手なimpulse後期だけでなく、なぜか、atlantic 時代もあまり聴いてない。
私見では、コルトレーンのatlantic時代というのは、どれもが意欲に満ちていてグループとして新しいサウンドをしてはいるが・・・なにか雰囲気が堅いというか、ガチガチに練習したような感じで、どれもが「習作」(impulse初期の充実ぶりから見ると)という感じがするのだ。ただ、その新しいグループサウンドを目指す姿勢~それまでの和音とは別の響きのする、いわば実に「コルトレーン的」なモード曲を造り上げていこうとする~というかその過程自体を好む方がいるのも当然だと思う。事実、サックスを吹く僕の古い友人は「atlantic期のコルトレーンが好きだ」と明言している。
《追記~その古い友人sige君からのメールで、彼自身のコルトレーン体験に触れた一節があったので、その一部を紹介したい。(以下斜体)
~(中略)~若き日(中三)にコルトレーン教と言うか、あの呪術と法悦以外、ジャズはありえないと頑なになっていたこと~(中略)~最初聞いたのがアトランティックの「マイフェバリットシングズ」であり、ビレッジバンガードセッションの「ソフトリー」であり、最後のアルバム「エキスプレッション」でしたので、混沌と浄化と感動という、まあだれでもはまる信者の道一直線だったわけです。ですから、大学一年のとき君に出会い、「コートにスミレを」を紹介され、楽曲を消化し創造するミュージッシャンとしてのコルトレーンという視点を得たことは、オーバーな言い方になってしまいますが、その後のコルトレーンに対する、いやジャズそのものに対する見方が少しずつ変わっていったように思っています。( モンクやミンガスや他にもいろいろあった)
あれから何十年と経ち、コルトレーンミュージックも僕の中では相対化され絶対的なものでなくなり、今はちょっと聞こうかぐらいの存在になってしまったけれど、あのころ夢中で、それもしがみつくように何か救いを求めるように聞いた体験は、どっかに自分の中で生きているのだろうと思います》
そうして、その(僕の耳には)ちょっとばかり堅苦しいatlantic時代を経た、impulse初期(特に1961年~1963年までのライブ録音ものは)になると・・・これがいい!
なんというか、理論や構成を学ぶ時期を突き抜けて、演奏そのものが音楽的にも流れが自然でとても聴きやすいのだ。
つまり・・・フォーム(形式)だけに拘らない精神というか、その枠を打ち破ろうとする精神というか・・・とにかくそういうパワー、意気込み、情熱みたいなものを感じるのだ。コルトレーンの音楽の(僕が感じる)美点とはそういうものだと思う。いや、それが一番素晴らしいのは、そういうspirits(精神)が、ただ教条的、あるいは観念的なものに陥らずに、音楽的にもダイナミックな抑揚のあるジャズのビートを保った範囲内での葛藤がある、というか・・・やはりジャズのビート感というのは・・・定型リズム、定型テンポの中での、あの伸び・縮みの感じが素晴らしいのであって(エルヴィン・ジョーンズの良さもそこにある!)そういう観点から見ると、やはり何らかの「枠」は必要なのである。その「枠」に対してのチャレンジ(音楽的な)であるからこそ、そこにダイナミズムが生まれて、それが(音楽的な)快感にもなっていくはず・・・と僕は思うのだ。
なにやら回りくどい言い方になってしまったが、つまるところ、僕にとっての素晴らしいコルトレーンというのは・・・どうやら1963年くらいまでに限定されてしまうようだ。
そうして、1963年7月のニューポートジャズ祭での my fevorite things は・・・こんな小理屈など軽くすっ飛ばして・・・ただただ、素晴らしい。
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コメント
abraxasさん、コメントをありがとうございます。しかも、こんなに古い2010年1月記事へのコメント・・・)「コルトレーン」とか「my fevorite things」で検索してこの記事を見つけてくれたのでしょうか・・・実になんというか・・・とにかく嬉しいわけです(笑)
ほんとに・・・コルトレーンというミュージシャンの音というのは、コルトレーン自身の心の声がああいう音色に造り上げていった・・・という感じで、だから、基本的には、澄み切った深くて重い音色で歌うコルトレーンが、時に「叫んだり」して、(普通に言えば)かなりなアヴァンギャルドな音楽になったとしても・・・あの「音色」こそがコルトレーンという人間の歌なんだ~と一度(ひとたび)納得すれば(コルトレーンを好きになれば・・・abraxasさんがおっしゃるように「難解なんてことはない」のだと思います。
僕もabraxasさんとほぼ同年齢で、あと1年ちょいで還暦になります。好んで聴いているのはどうしても1960年代前半くらいまでのレコードばかりです。この頃、ちょっとクラシックの古い録音のものも聴いてますが、60になっても70になっても「いい音楽」だけは聴いていきたいですね。もちろんその「いい」とは・・・自分にとっての「いい音楽」ということで、それぞれの方が自分の好きだと感じる音楽を聴き続けていけばいいのでしょう。実際・・・年季の入った音楽好きのみなさんは、そうしているはずですし(笑)
追伸~abraxasさん、というお名前の由来は・・・やっぱり、サンタナのあれでしょうか? 僕はロックはほんのちょいしか聴きませんが、その僅かなロックLPの中に、サンタナのこのタイトルLP・・・入ってますよ(笑) またいつでも古い記事にもコメントください。通知がくるので返事コメントします。
