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2006年8月 6日 (日)

<ジャズ回想 第7回>  1975年7月の日比谷野音。

ついに見た動くモンク~「真夏の夜のジャズ」と「ナベサダ」のこと。

大学1年の時、東京へ遊びに行った。7月7日だったかの月曜日、フランス語の講義の後、僕は新幹線に乗った。中学の同級生であるS君と東京駅で、夕方4時頃に(この時代1975年なので、ハガキで~時~分着の新幹線と連絡しておいて:笑)待ち合わせをしているのだ。S君は4月から東京で学生生活を始めていたので、この4~5日は彼のアパートに泊めてもらうことになっていた。
東京へ遊びに行くメインの目的は・・・<真夏の夜のジャズ>である。スイング・ジャーナルの広告か何かで知った<日比谷野外音楽堂で「真夏の夜のジャズ」を見よう>というイヴェントを見るために・・・わざわざ東京まで行くのだ。このイヴェントがその週の木曜日なので、そのイヴェントの前後に2人で東京のジャズ喫茶を回ろうぜ、という大体の計画だった。 いろんなジャズの本や記事で「真夏の夜のジャズ」という映画があるんだそうな・・・ということを知っていた。そしてその映画では・・・
あのセロニアス・モンクが「本当に動いてピアノを弾く」ということも。「動くモンクを見てみたい」(笑)・・・いや、当時は「笑い事」じゃなかったのだ。1975年・・・もちろんまだヴィデオなんて普及してない。高校の授業で使ったオープンリールのヴィデオ・デッキが、かなり珍しいくらいの時代である。
もちろんTVでもそんなジャズ映画を放映するわけがない。だから・・・昔のジャズマンの演奏する姿なんて、普通ではほとんど見られない時代だった。
~モンクは一体、どんな風に「動く」のか? どんな具合にピアノを弾くのか? 本当に「踊る」のだろうか?~
ジャズファンなら誰でも、そんな素朴的な興味が相当に湧いてしまうのだった。実際・・・そういうニーズがあったから、「1本のジャズ映画を日比谷野音で上映する」なんていうイヴェントも成り立ったのだろう。(観客は満員だった!)とにもかくにも僕の「東京巡り」は・・・だから「モンクを見る!」ということが最大の目的だったのだ。だから、事前にS君と何度かハガキのやりとりをして、このイヴェントのチケットを確保してもらうよう頼んでおいた。そうして「確保できた」の知らせを受けてからの、ようやくの「東京行き決行!」だったのだ。僕はもう本当にワクワクしていた。

このイヴェントのチラシを保存してあるはずだ。さっきから探しているが、どうも見つからない(笑)
僕はレコードのチラシ関係は一緒にファイルしてあるのだが・・コンサートのチラシやらチケットは、なぜかバラバラなのだ。
例えば文庫本の間とかそのころ買った雑誌にはさんであったりして・・・それでも案外、どこかにとってあるのだ。それで前に見た記憶をたどると・・・たしかあのチラシは、思わぬ時に発見したのだ。そうだっ!ジャンゴのあのレコードだ!そんな訳で・・・タナの下の方でちょっと苦労したが、ジャンゴのレコードを見つけ出した。75_004_3

そのチラシがこれだ。だいぶ汚れているが(笑)・・・この時、東京で買ったジャンゴの日本コロムビア1100円盤がシュリンク付きだったので、
そのままそのジャケットにはさんでおいたのだろう。

<真夏の夜のジャズ>1975年7月10日(木)午後6時30分開演となっている。入場料は2000円だ。
星降る夜の映像と即興の衝突」という大げさなサブタイトルが付いているのは・・・この映画は第2部、つまりメインの扱いで、第1部は、なぜか「渡辺貞夫カルテット」のコンサートだったのだ。そのコンサートのコピーもすごい(笑)~即興に命をかける男達のライブ・コンサート~
ナベサダは72年夏にネムジャズインで見た。秋にもミニ・コンサート(名古屋のデパートでのオープンイヴェント)で見た。スタンダードを吹いてもモードっぽい曲を演っても、わりとわかりやすいジャズで、僕は好きなミュージシャンだった。このカルテット~ピアノが本田タケヒロだった~まだ組んでから間もないはずだ。当時、FM放送で毎週土曜の夜にナベサダの番組があり、そのFM放送でこのバンドの音は聴いていたように思う。
僕はこの1975年、地元の大学で「ジャズ研」に入り、ウッドベースを始めていたので、それまでレコードで聴いてきたジャズの「感じ」に加えて「演奏の実際」みたいなこと、そんな気配を少しは肌で判りはじめていた。そんな僕が聴いていても、この時のドラム奏者には何か余裕が感じられずあまり巧いとは思えなかった。実際、ナベサダは、何度もドラムの方を向いたり、そばに寄ったりして何やら指示をしているのだった。ある場面では・・・ボサ調の曲が途中から4ビートに変化していった。あれは・・・ボサ風の曲なのに、アドリブの途中で、ナベサダが急に4ビートノリで吹き始めたように思う。すぐさまピアノがそれに気がつき、4ビートのバッキングに変えたのだが、何か変だぞ? どうにもノリが気持ち悪い・・・ああ、ドラム奏者が全くその変化に気付かないようだ。ピアノのソロになっても、ガンコにボサのリズムを死守している。おそらくは特に打ち合わせなどなく、この時の演奏で自然発生的に生まれたアイディアだったのだろう。それにしても・・・である。それで・・・とうとうナベサダがドラムのすぐ右側に行き、右手を上下に振りながら何か叫んでいる。右手のアクションは、間違いなく「4ビート」(シンバルをレガートする右手の仕草だ)を示している。それでようやく・・・ドラマーのリズムが4ビートに変わった。ピアノの本田が嬉しそうにまた長いソロを弾き出した。・・・そんな様を僕はワクワクしながら見ていた。バンドが演奏しながら、あんな風に「リズム」を変えていくことがあるんだ、そしてそれがうまく合わないこともあるんだなあ・・・というジャズの難しさ・おもしろさも実感できた。そんなリズムの「やりとり」~このことをS君にも話したのだが~が自分にも判るようになってきたことが、ちょっとうれしかった。

