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2007年2月 1日 (木)

<ジャズ回想 第9回> ロリンズのことを少し。

ライブで見たロリンズのあれこれ。

ソニー・ロリンズ。僕にはどうにも特別な人だ。
ジャズ聴きの記憶をたどってみると・・・テナーで一番最初に好きになったのは、ロリンズではなくコルトレーンの方だった。
それはただ単に、高1の夏に買った「モンクス・ミュージック」というレコードにジョン・コルトレーンという人が入っていたからだったのかもしれないし、ジャズ初心者にとっては、ある意味、コルトレーンの方が「判りやすい」ということもあったように思う。世代的なものかもしれないが、僕など相倉久人の本を読みまくったクチなので、「コルトレーン」を好きにならないわけにはいかなかったのだ(笑)
コルトレーンのジャズは・・・自分が安定して吹けるフレーズを吹いて安定したノリでもっていい雰囲気を出そう、というような世界とは全く異質な「修行ジャズ」の世界だ。だから・・・どのレコードでも、コルトレーンは、常に「格闘」していたのだ。ジャズを好きになったばかりの僕は、コルトレーンのあのもがくようにテナーを吹き進める、そういう求道的な姿に惹かれていたのかもしれない。そしてもちろん、コルトレーンの音色やフレーズには硬質でメカニカルな感じもあり、なんというか・・・器楽的な快感もあった。

1972年の秋からプレスティッジの1100円盤シリーズが発売されたので、そこから、コルトレーンやモンクのLPを集めるようになっていった。ロリンズが入ったレコードを最初に聴いたのは・・・あれは、モンクの「セロニアス・モンクとソニー・ロリンズ」だった。Dscn1592
《1954年録音のthe way you look tonightとI want to be happy収録。the way~出足のロリンズの3音にのけぞる(笑)モンクのピアノソロの後の、ロリンズ節はもう最高だあ!この1954年10月のモンク&ロリンズのセッションではもう1曲:more than you know も吹き込まれており、それは moving out というLPに収録されている。そして、このセッション3曲だけ収録のオリジナル10インチ盤がこれです。この10インチ盤は、音の鮮度もいいとのこと。うらやましい(笑)special thanks to Mr.NOTさん

まず「テナーの音色の違い」に驚いた。コルトレーンの「輪郭が直線的な感じでぐっと引き締まった音色」に対して、ロリンズの方は・・・どちらかというと音色の輪郭が曲線的で、音像自体も「ブオ~ッ」と大きく膨らませたような感じに聞こえた。コルトレーンのテナーの音色に馴染んでいたためか、
最初のうちはロリンズのそんな音色にちょっと違和感を覚えた。つまり・・・僕は1972年の秋に「モンクとロリンズ」というレコードを聴いたわけだが、その頃はまだ「ロリンズは凄い」とは感じていなかったのだ。

1975年にジャズ研に入ってウッドベースを始めたのだが、そこでギターやピアノ、ドラム、それから管楽器にも触ることができた。楽器というものが一気に身近なものになってきた。
アルトやテナーは、マウスピースにリード(葦でできた薄い板。これが振動する)があるので、マウスピースをくわえて息を吹き込めば~音がひっくり返ったりすることはあるが~とりあえず「音」は出る。
ちなみに、トランペットやトロンボーンだと、最初は「音」が出ない。息の吹き込み方以前に、唇の当て方・締め方などに微妙なコツが要るのだ。だから「音」が出るようになるまでの努力ができなかった(笑)
そこで「テナー」である。試しに吹いてみたらすぐに音が出たので、それが楽しくて、時々お遊びで吹かせてもらうようになった。その時、自分でも驚いたのだが、はっきりと自覚できたことがある。
アルトの音よりテナーの方を、だんぜん気に入ったのである。
ごく単純に言えば、アルトよりもテナーの方が、柄が大きい分だけ、音が低めで太い。そしてなぜか音の「抜け」がいい。軽く出てくる。スカッとする。それとこれは正にフィジカルな感覚だが、テナーの低い方の「ド」や「シ♭」を吹いた時、ビリビリと身体に伝わってくる独特な振動が、これまた気持ちいいのである(笑) 
実際、ドヘタでもなんでも(笑)好きな曲のメロディを吹くと・・・とても気持ちがよかった。もともと僕はいい曲のメロディが好きだった。小学校や中学の音楽の時間で聴く名曲も嫌いではなかった。そんな音楽好きとしては、メロディを唄いたかったかのだが、高い声が出ないし息が続かない。いや、それより・・・とにかく恥ずかしい(笑)
ところが「楽器」なら全然、恥ずかしくないのだ。いくらでも唄いたい。いいメロディを唄いたい。僕はそんな気持ちで楽器を始めた。だからウッドベースでも、すぐメロディを弾いてしまう(笑)
もっとも「楽器で唄う」ということは、もちろんそんなに簡単なことではない。
一生懸命に楽譜を読んで、ようやく覚えた運指を、間違えないように慎重に押さえていくだけでは、ただ「吹いている、弾いている」だけになってしまう。
楽器の本当の面白とは、正に「楽器で唄う」ことを目指すことだと思う。