投稿: bassclef | 2015年12月20日 (日) 11:57
右も左もわからない若い頃、夢中で聞いたインパルス時代のコルトレーンが懐かしくなり、最近片っ端から埃にまみれたレコードを聴きまくっている、還暦を過ぎた老人からコメント差し上げます。私も全く同じく、あまりコルトレーンはアトランティック時代は聞かずに、インパルス時代をメインに聞いてきました。高校2年に買ったヴィレッジヴァンガードライブ、次がクルセママでした。クルセママは本当に感度し、人生で何度聞いたかわかりません。コルトレーンはわかりにくいと言われますが、決してそんなに難解なことは行っていないと思います。アセンション、メディテーション、トランジション、定番の至上の愛、バラードと本当に素晴らし作品ばかりです。
ファラオサンダースにフリーキーな演奏を故意にさせていたような気がします。その対比としてコルトレーンの演奏が歌心に溢れ、まさに歌のように響きます。ディアロード、ウエルカムなどの美しさ、詩的な表現はコルトレーンならではのものではないでしょうか。駄文、長文で失礼いたしました。
投稿: abraxas | 2015年12月20日 (日) 07:41
おお、M54さん、ちょいヒサです!本年もよろしくお願いします。
エブリタイム・ウイ・セイ・グッバイ(コール・ポーター作曲)~コルトレーンのAtlantic盤:My Fevorite Thingsに入ってましたね。そして・・・これ、そうでした・・・ロリンズの『サウンド・オブ・ソニー』にも!こちらも久々にロリンズの方、聴いてみました。いやあ・・・いいですね(笑)
コルトレーンの端正な仕上げ方(でも何かしらしみじみしたような雰囲気が感じられる)に対し、ロリンズ先生の方は・・・もう小唄風というかピチピチと跳ねるような明るい感じで、それはシミジミというより、ジャズのビート感溢れる理屈ぬきの気持ちよさ・・・という感じで(笑)
ブログやってていつも自分でも実感するのが・・・まあ自分の「ジャズ・ミーハー」さと節操の無さというか・・・あれもいい、これもいい!ということばかりで(笑)
まあでも40年近くジャズを聴いてきて、実感として言えるのは・・・みんな凄い!のひと言です。
パーカーにはパーカーの、ロリンズにはロリンズの、そしてもちろんコルトレーンにはコルトレーンの!もうちょっとおとなしめだと、ハンク・モブレイやズートシムス・・・それぞれにそれぞれの確固たる個性・持ち味がある。そして僕らジャズ好きはレコードに残された彼らの個性を楽しめばいい・・・素晴らしいことですよね。
M54さんのコメントにあったコルトレーンの『トランジション』~1964年以降コルトレーンとしては、数少ない僕の手持ち盤の中にありました。これ、たしか・・・コルトレーンの死後、1970年頃に発表された作品でしたね。そういえば本記事で挙げた『セルフレスネス』も、1969年発売の当時の未発表作だったようですね。
コルトレーンがインパルスから新作を発表していた時代からリアルタイムでコルトレーンを聴いたきた古くからのジャズ好きには、これら2作品は、どう映ったんでしょうか? 実に興味あるところです。
投稿: bassclef | 2010年1月17日 (日) 12:00
bassclefさんこんにちは。 今年もよろしくお願いいたします。
コルトレーンとの出会いはジャズ喫茶のマスターにさんざん聴かされて洗脳された(笑)
当時の友人もコルトレーン信者であった。 70年代、僕の周りはコルトレーン崇拝者が多かった。 天邪鬼の僕はドルフィーとミンガスに行っちゃうわけですが、それでも毎晩、『トランディション』を聴いて燃え上がり『ディア・ロード』で涙したものでした。
アトランティックの『マイフェバリット~』を昨夜久しぶりに聴きました、2曲目の『エブリタイム・ウイ・セイ・グッバイ』から『サウンド・オブ・ソニー』の同曲へと脱線しました(笑)ええなーロリンズ。
今夜はインパルスのコルトレーンに手を伸ばしてみようかと思います。 久しぶりに。
投稿: M54 | 2010年1月15日 (金) 08:45
bsさん、コメントをありがとうございます。
>コルトレーンが~歌っていたんです~
そうなんですよね。コルトレーンももちろん「歌って」るんです。
そういえば<コートにすみれを>のバージョン比較のジャズ記事で中で《ズート・シムスはよく歌っているが、コルトレーンは歌ってない》という内容のジャズ記事を読んだことがあります。それは・・・要は、その評者にとっての好みがシムスのようなタイプの歌い方であって、だからと言って(たぶん)好みではないコルトレーンを「歌ってない」と書くのは、ずいぶん乱暴だなあ・・・と軽く憤慨したものです(笑)もちろんジャズへの好みは人それぞれでいいはずですが、それぞれのミィージシャンにそれぞれの「歌い方」があるということだと思います。そしてジャズを長いこと聴いていくと、自分がどんなジャズ(ミュージシャン)を好きなのか・・・そんな自覚が自然に生まれてくるのかなと思います。僕など60年代までのジャズであれば、そしていいスタンダード曲なら、どれもこれも好きなので、<コートに~>なら、コルトレーンもズートもJRモンテローズもペッパーもそしてシナトラも、全部好きです(笑)
ジャズにはいろんな楽しみ方がありますね。
bsさん、今年もよろしく!