さて、この「真夏の夜のジャズ」~モンクの出番はわりと最初の方だ。モンクが画面に現れると・・・「ウおおっ!」と静かに観客がどよめいて、拍手もあちらこちらで起きた。(モンク好きとしてはちょっと残念だが・・・後にドルフィが登場した時の方が、明らかに大きなドヨメキと拍手が巻き起こったのだった)モンクはトリオで「ブルー・モンク」を演奏するのだが、ベースがヘンリー・グライムス(だったか?)というのがちょっと珍しい。映画そのものの僕にとってのハイライトは・・・しかし、ちょっと残念なものだった。せっかくのモンクの演奏中(演奏の音は流れている)なのに・・・カメラがヨットやら観客ばかり映しているのだ。半分くらいは「風景」だったように思う。
モンク目当ての僕としては、これはもう・・・相当にがっかりしたものだ(笑)75_006_2

ドルフィ登場の場面では・・・モンクの時よりも大きな拍手が沸き起こった。チコ・ハミルトンのマレットの長いソロと、チコが顔中がもう汗ダラダラになって、しかし目を見開いてドラムを叩き続ける姿も印象に残っている。《今回、この記事を書くきっかけになったparlophoneさんのブログに、この「真夏の夜のジャズ」が、詳細に紹介されている。アニタやダイナの一番いい場面の写真が楽しい》

出口のところでジャズ評論家の野口久光さんを見かけた。たぶん氏は、このイヴェントの監修か何かで関わっておられたはずだ。近くのジャズ関係者の方に「雨が降らなくてよろしかったですねえ・・・」とか話していた。野口久光さんはすごく小柄で、真夏なのにピシッとスーツを着ていた。

この日比谷野音のイヴェントが木曜だった。ということは・・・月曜の夕方から火曜・水曜・金曜と、毎日、どこかに出歩いていたわけだ。S君がその頃発売された「東京ジャズ喫茶~」なる雑誌を持っていたので、あれこれ見ながら~新宿、渋谷、それから吉祥寺にも行ってみたい~行く街と回るコースを考えたりして・・・そんなことがやけに楽しかった。そうしてホントにいろんなジャズ喫茶にも行ったなあ・・・。S君のアパートは井の頭線の東松原だったので渋谷へ出るのが便利だ。だから・・・まず渋谷だった。この頃の渋谷にはジャズ喫茶がいっぱいあった。
道玄坂の小路に入るとまず「ジニアス」、その斜め向かいに「デュエット」があった。少し離れたところに「音楽館」もあったはずだ。道玄坂をの反対側には「メリー・ジェーン」という店もあったかな。それに中古レコード店の「JARO」、輸入のレコードがたくさんあったヤマハ楽器渋谷店もあった。そんな具合だったので、ジャズ好きには全く最高の街だったように思う。
渋谷では、道玄坂の「ジニアス」に何度か寄った。階段を下りると右にドア。入ると・・・奥行きは狭いが左右に細長く拡がった店だった。僕らは一番、左側のスピーカーのまん前へ座った。この店のスピーカーは・・・壁に埋め込まれていて、かなりの大音量でかけていた。僕はジョニー・グリフィンのWay Outをリクエストした。72年にはビクターがriversideを国内発売始めていたので、75年には国内盤が出ていたかもしれない。かけてくれた盤が国内盤だったかオリジナル盤だったかは判らないが、ベースの音が強力に鳴っていたことはよく覚えている。いい音だったように思う。
なぜこんな盤をリクエストしたのかというと・・・モンクにはまっていた僕は、その絡みで、ベースのウイルバー・ウエアにも凝っていたのだ。入部したジャズ研の先輩に「ウイルバー・ウエアが好き」と言った時の、先輩の困ったような顔を今でもよく覚えている(笑)
この「ジニアス」で一番印象に残っているのは・・・ラシッド・アリのドラムだ。スピーカーのまん前に座ったその時、コルトレーンの「ライブ・イン・ジャパン」(東芝)がかかった。どの曲だったかは忘れたが・・・とにかくそのラシッドアリのシンバルの凄いこと!というかやかましいのだが(笑) とにかく絶え間なく叩き続ける・・・「間」とか「強弱」とかあまり考えてないドラムだ(笑) 当時、こういう叩き方を「パルス奏法」とか呼んでいて、要は安定したビートを叩かないやり方で、だから巧いとは思わなかったが、実際のコルトレーンのコンサートで表したであろうこのドラム奏者の「激しさ」だけは、理解できたように感じた。とにもかくにも・・・フリー的な演奏はほとんど聞いたこともなかったし興味がないはずの僕が、約20分くらいは、あのドラム音を至近距離で聞けたのである。(笑)
ジャズ喫茶の「いいオーディオ装置」(たぶん)で聴く「大音量の再生音」というものに、多少の興味を覚えたのはこの時だったかもしれない。