ある「曲」を本当に好きになる。そうすると・・・そのメロディを、アタマの中で何度も何度も唄ってみる。それこそ、鼻歌のように口ずさんでみてもいいだろう。そのうち、そのメロディやコード進行なども、身体で覚えてしまう。「ソラ」で唄えるようになったその「感じ」を、そのまま楽器で出してみたくなる。
そんなことが「楽器で唄う」ためには、ぜひとも必要なことかもしれない。
実際、「決まっている」メロディやコードを覚えるだけでも、なかなか大変なのである。そうして、ジャズのアドリブというのは・・・テーマ(決まったメロディ)を吹いた後に、今度は「決められてない何か」を吹かなくてはならないのだ。コード進行などから、ある程度、考えておいたアルペジオだとかでも、もちろんギクシャクしてしまうものだろう。ましてや、その場でパッと思いついた何らかのフレーズを、ごく自然に「唄うように」吹く、というようなことは・・・これはもう相当に難しいことなのだろう・・・というようなことが、器楽の実感として判ってきたのだ。
そこで・・・ロリンズなのである(笑)
「器楽の実感」を味わった後に「モンク&ロリンズ」を繰り返して聴いていると・・・以前にはそれほどいいと思わなかった the way you look tonight では、ロリンズのアドリブのフレーズが、なにかこう「自然な」感じに聞こえてきたのである。どんどんと湧き出てくるフレーズが実に滑らかなのだ。ようやく僕は、ロリンズのアドリブには、そんな「自然な唄い」が溢れていることに気づいたのだ。
「ぶお~っ!」というあの大きく響く音色にも馴れてきて・・・なによりも「ロリンズの唄」が気持ちのいいものになってきたのだ!
そうなるともう、ロリンズという人をどんどん好きになってしまうのだった。

ロリンズ自身がうんと初期のインタヴューで語ったといわれる「僕は口笛を吹くようにサックスを吹きたい」という言葉は、見事にロリンズのプレイの本質を語っていると思う。「口笛のように」は・・・何を意味しているのか?
人は口笛を吹くとき、「ここのフレーズは音が飛ぶから難しいぞ」などと技法的なことを意識するだろうか? 気分がよくて思わず出るのが、口笛であり、思わず口ずさむのが鼻歌というものだろう。だからそのメロディは知っている一部だけであったとしても、とても自然なものである。「さあ、吹くぞ」という構えたスタンスになるはずもない。そんな風に、いかにも自然に湧き出てくるように「メロディ」を吹きたい。そういう自然な唄をテナーで唄いたいのだ・・・そんな意味だと僕は思う。
ロリンズのこの言葉には大いに共感してしまった。
そうして、そんなロリンズという人の演奏を好きになるということは・・・その「唄い口」の自然さに共感することだとも思う。

もともと楽器というものは、メカニカルなものだと思う。楽器の一番のおもしろさ、そして難しさは・・・そのメカニカルな性(さが)を、しっかりと自分のものとして身体に馴染ませ、そうしてそこから、いかにナチュラルな「自分自身の唄い」を紡ぎだしていくのか、というところにあると思う。そして、ロリンズという人の一番の凄みは・・・そんな「自分自身の唄い」を、本当に自然な感じでテナーサックスという楽器に唄わせていることだと思う。実際、いろんなレコードで聴いたロリンズのアドリブからは分析的なものをほとんど感じなかった。ロリンズは、テナーを自分の「ハナ唄の道具」のようにしてしまったのだ。特にスタンダード曲でのロリンズは、そんな風に聞こえる。