投稿: bassclef | 2010年1月14日 (木) 23:00
こんにちは。
このmy fevorite things、難行苦行を強いられていた(笑)頃、リアルタイムで聴きました。まだ20歳そこそこの若造には到底、制御できぬ烈しく、得体の知れない感情に駆られ、気が付いたら、そのジャズ喫茶を飛び出していました。
「歌わない」と揶揄されていたコルトレーンが薄暗い空間の中で歌っていたんです。その遠い昔の思い出は、今でも決して色褪せることはありません。これからも。
投稿: bs | 2010年1月14日 (木) 17:03
ああ、遼さん!お久しぶりです&明けましておめでとうございます。
遼さんのブログ~Days of Music & Movies
http://parlophone.blog.so-net.ne.jp/
いつも拝見しております。60年代~70年代のロック音楽を今でも愛好しているコアな方々が集まるブログなので、中途半端なロック知識しかない僕にはなかなかコメントできなくて・・・こちらこそ、すんませんです(笑)
今回、「ワルツ」拘りの遼さんからコメントが入って嬉しいです。というのは、拙ブログの「サウンド・オブ・ミュージック」記事~これ、実は遼さんがうんと前に「3拍子・魅惑のリズム」
http://parlophone.blog.so-net.ne.jp/2007-01-28
をアップされた時に、それに触発されて、いつか書いてみたい~と思っていたものなんです。
あの記事で、遼さんが、映画「サウンド・オブ・ミュージック」の中のきれいな写真も付けて挿入歌 my fevorite thingsのこと~コルトレーンのこと、ロリンズのことなど書いてました。あの時・・・bassclefとしてもちょっと思うところがあって、チャイコフスキーの「花のワルツ」を挙げたのですが、それは「花のワルツ」の終わり付近のリズムと、1963年ニューポートライブのmy fevorite thingsの演奏のエンディング付近の「歓喜のリズム」(ロイ・へインズの「ダカ・ダカ・ダカ」)がどうも似た感じのような・・・というコメントを入れてたんですね。
遼さんの12月1日の「続・3拍子の魅惑」
http://parlophone.blog.so-net.ne.jp/archive/20091201
そのことと、コルトレーンの「ワルツ・ノリ」には前から興味があって、あの独特の「ダーン・ダーン」(1.5x2回)のことをちょっと突っ込んで書いてみたかった・・・というわけです。
コルトレーンの音楽は、僕が本記事冒頭に書いたように、ホントは「没入して聴くだけ」でいいんですよね。そしてそのプレイに自分の感性を同化させれば・・・(たぶん)素晴らしい音楽体験ができる・・・というより他に言いようがないのかもしれません。
まあでもそれだけだと「ただ素晴らしい」で終っちゃうので(笑)あの3拍子の独特のグルーブ感について、どういう仕組みだろう?という気持ちで聴いて、ちょっと理屈っぽい書き方になってしまったようです。高1の頃に聴いていた時にはもちろん、分析的な聴き方などしてませんが(笑)
音楽は語れない~というのが本当のところでしょう・・・と、思ってはいるんですが、その一方で、いや、なんとかその雰囲気だけでも表わしたい・・・という気持ちもあって、まあそんなことで、ある意味、今でもワカゲノイタリです(笑)
遼さん、2010年もポチポチ(しかし粘り強く)やってきましょう。よろしく!