ヤマハ楽器では、1枚だけ輸入レコードを買った。チャーリー・パーカーのライブ盤<Happy Bird> 真っ赤なジャケットでscrapple from the appleが入っているやつである。この盤には・・・18才のジャズマニアとしては痛恨の思い出がある(笑) 僕はパーカーのレコードはそれまで1枚も持ってなかった。ジャズも聴くだけでなく演奏もやろうとしているんだから、パーカーだって聴いておかなくちゃなあ・・・というくらいの気持ちもあったので、何か1枚、と思ったのだろう。75_001_1
このcharlie parker というレーベルは(再発だけかもしれないが)ジャケット裏の表記が実にいいかげんで、表ジャケは「Happy Bird」なのに、裏ジャケには、Charlie Parker/Bird Is Freeなる文字も見えるし、これらLPに入ってなかった収録曲は、ダイアルの音源が混じって表記されているようでもある。版権とかはどうなっていたのだろうか?

この盤は、charlie parkerレーベルの再発(ペラペラジャケットで黄色のラベル)なのだが、A面に~happy bird blues, scrapple from the apple, ornithology, a night in tunigia, bird's nest, cool blues
B面に~I remember april, I may be wrong, my old flame, scrapple from the apple, out of nowhere, don't blame me
と各6曲表記されており、表記の収録時間を足すとA面が26分ほど、B面は36分ほどになるのだ。価格は1400円ほどだったか。これはお徳だなあ・・・と僕は考えたはずだ。 75
当時は・・・レコードを1枚買うのにもいろんな決断要素があった。それこそミュージシャンを決めてどのレコードにするか決めて・・・そしてそういう風に決まってくるまでには・・・まず「価格」(これは今でも同じかあ:笑)、それから「収録時間」も重要だった。特に「パーカーという人」を初めてレコードで聴くので、やはり1曲でもたくさんの曲を聴きたい!と思ったのもムリはない。この盤はビニールシュリンクしてあったので、その場ではラベルまで見られなかった。しかし・・・家に帰ってシュリンクを破り、その黄色のラベルを見ると・・・それぞれ2曲づつしか入っていなかった。もちろん実際の音も2曲づつであった。これにはがっかりした(笑) しかしまあ・・・単純に考えれば、いくらなんでも片面に36分も入るわけがない。
音もムチャクチャ悪いし、もうパーカーなんて・・・という感じだった。
この「Happy Bird」のせいで、僕がパーカーに開眼するまでに、確実に3年は遅くなったはずだ(笑)

渋谷の「ジャロ」にも寄ってみた。むちゃくちゃ狭い階段を下りて左に入り口・・・店内も相当に狭い。その狭い店内にぎっしりとLPが詰まっていた。
壁のかざってあるモンクの「モンクス・ミュージック」が目を引いた。というよりその値段にびっくりした・・・たしか7800円とか8000円だったか。
その当時、「オリジナル盤」の価値など全く知らなかった。ただ国内盤と輸入盤という認識しかなくて、そして輸入盤のメリットは「安い」ことだったのだ。だから・・・こんなモンクス・ミュージックや他の似たような値段の盤を見ても「やけに高い輸入盤だなあ・・・とても買えないや」と思っただけだった(笑)

そういえば、10日の日比谷野音での<真夏の夜のジャズ>の前に、銀座にも寄ったのだった。数寄屋橋辺りを歩いていると
「イエナ書店」が見つかった。ははあ・・・これがよく植草甚一の本に出てくる「イエナ」かあ・・・とか思ってるうちに今度はソニービルが見つかった。地下ににハンターという中古レコード店があるのだ。調べはついている(笑)
ここはけっこう中古レコードが安いので有名だった。スイングジャーナルのハンターの「レコード下取り広告」には・・・オノ・ヨーコのレコードがゴミ箱に入っている写真が載っていた(笑) 当時、要らない!と思うレコードのイメージの代表がオノ・ヨーコだったのだ(笑)
ここでも1枚だけ買う。
ダラー・ブランド/Sangoma(sackville)75_002