さて、僕はこんな風に判ったようなことを書いているが、しかし僕自身、ロリンズを本当に好きになるのまでには、まだ少々の時間がかかったのだ。
ロリンズという人は・・・テナーという楽器自体を好きな人には、堪えられない魅力のあるミュージシャンだと思う。しかしそうでない場合は・・・レコードからだけでは、案外に「判りにくい」タイプのミュージシャンかもしれない。
ロリンズは、マイルスのようにひとつのバンドを練り上げておいて、一枚のレコードの隅々にまで気を配って「完成されたレコード作品」を作り上げるタイプではない。それより、まず自分がその時、「どう吹きたいのか?」ということだけを意識しているように見える。だから・・・自分の出来はもちろん、サイドメンの出来やレベルによって、レコードの仕上がり具合にムラが出てしまうように思う。
もちろん1950年代半ばから1960年代半ばまでのレコードは、どれも素晴らしい。覇気に溢れたブロウが聴かれるアップテンポの曲や、豊かに唄い上げる渋いバラードが、どのレコードにも入っている。バックのミュージシャンもいいし、なによりロリンズ自身に「ヒラメキ」が溢れている。
それから・・・「ライブのロリンズ」が、これまた別格なのだ。1957年の「ヴィレッジ・ヴァンガードの夜」の、あの溢れ出さんばかりのあのヒラメキのフレーズと唄いっぷり! あれを聴けば、そして好きになれば・・・ロリンズという人が、「ライブの場」で、その本領を発揮するタイプのミュージシャンであることが想像できるだろう。ロリンズは、もともとスタジオで吹き込むレコードからは、その素晴らしさが伝わりにくいミュージシャンなのかもしれない。
逆に言うと、ロリンズという人は、ぜひともライブを見るべき人だと思う。 ひとたびロリンズのライブを見れば、誰しも何の抵抗もなく、ロリンズという人を好きになってしまうだろう。Dscn1582_3

《ヴィレッジ・ヴァンガードでのライブより少し後、1959年のライブ盤。左側が海賊盤のingo盤。右側は、ingo盤と同じ音源からのdragon盤。音質は共に良くないが、最初の2~3曲についてはdragon盤の方がいい。この時のライブは本当に凄い。テナー、ベース、ドラムスというトリオ編成。ベースのヘンリー・グライムスの強力なビート感が凄い。ドラムのピート・ラロカも強烈な個性を見せる。もちろんロリンズは強引なノリで彼らを巻き込んでいく! この3人はおもしろい。3者それぞれに自分を曲げない(笑) ロリンズを相当に好きになった方だけに、お勧めします(笑)》

そうして・・・僕は、ついに「ロリンズ」を見た。そしてこのことは、いくら強調してもいいのだが、本当に不思議なほど、ロリンズという人が「判って」しまったのだ!「ああ、ロリンズって・・・こうだったのか!」と何の抵抗もなく、ロリンズという人を理解してしまったのだ。いや・・・「理解」などという言葉は使いたくない。「判ってしまった」と言う方がより僕の実感に近い。

どうしてあんな風に音が揺れるのか? 
どうしてあのワクワクするようなリズム感を出せるのか?
なぜドラムスとのフォーバースで「くい込みフレーズ」を吹いてしまうのか?

レコードを聴いて感じていたそんな演奏上の疑問みたいなことだけではなく、観衆を前にしたステージで、ロリンズという人間が醸し出す独特な雰囲気や彼の感性みたいなもの・・・そんなもの全てが判ってしまったのである。
音楽というものは、やはり、ある人間が意図を持って、何らかの音を発してて、初めて音楽なのだと、僕は思う。だから・・・その「音」だけでなく、その「音」をどんな表情、どんな姿勢、どんな身体のモーションを使いながら発しているのか? そんなようなことも、何かを表現しようとする姿勢として、とても大事なことなのだと思うのだ。
そうして・・・一度でもロリンズを見た人は、すぐに気づくだろう。
ロリンズという人は、素晴らしい「表現者」なのだと。
そうして、ロリンズという人は「感性の人」なのだと。