投稿: bassclef | 2010年1月 4日 (月) 21:01
bassclefさん、あけましておめでとうございます。
昨年はコメントもほとんどできずに申し訳ありません。
仕事のほうがじつになんというか…、もう自分のブログを更新するのがやっとという感じで…。
で、「JAZZの愛聴盤」のほうもめったに記事を書けなくなってしまいました^^;
63年のニューポートのコルトレーン、さすがですねー。
ぼくはあまり分析的に聴くのが得意ではないので、bassclefさんの記事を読みながらなるほど~と何度も思ってしまいました。
ほんとうは昨年の『サウンド・オヴ・ミュージック』のほうにもコメントしたかったのですが…。
なにはともあれ、今年もよろしくお願いいたしますm(_ _)m
投稿: 遼(Parlophone) | 2010年1月 3日 (日) 22:46
67camperさん、あけましておめでとうございます。元旦早々のコメント、どうもです。
この夢レコでは、僕:bassclefのジャズのめり込み時期の思い出話しになることが多いのですが(いつもくどくてso sorry pleaseです:笑)それは・・・自分のことだけでなく、ジャズ好きの皆さんがどうやって、どういう経過(出会い)で、このジャズという音楽を好きになっていったのか・・・ということにも興味があるからかもしれません。
ひとことにジャズと言っても・・・ジャズには本当にいろんな局面があって、音楽好き100人集めて「ジャズ」とは?と問うても、おそらく、それぞれにとっての「ジャズ」は、100通りになるでしょう。(要は人の好みはそれぞれ・・・ということなんですが)
camperさんの「コルトレーン体験」は、う~ん・・・なるほどなあ・・・と思える興味深いものでした。
同時期に聴いたロリンズ(サキソフォン・コロッサス)とatlantic期の2枚への印象が、いろんな意味で実にリアルですね。
そして、camperさんがジャズ聴き初めの頃から『ますますロリンズが好きになる感じで』という風に感じたこと~そのことに驚きました。それはやっぱりcamperさんがその頃の活字情報(コルトレーン賛美だらけの)だけに踊らされずに、自分の耳(感性)で素直にジャズを聴いて、自分の好きなジャズというのを(無意識的にでも)感じとっていた・・・ということだと思います。
「出会いのレコード」~これは確かに難しい問題ですね(笑)まあしかし、どのレコードが正解か不正解かは(これも結果として後にしか判らない)・・・その聴き手の好み(これもその時点では無自覚のことが多いわけだし)によるだろうし・・・。
でもしかし・・・コルトレーンの場合で「クル・セ・ママ」は・・・ちょっとキツイでしょうね(笑)
いや、でも最初から「アセンション」「オム」「メディテイション」でも全然OKの方もいたのでしょう(特にあの時代~1966~1969頃ならば・・・たぶん、ああしたサウンド自体へのある種の「慣れ」(ジャズ喫茶で鍛えられる)もあったでしょうし)
僕の場合は、camperさんが《コーラスが入るようなジャズ~》と書かれているのと同様に、ジャズ喫茶で何度か聴いた、『至上の愛』(当時「コルトレーンの最高傑作」とされていた)・・・「ラ~ヴ・シュ~プリ~ム!~~~~」あれで、もうちょっとダメでした(他のパートはまだ大丈夫)
投稿: bassclef | 2010年1月 3日 (日) 09:42
あけましておめでとうございます。
自分の場合は「習作」と評されたアトランティックの2枚、"My Favorite Things"と"Giant Steps"が最初のコルトレーンでした。丁度、ロリンズのサキコロを購入した時期と一致します。ゆったりとグルービーなロリンズに比べ、チャルメラのような"My Favorite Things"と圧倒的なスピード感が印象的な"Giant Steps"は全く好対照の2大巨人に対する第一印象でした。こうなるとロリンズが絶対に気持ちいい訳ですよね。ご指摘のように枚数が少ないですから何度も何度も聴く訳ですが、ますますロリンズが好きになる感じでしたね。コルトレーンは何となくギズギズした感じで辛い感じさえありましたね。次に手に入れたのがなぜか「クルセママ」と「至上の愛」でした。もう初心者としては大失敗の選択ですよね。多分以前に自分を指南した植草甚一氏の本の影響かも知れませんね。アホですね。コーラスが入るようなジャズが最初から理解できる訳がありません。やっとブルートレイン、ソウルトレーンと聴いて行くにつれコルトレーンのサウンドカラーが理解できその偉大さに気付く訳です。でも最終的にこの2枚がピークでしたね。周辺のプレステッジ盤、インパルス初期盤も聴きましたが、やはりBLUE&SOULTRANEには及ばない。自分にとってはソプラノは要らないです。
今年も宜しくお願いいたします。
投稿: 67camper | 2010年1月 3日 (日) 06:43