ダラー・ブランドは高校の時、もう大好きになってしまい、高2の時、73年2月には、名古屋までコンサートを見に行った。
ピアノソロのコンサートだったが、僕はもうすっかり感動してしまい・・・終演後も楽屋の入り口で30分も待っていたりした。しかし・・・ダラーは裏口から帰ってしまったようで、とうとう楽屋からは現れなかった。この sackville盤は、当時、わりあい新譜に近いソロピアノ集だったはずで、すぐ購入決定したように記憶している。この前に買った独ECM盤のancient africaというレコードが・・・全くよくなかった。ピアノの音がペンペン・キンキンで全くひどい音だったのだ。それに比べれば、このsackville盤はナチュラルなピアノ音で聴きやすい。特にB面は、エリントンに捧ぐ~みたいなメドレーだが悪くない。今でも時々聴く。

この後、S君が(たぶんビートルズへの熱狂から)どうしても帝国ホテルを見ていくぞ、と言い張った。
ついでに中に入りたい、というので、ロビーを横切ったりした。
「ああ、これが帝国ホテルかあ」と感動するS君を、僕は醒めた気持ちで(笑)眺めながら、日比谷公園へ向かうのだった。

《補筆》 このブログ記事をアップした2~3日後、S谷君に出会った。ブログに登場させてもらったことを彼に伝えると・・・本日(8/11)、彼が僕の職場に顔を出し「読んだぞ」と一言。ついでに「おい。ビートルズ(の泊まったの)はヒルトンホテルだぞ」と、こちらの勘違いを訂正してくれた(笑)そうか・・・ビートルズはヒルトンホテルだったのか。それにしても、S谷君。あの夏は、1週間近くも泊めて頂き、しかもこちらのジャズ熱に付き合って、嫌がりもせず、あちこち一緒に歩き回ってくれたなあ・・・。S谷君、改めて・・・ありがとう!

東京にいる間に、S君とは他にもいろいろとジャズスポットを回った。
新宿の「ディスク・ユニオン」~ここでまたまた1枚だけ。それも輸入盤ではなく国内盤だ。3年ほど前に発売されていたが買いそびれていた
ジャンゴ・ラインハルトの1100円盤を買った。この時、同じ曲を収録の外盤があったのだが、迷ったあげく「国内盤」を選んだ。75_003
あれは今思うと・・・everest レーベルのjazz archive というシリーズだったかもしれない。すごく安っぽいジャケットだったことだけを覚えている。                            《この盤に「真夏の夜のジャズ」のチラシを、はさんでおいたのだった。31年間も:笑》

それからピットインの辺りを抜けながら、今度は「ディグ」へ。
ディグでは、少しだけレコードの話しをしていたら・・・すぐさま「おしゃべり禁止です」と注意された。あのときの周りのお客の冷たい視線・・・(笑) ディグは、イスが狭くて硬くて・・・それに肝心の音も、ジニアスと比べるとそれほどいいとは思わなかった。

吉祥寺の「メグ」にも行ったな。駅からウロウロと歩いてなんとかたどりついた。階段を上がって右側にドアがある雑居ビルの2Fだった。
メグでは何をリクエストしたのか・・・覚えてない。音の印象もない。

そして・・・明大前のジャズ喫茶「マイルス」だ。
駅を出て陸橋を渡ってすぐのT字路を左へ曲がってちょいと登ると「マイルス」というジャズ喫茶があった。狭い階段を上がって2Fにあるとても狭い店だった。マイルスのWalkin' がかかっていた。このレコードはそれまで聴いたことがなかった。だから・・・聴いたことのないテナーが聞こえてきて・・・そうするとこのテナーがラッキー・トンプソンという人なんだろうね・・・なんてことをS君と話した。
この「マイルス」には、なぜか居心地のよさを感じて、東松原に近いこともあって、その後、2~3回は寄った。東京2日目の火曜日だったか・・・同じく中学の同級であったI君が、わざわざ甲府から出てきた。この3人でS君のアパートで話し込んだ後、なぜか夜遅くの明大前まで出てきてしまった。マイルスへ寄った後、なぜか深夜喫茶みたいなところで時間をつぶしてるうちに当然、終電はなくなり・・・3人で明大前から東松原まで歩いて戻ったのだ。ひと駅なのでそんなに遠くはなかったが、それでも30分以上はかかっただろう(笑)
この時、I君はなぜか・・・ちょっといいトランジスタラジオを持っていた。何か聴きながら行こうよ、というわけで、そうしたら・・・ちょうどあのジャズ番組
「アスペクト・イン・ジャズ」が流れてきたのだ。そのジャズを聴きながら3人でトボトボと歩いた。多分、深夜の1時からの放送だったと思う。
こんな深夜に東京の住宅街を歩きながら、油井正一の声を聴き、そしてジャズを聴いている~というそのことが強く印象に残っている。