ロリンズはノッてくると・・・テナーを吹きながら、ステージを左右、前後に歩き回る。それからサックスを上へ下へ、左へ右へ揺らしながら吹きまくる。
サックスを高く持ち上げたままブロウする時などは、まるで自分の音を周りの空間に撒(ま)こうとしているかのようだ。
ロリンズは、歩き回るだけでなく本当によく身体を動かす。
そうだな・・・
ちょっと前かがみになって、両足を交互に軽くステップしてみたり、
身体を小さく左右に揺らしてみたり・・・
そんな風にして、自分が今、感じているビート感を体現しようとしているのだろう。とにもかくにも、ロリンズという人は・・・その演奏の姿を見ているだけで、こちらをワクワクさせてくれるのだ。

繰り返すが、本当にロリンズは「感性の人」だと思う。
ロリンズの演奏をレコードで聴き、ライブで見ると、つくづくそう思う。
コード進行に沿って合う音を探って分解してそれらを組み立てる・・・なんていう技術的な部分は、もうとっくに超越しているかのようだ。ロリンズのやり方というのは、おそらく・・・ロリンズの心の中でしっかりと消化した、そのスタンダードソングの持つ「唄の雰囲気・表情」みたいなもの、それだけを「きっかけ」として、あとは心の底から湧きあがってくる自分の「唄」を、その場でそのままテナーに吹き込んでいく・・・そんな感じなのだろう。
もちろん、こういうやり方は言うほど簡単ではないと思う。
つまり・・・インスピレイションがひらめいた時とそうでない時の落差がけっこう大きいと思うのだ。Dscn1583

《3枚ともヨーロッパでのライブ海賊盤。ジャケットには1963年:独のstuttgart録音と記されている。こちらはドン・チェリーらと共演。音質はやはり良くない》

ロリンズのライブを、静岡(1979年2月)、東京(1981年1月)、京都(1983年1月)、大阪、名古屋と5回ほど見たが、全てが最高だったわけではない。静岡、大阪ではノリにノッたが、東京と名古屋でのコンサートはあまりよくなかった。もともとロリンズは、曲の構成やらアレンジの部分で聞かせるタイプではないので、「ひらめかない」時には、ずるずるとまとまりのないフレーズを吹き流したり、それから「自分のノリ」が悪いと、すぐソロを止めてしまい、その分、サイドメンにソロを長く取らせたりする(笑)ような場面も、たびたびあったように思う。
そういえば、名古屋の時は、オールスターバンドということで、ロリンズとパット・メセニーとディジョネットのバンドだった。豪華なメンツなのだが、なぜかロリンズはあまりノッておらず、すぐにメセニーにソロを渡す場面が多く、そのメセニーのソロがかなり長くて、その後に今度はディジョネットのソロ・・・という具合で、もっともっと「ロリンズ」を聴きたかった僕は、ちょっとばかり退屈してしまった。  Dscn1587_1

《左はjazz way というレーベルの盤。1985年頃発売。録音は不明だが1963年くらいだと思う。この盤、ドラムスがアート・テイラー。1959年のピート・ラロカとは演奏上、けっこうもめたらしい。多分、この「ライブ・イン・パリ」のツアーの時に、フランスの記者に話したらしいそんなインタヴューの抜粋が、植草甚一のジャズ・スクラップ・ブックに載っていたはずだ。この時のベース奏者は、Gilberto Rovereという人だ。このjazz way 盤はちゃんとした録音だったらしく、音質は海賊盤にしては案外にいい。このトリオ編成も、強力にスイングしている。ロリンズはとにかくベースに強力な人が入っていると、よくノルようだ。それにしても・・・ロリンズほど「テナー・トリオ」が似合うテナー吹きはめったにいないなあ・・・(笑)
右側は1990年発売のmoon盤。1959年:スイス録音とされている音源だ。1968年のコペンハーゲン:モンマルトルでの録音が1曲(sonny moon for two)入っている。 20分もの演奏だ。とにかくワイルドなロリンズが聴かれる。ピアノがケニー・ドリュー、ベースはペデルセンだ。》