あの7月の夜は・・・もう31年も前のことなのか・・・。それにしても・・・ジャズは、やっぱり素晴らしい。どこで聴いても素晴らしい・・・。

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コメント

あばちゃんさん、こちらの<真夏の夜のジャズ>記事へもコメント、thanksです。
この夢レコ記事は・・・「真夏の夜のジャズ」を見に行く~という目的のために、1975年夏に1週間だけ遊んだ東京での思い出を書いたものです。新宿・渋谷・吉祥寺・明大前・銀座・・・ジャズ喫茶めぐりとレコード屋めぐり、そして日比谷野音でのあのイベント・・・本当に楽しかったなあ(笑)

<真夏の夜のジャズ>は、本当にわくわくして見ました。現在のようにいろんな映像が簡単に見られるという時代ではなかったので・・・実際、だからこそその場に同じようなジャズ好き・音楽好きが何百人かは居たわけで・・・映像でのドルフィやモンクの登場に沸いたものです。
チャック・ベリー~そういえば出てましたか。ジャズの方ばかり見ててあまり印象に残ってません。ジャズ以外のミュージシャンでは・・・そうですね、あのヴォーカル・・・マヘリア・ジャクソンは強く印象に残ってます。ジャズとかゴスペルとか関係なく、ああいう強い何かを持った歌には、やっぱり感動しますね。

投稿: bassclef | 2011年3月11日 (金) 22:55

この映画をテレビから録画してVHSで持っていますが
二男が20歳ごろチャックベリーを見てました。
ジャズという名のコンサートでもジャズとあまり関係ない人が昔も今も出演するんですね~。
チャックのギターがアドリブするからジャズかも・・

投稿: あばちゃん | 2011年3月 9日 (水) 21:30

ああ、ゼンさん・・・いや違った、4438milesさん、こちらこそ大変ご無沙汰しておりました。さきほど貴ブログ「Fのブルース」の未読分1~8月を読んで楽しませていただきました。昨年、当方のパソコンがクラッシュした折、全てのデータが飛んでしまい、また貴ブログの更新がなかなかない時期があったこともあり、長い間「Fのブルース」を訪れていなかったのです(当方のブログも、ほとんど更新できないのですが:笑)
60年代からの東京やジャズシーンの生き字引~そんな言われ方をするのはおもしろくねえやい!と言われそうですが:笑~のような4438milesさんの語りは、僕には少々まぶしいくらいにうらやましいものです。「64年のモンク」公演・・・どんな風に「動いた」のか?興味シンシンです。またぜひ「Fのブルース」に登場させてください。
モンクといえば、名古屋に「小池レコード」という輸入盤を売る店がありました。高校の時、その店を偶然見つけて寄ったのですが、そこのオヤジさんがなかなか偏屈者で(笑)ガラスケースの中に飾ってあったバド・パウエルの輸入盤(mainstreamから出たUps'n Stream)を買おうとしたら、君はいくつだ?とか、君にはまだ早いとかなんとか(笑)そしてモンクの話しになったら、なぜか奥の部屋に通され、そしてそこには・・・モンクと一緒に写ったそのオヤジ氏の写真やモンク一行の写真がたくさん飾ってあったのです。驚く僕の方を見て「ほら、モンクはこの部屋に来たんだよ」と嬉しそうなオヤジ氏(笑)
後で新聞の記事か何かで知ったのですが、その「小池オヤジ」氏は、名古屋辺りでは、ジャズ好きの偏屈もので有名だったらしいです(笑)また「本当にジャズを好きな友達」ができたら一緒に来なさいとか言われ・・・結局、パウエルのそのレコードは買えませんでした。今思えば、パウエルを最初に聴くにはあのmainstream盤は内容がイマイチかも?というオヤジ氏の気持ちがあったのかもしれませんね(笑)

投稿: bassclef | 2006年9月 1日 (金) 23:47

お久しぶりです。お邪魔しました。75年の日比谷の野音には私も行ってました。
動くモンクは1964年にサンケイホールの初来日で2回行きました。この話も僕のBLOG「Fのブルース」に書く予定です。「真夏の夜のジャズ」はジャズファン必修科目です。(笑)ジャズの記録としてだけでなく、映画としても優秀な作品であると塩野七生さんが著作の中で評しています。
最後にマハリアのゴスペルで終わるところが何とも感動的ですよね。
そうですか、当日、野口先生も会場にいらっしゃったのですか、僕は高校時代に学校の帰りにアメリカ文化センターに行くと先生がいて、よく不躾な質問をした覚えがあります。
野口先生はジャズのみならず、広くアメリカ文化を学べといい、そして日本文化も当然だよと言っていました。
そんな思い出がこのお話から蘇ってきました。
また、お邪魔します、当方にもお出でください。

投稿: 4438miles | 2006年9月 1日 (金) 15:57

recooyajiさん、またコメントをありがとうございます。recoさんは東京で学生生活でしたか、それはうらやましい(笑)
マイルストーンは高田馬場でしたね。訪れたことはないですが、広告やらの印象で、当時の新しい店という感じだったように思います。
もう「新しいジャズ喫茶」ができる、なんてことはないんでしょうね・・・。

投稿: bassclef | 2006年8月22日 (火) 08:45

Bassclefさん、こんにちは。また寄らしてもらいました。

Bassclefさんとは同時代でありますので、この記事を読みながらも、その時私はどうだったかな?と当時を思い出すような感じにさせられましたね。

約30年前と言えば、東京で下宿生活を始めた頃でして、下宿近くの「マイルストーン」にはよく行きました。オープンしたての頃で、明るい店内が、それまでのジャズ喫茶と違っていてお気に入りの店となりました。熱心にジャズを聴くと言うより、涼みに読書をしたり、レポートを書いたりしていたものでした。長時間いても何も言われなかったのですが、「寝るのだけは勘弁してください」と一度だけ言われたことがあります。多分イビキでも掻いていたのでしょうね。
ま、今となったら、恥ずかしいような、懐かしい思い出ではあるのですが・・・。

投稿: recooyaji | 2006年8月20日 (日) 12:48

NOTさん、またまたのコメントどうもです!
ダラー・ブランド・・・今ではあまり語られなくなってしまったピアニストですが、独特の個性・コクのあるいいミュージシャンです。僕は彼のいわゆるアフリカン志向サウンドはあまり好きではないのですが、NOTさんも挙げれらた「Anatomy of~」から1975年くらいまでの初期の何枚か(特にソロピアノの盤)は愛聴しております。Anatomy~は、1972年くらいに音響メーカーのトリオがさかんにジャズの盤を発売したころ、freedom,fontanaなどの国内盤として発売された盤を買いました(黄色のダブルジャケットでいい造りだった)この中のLight Blueには痺れまくりでしたよ(笑)ダラーでは一番好きなソロピアノ演奏かもしれません。

投稿: bassclef | 2006年8月14日 (月) 23:18

こんばんわ。またお邪魔します。高校生の頃はロック少年でニューミュージック・マガジン誌を購読していました。評論家が選ぶ72年度(73年かも?)ベストアルバムに編集長の中村とうようさんが選んでいたのが「アフリカン・ピアノ」でした。ロックしか知らない時期でしたから「何それ???」でした。でも実際聴いてみるとすんなりと入っていけました。国内盤ですが今も手元にあります。あとダラー・ブランドであるのはFONNTANA盤の「ANATOMY OF SOUTH AFRICAN VILLAGE」です。お得意の「TINTIYANA」の他モンクの2曲(ROUND MODNIGHT、LIGHT BLUE)演っています。

投稿: NOT | 2006年8月14日 (月) 21:08

swanさん、コメントどうもです。返事コメントが遅れてすみませんでした。swanさん、80年代終わり頃のジャズ喫茶巡り・・・世代が違っても「友人宅を根城に」というのは、全く同じですね(笑)
渋谷の「音楽館」には僕も86年くらいだったか寄ったことがあります。その時、初めてハンク・モブレイのsoul stationを聴きました。rememberが、全く見事に生き生きと鳴りましたよ。一遍にモブレイという人が好きになりました!帰る時、「いい店ですね」と言ったら、マスターが嬉しそうに親指をぐぐっと立ててニカっと笑いましたよ。音楽館・・・いい音でしたね(・・・と思い込みかな?:笑)

投稿: bassclef | 2006年8月 9日 (水) 21:56

mono-monoさん、コメントをどうもです!
真夏の夜のジャズの「アニタ・オディ」~1975年に最初に見たときは(ヴォーカルにノー興味だったので)「ふうん、アニタオディってこういう人かあ」と思っただけでした(笑)
今見れば・・・アニタに惚れちゃうでしょうね(笑)sweet georgia brownだったか。それをもうバックのミュージシャンにムチャクチャ早いテンポでやらせておいて・・・本人は、もう悠々とそれにのっかって、ド貫禄で唄い切ってましたね。みなさん仰るように、ドレスや帽子とか手袋もオシャレで似合ってます。ぜひ再見を!こちらもTV録画のヴィデオを探して見てみます。夏が終わらないうちに・・・(笑)

投稿: bassclef | 2006年8月 9日 (水) 10:04

D35さん、コメントをどうもです。10年日記を2冊目とは・・・それはすごいですね。10年日記というと、たぶん同じ日付が並行して一覧できる日記ですかね。何か特徴的な出来事なんかを記しておくと「ああ、そいうえばあの時・・・」みたいなことが楽しそうですね。
僕の場合、ある時期、何度か日記風のものを書いてましたが・・・いつも続きません(笑)だからそのうち、書くとしても~行った場所、買ったもの・・・そんなことだけを記すようになりました。それだけあれば、けっこういろいろ思い出したりしますよね。
京都へは2~3回は行ってますが・・・ジャズ喫茶でどっぷり、という時間はなかったですね。ブルーノートだけかな。あとは「リヴァーサイド」と「十字屋」(だったか?)いう中古レコード店に行きました(笑)

投稿: bassclef | 2006年8月 9日 (水) 09:55

NOTさん、またまたどうもです!おおっ!あのジャズ喫茶、まだ営業してるんですかあ!それは素晴らしい。おそらく30年前と何も変わらず(変えずに)ひっそりとジャズを鳴らしてるんでしょうね・・・。
ソニー・クリスやフィル・ウッズ~その辺の盤・・・70年代という時代を感じますね(笑)