じゃあ「ノッた時」はどうなんだ?というと・・・静岡のコンサートで、こんなシーンを見たことがある。
その時、ロリンズは明らかにノッていた。
ステージの最前列まで歩み出てきたロリンズは、テナーの低い方の音を吹きながら、徐々に身体をかがませてくる。そして前かがみになった自分の身体の右側、横後ろの方にテナーを引き寄せた。そうして次の瞬間・・・
ロリンズは、かがませた身体を一気に伸び上がらせながら、同時に引き寄せていたテナーを、ぐう~んと前方に投げ出すようなアクションをしたのである!そう、まるで・・・バケツに汲んだ水をばあ~っと前に撒き散らすような感じで! もちろんその間もテナーからは音が吹き出ている。
投げ出す時は、もちろん「ぶお~っ!」というロング・トーンだ。
これは受けた(笑)
その時のステージでは、角度を変えて2回ほどやったように記憶している。
ロリンズという人にはそんな茶目っ気もあったのだ。
ただ、あれが最初から「バケツ」をやってやろう、というような演出だったとは僕には思えない。自分の音をシャワーのように浴びせさせたい。自分の音楽をみんなのハートに届かせたい。ロリンズの中にそんな気持ちが強いからこそ、音楽の中に入り込んだ時に(ノッた時に)ぱっとひらめいた、ロリンズにとっては自然な動作だったのだろう。
それから・・・2部構成のラスト近くだったか・・・前の曲が終わり、ロリンズはステージ前方に独り立っていた。どうやら次の曲ではバックバンドを休ませるらしい。どの曲を演るのか考えていたのか・・・なにやら上を見上げようなポーズでしばし瞑想するロリンズ。
それからマウスピースを咥(くわ)えると、なにごとか「ムニャムニャ・・・」と唸るような声を発した。ほんの2~3秒だったと思う。そうしてそのまま・・・つまり唸り声を発したままテナーを吹き始めたのだ。時々、ホンカーがやるようなあれだ。その唸り声に混じってテナーが鳴り始めた。ルバート風の(一定のテンポではない自由な感じ)唄うようなフレーズだ。もちろんもう唸り声はない(笑)
ロリンズは、なにかしらラプソディックな感じのするそのフレーズを、しばし楽しんだ後、高い音域の方から低い方へ降りてくるように展開してきた。ああ・・・これは何かのスタンダードに違いないそ・・・でも聴いているこちらには、まだ何の曲かは判らない。
そうしてうんと低い方の音から、あのメロディが始まった。
ああこれは・・・My One & Only Love だ! この時、僕も含めてステージに近い何人かが「ううむ・・・」と唸った(ような気がする:笑)
テナー1本だけでこの曲のメロディを吹き始めるロリンズ。僕はもうこの瞬間、ムチャクチャに幸せな気分になってしまった。もうバンドは要らない、いつまでも独りで吹いていてくれ~!くらいに思ってしまうのであった(笑)
この時は、さすがに曲の途中、サビからバンドが入ってきたかもしれない。Dscn1586_1

左は1974年モントルーでのライブ録音。to a wild roseという小唄風(もともとクラシックのピアノ曲らしい)が素晴らしい。この曲のエンディング前、ロリンズがバックのバンドを止めて、独りだけになる。この唄の「優しい感じ」をゆうゆうと、しかし温かく表現するロリンズ。ようやくインテンポにもっていきバンドが入ってくるところなど、もう最高だあ!観客も感極まって大拍手を送る。これこそ・・・僕がロリンズのライブで知った「もういつまでも独りで吹いていてくれ~!という気分に近い感動を味わえる1曲だ。右側は1965年録音のライブ盤。1978年頃に発表された未発表音源。オン・インパルスのライブ盤という雰囲気。ピアノがトミ・フラ。これも好きな1枚だ。》

ロリンズは、そのサービス精神からか・・・コンサートの終盤になると、よく「モリタート」や「セント・トーマス」や「アルフィーのテーマ」など、自分のヒットチューンを演る。もちろんそれも悪くないのだが、僕などは、ロリンズが演奏するこういう渋いバラードやスタンダードソングを、もっともっと聴きたい!と思ってしまう。
コンサートで「バラード」をじっくりと・・・というのもなかなか難しいのか(というより、ロリンズの考える「楽しませたい」部分にそぐわないのか)ロリンズのコンサートでは、案外「バラード」や「スタンダード」が少ないのだ。それが僕には残念でならない。
ちなみに、その後、何回かのロリンズのコンサートを含めても、My One & Only Love を聴けたのは、この静岡だけだったように思う。
「バケツ」といい、この「バラード」といい・・・やはりこの1979年2月の静岡でのロリンズは、ノッていたのだろう。

こんな風に、ロリンズという人は聴いている僕らを幸せにしてくれるのだ。
本当に得がたい個性のテナー吹きだと思う。
やっぱり僕はロリンズが好きなようだ・・・。

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