投稿: bassclef | 2006年8月 8日 (火) 22:50

bassclef、お久しぶりです。
真夏の夜に大変楽しい記事読ませていただきました。
私は恐らくbassclefさんから20年くらい後、今はなき六本木シネヴィヴァンのレイトショーでこれを見た若輩者でございます。この映画館はいまや六本木ヒルズになってしまい跡形もありません。
しかもその頃まだJAZZの「J」の字をかじったようなヒヨッコだったのでオープニングの見事さと、モンクのサングラスくらいしか覚えておりません(笑)この機会に改めてレンタルしてみようと思います。
この映画におけるアニタ・オデイを村上春樹氏が「見事!」ってどこかに書いていたのでそれも楽しみです。

投稿: mono-mono | 2006年8月 8日 (火) 22:48

遼さん、興味深いコメントをどうもです!油井正一さんのイヴェントとは・・・それはいい企画でしたね(笑)なにせ、こちらは野口久光さんを「見かけた」だけですから(笑)
油井正一さんというのは・・・あの声・語り口、それにもちろん話す内容に、なにか独特の味がありましたね。遼さんが挙げられた4人の方・・・同感です(笑)藤井英一さんは、バド・パウエルのピアノの詳しい解説の方でしたか。他の評論をあまり知りません。粟村さんは「ジャズ・レコード・ブック」(東亜音楽社)をおもしろく読みました。けっこうイヤミっぽい言いましがユニイクですよね(笑)
RSSリーダー(アドレス)の件~ブログの設定を見たらRSSの項目があったので、ブログ右側の欄外に<RSSの表示>をしてみました。もしご利用できれば嬉しいです。

投稿: bassclef | 2006年8月 8日 (火) 22:45

こんばんわ。31年前のジャズ行脚の事をいつものbass節で克明なタッチで描かれていて、一気に読ませてもらいました。
もしbassさんが日記をつけていたなら、一度拝見したいものです。
ちなみに私は10年日記をつけて2冊目になりますが、全然役に立っていません。
私は残念ながら東京のジャズ喫茶はどこも経験はありませんが、京都は3度ばかり行きました。
ぜひbassさんのジャズ行脚京都偏を読みたいものです。
ちなみに私の一番は、サンタクロースです。

投稿: D35 | 2006年8月 8日 (火) 19:14

bassclefさん、懐かしいですね。当時「マイルス」ではソニー・クリスの「saturday morning」やフィル・ウッズの「ミュッジック・デュ・ボア」、アン・バートンのアントーン盤2枚が良くかかっていた様に思います。まだ営業しているようですけどもう20年くらい行っていません。

投稿: NOT | 2006年8月 8日 (火) 16:30

おはようございます。

楽しく読ませていただきました。やはりどなたも東京ジャズ喫茶、レコード屋巡りやってらっしゃるんですね(笑)自分の場合bassclefさんとは年代ずれますが、80年代終頃首都圏に就職した友人宅を根城に(笑)夏休みを利用してよく行きました。当時でも上野イトウ、渋谷音楽館、銀座ジャズカントリーなんかありましたね。新幹線降りるととりあえずイトウ直行でした。(この店の音好きでしたねー)レコ買いはやはり新宿・渋谷・お茶の水中心で1日中歩き回ってくたくたになったり・・若かったです(笑)最後には友人と一緒にマウントフジジャズフェスに行ったりもしました。(このライブのことはあまり印象に残ってないんですが)

あれから20年近くたつのかと感慨に耽ってしまいました。

投稿: swan | 2006年8月 8日 (火) 06:48

bassclefさん、ブログのご紹介とリンク、ありがとうございました。
最初のチラシ、なんとなく記憶があります!
ぼくもどこかに保管しているはずなのですが、まったく見つかりません(笑。

野口久光さんと会っていらっしゃるのですね~。
うらやましい~。
野口さんはこの映画の字幕を担当されていて、たぶんタイトルも野口さんが書かれたものではないかな~。

ぼくはジャズ評論家で文句なく尊敬しているのは
野口久光さん、
油井正一さん、
粟村政昭さん、
藤井英一さん
の4人だけです(笑。
もうお二人はお亡くなりになって、あとのお二人の名前を拝見することもありませんね…。

大学の近くにナショナルのショウ・ルームがあって、そこで月に1回レコード・コンサートが開かれていました。
ある日油井正一さんが来るというので、わくわくして聴きにいくと、なんと油井さんのレコードだけではなく、秘蔵の8ミリ・フィルム(たぶん…でもひょっとすると16ミリ…?)を見せてくださったのです。
そのときに初めて見たレスター・ヤングのかっこよさは忘れられません。

その映像は未だにヴィデオ化されていないと思います…。

それから、この当時は火曜日の夜に油井さんの「アスペクト・イン・ジャズ」(提供はTDK)、土曜の夜にナベサダの「マイ・ディア・ライフ」(提供は資生堂)と、2本もジャズの番組があって、恵まれた時代でしたよね~。

投稿: 遼(Parlophone) | 2006年8月 8日 (火) 00:06

67camperさん、さっそくのコメントをいつもありがとうございます。当時の東京・・・ホントにジャズの別世界でした(笑)しかし、東京へそうそう遊びに行けるはずもなく・・・何年か後には、仕事の出張なんかでたまに東京へ行くチャンスがあると、その帰りの日には・・・同僚と別れて「さあ!」てなもんで「レコードを買いまくり」というパターン。いつも遅い新幹線で帰ってましたよ(笑)僕も、東京では「質より量」でした(笑)やっぱり出回る量も多いし、安かったんですね。

投稿: bassclef | 2006年8月 7日 (月) 23:19

NOTさん、どうもです!いやあ・・・明大前の「マイルス」常連さんでしたか!そりゃあ凄い。あの店、狭くて暗くて、特にいいオーディオでもなかった(と思う)ですが・・・何かいい感じの落ち着く店でしたね。僕が寄った時は、たしかけっこう年配の女性がカウンターにいたような記憶がありますが・・・間違ってるかもしれません。明大前というのは、坂になってて、古本屋さんやら小さなパチンコ屋さんやらあって、なかなかいい雰囲気の街でした。いやあ・・・でも、1975年にひょっとしたら、NOTさんとあの界隈ですれ違ってたかもしれない、なんて考えると・・・楽しいですね。31年も前に、お互いにガンコな?ジャズ好き同士が(笑)

投稿: bassclef | 2006年8月 7日 (月) 23:08

シュミットさん、久々に更新したのに、さっそくのコメントをありがとうございます。「真夏の夜のジャズ」~8月5日にリンクしてあるparlophoneさんのブログでこの映画のことが取り上げられ、それからいろんなことを思い出し・・・たしかチラシがあったはずだぞ・・・というので探して探してようやく出てきたので、そんなこんなで、今回の記事にすることができました。
この映画~その後、TVで放映したのをヴィデオに録って何度か見ました。ジャズとかブルースとかゴスペルとか関係なく見ても・・・マヘリア・ジャクソンの唄には、僕も感動しました。
ダイナ・ワシントンも、さすが!の貫禄でしたね。

投稿: bassclef | 2006年8月 7日 (月) 22:41

bassclefさん、こんにちは。シュミットさんがおっしゃるように当時の東京のジャズ事情が克明に記されており、楽しく読ませていただきました。

自分の場合、70年代の後半からですので少しズレがあるかも知れませんが東京のジャズ喫茶懐かしいですね。渋谷ジニアス、ブレイキー、新宿ビザール、上野イトウ、中野ビアズレー、吉祥寺のファンキー、メグ、ファミリー、アウトバック等々・・・レコード屋ではソニービル下のハンター、新宿八月社、渋谷JARO、お茶の水のディスクユニオン、水道橋のトニーなど・・・。
東京は憧れの地でしたね。国内盤の買いのがしばかりをおっかけてましたね。オリジナルなんてまあ手許にくることはあり得ませんでしたね。でも熱かった。少しでも安い値段で良いモノを手に入れようと東京に行くチャンスが巡ってくると歩き回ってましたね。

真夏の夜のジャズではモンクは赤いシャツ来てたような記憶があるのですが・・・オーディエンスの当時のアイビースタイルがやけにクールでしたよね。ハイライトはアニタのボーカルですよね。あの帽子・手袋・黒いドレスとノリ、最高でした。

投稿: 67camper | 2006年8月 7日 (月) 12:15

東京へ来られた時、私は大学2年で明大前の「マイルス」へ良く通っていました。いつも「mingaus presents mingus」をリクエストして白い目で見られていました。もしかしたら当時お会いしているかも・・・・。

投稿: NOT | 2006年8月 7日 (月) 11:31

今晩は、シュミットです。

いやー、短編小説のような「ジャズ回想」読ませていただきました。なかなかおもしろかったです。
私も同じ頃、大阪のサンケイホールというところであの映画を見て感激したクチなんですが、マハリア・ジャクソン(たしかこの人でしたよね)を聴いて胸が熱くなったのを思い出しました(動くモンクも、もちろんよかったです)。

それとbassclefさんのチラシ収集はたいしたもんですね、ほんと。レコードと同様にこういう小物を大切にする人ってほんとのコレクターですね。

投稿: シュミット | 2006年8月 7日 (月) 00:25

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今回はちょっと趣向を変えて。こういう寝苦しい夏の夜には、映画史上初の本格的ジャズ・ムーヴィーといわれる『真夏の夜のジャズ』を見ながらしばしの涼を味わおう(笑)。    『真夏の夜のジャズ』はモダン・ジャズがもっともモダン・ジャズらしかった時代、1958年7月のニューポート・ジャズ・フェスティヴァルを捉えた記録映画である。 大学に入ったばかりの1973年だったと思うが、この映画がリヴァイヴァル上映されるというので、福岡のずいぶん遠い映画館(市民会館のような場所だったような気もする)まで出かけたことを思... [続きを読む]

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