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2005年9月15日 (木)

<思いレコ 第5回> Cal Tjader/Tjader Plays Tjazz(fantasy) そして、ソニークラークのこと。

ソニー・クラーク~いさぎよくて、キレのいいタッチ。

ソニー・クラークのピアノには、「思いつめたような何か」を感じるのだ。そうして、それこそが、ソニー・クラークの魅力なのだと思う。もちろん僕にとって。
最初にソニークラークを聞いたのは、というよりパーソネルにソニー・クラークという名前を発見したのは、ロリンズの「サウンド・オブ・ソニー/riverside」だった。(僕の手持ち盤は、米マイルストーン発売のtwofer という2LPシリーズで、freedom suite と sound of Sonny のカップリング) その時は、「ああ、ソニー・クラーク・・・よく聞く名前だなあ」と思ったのだが、そのレコードからは、彼のピアノに特に強い印象は受けなかった。ロリンズの方ばかり聴いていたせいかもしれない。なにしろその頃の僕は、ピアノといえばモンクとエヴァンス、テナーでロリンズ・・・ほとんどこれだけだったのだ(笑) この極端に個性の異なるジャズピアニストを両方好き、というのも、おかしいといえばおかしいかもしれないが、「自分だけのスタイルを持っている」という点では、圧倒的に共通している、とも言える。ロリンズ好きだがゲッツも好きだ。エルヴィンを大好きだが、トニーだって好きだ。ドルフィーを聴いた後に、ハル・マクージックを聴いたっていいじゃないか。
スタイルの異なるミュージシャン、あるいは「ジャズ」「ロック」「クラシック」など異なるジャンルを同時に好きになること。このへんのことは・・・好きな食べ物にたとえると~これはだいぶ前に、何かの記事で読んだような記憶があるのだが~けっこう納得できるかもしれない。例えば~ロックを「肉料理」、クラシックを「野菜料理」、ジャズを「めん類」としよう。「めん類」が好きなあなたは、主に「うどん」を好むが、「ソバ」も好きかもしれない。たまには「きし麺」だって食べるだろう。「フォー」や「ビーフン」だってめん類に入れてもいいのだ。こんな具合に、「めん料理の種類」を「ジャズのスタイル」に当てはめれば、次は、「個々のミュージシャン」だろう。「てんぷらうどん」「鳥南蛮」「玉子とじ」・・・いくらでもある。いや、俺は絶対に「素うどんだ!」とか(笑) 

この15年ほど前から、いわゆるウエストコーストものも、好んで聴くようになっている。長い間、黒人ハードバップ系だけを聴いてきて、ウエストものに目覚めるまでにちょっと時間がかかったのだが、チェット・ベイカーやバド・シャンクの「個性」に出会い、それを好きになったことがキッカケだ。ジャズは「個性」を聴く音楽だと思う。そして、その「個性」があなたに合うか合わないかは・・・ジャズ雑誌の評からではなくて、自分自身が聴いて決めればいいことだ。要は・・・「いろんな人間を知ること」だと思うのだ。 

さて、ソニー・クラーク。ブルーノート時代のクラーク・・・もちろん悪くない。特に57年~58年の録音は、どれもいい。僕が特に好きなのは、モブレイとのレコードである。クラークのイントロで始まるバラードは、甘くせつない。それにしてもハンク・モブレイとの相性は抜群によく・・・この頃の、モブレイの柔らかい色気のある音色と、クラークのちょっと重く沈んだ音色との絡み合いは、絶品だ。個人的な好みでは・・・モブレイとの共演盤は、だいぶ後にキングから出た「マイ・コンセプション」も含めて、どれもみな好きだ。
ブルーノート録音でも60年、61年頃になると(デクスター・ゴードンやマクりーン、それにグラント・グリーンとの共演盤など)なぜか・・・クラーク本来の「タッチの味わい~強弱やアクセントの付け方のずらし」が、あまり感じられなくなる。フレーズにもヒラメキがなくなったようにも思う。これは、単に管奏者との相性だけの問題ではないように思う。

マクリーンとアート・ファーマーの2管入りクインテットで吹き込まれた、おそるべき傑作~「クール・ストラッティン」「クール・ストラッティン」以降に、この頃のよくクラークのピアノプレイを説明するのに「後ろ髪をひかれるような」という表現がある。たしかに「クール・ストラッティン」でのクラークは・・・テンポへの重いノリで、しかも重いタッチで粘るフレーズを弾いている。私見では・・・「クール・ストラッティン」こそが特異なアルバムなのだ。あの「重いノリ」は、クラークだけが創りだしたのではない。マクリーンが粘るフレーズ廻し全開でタメまくり・・・アート・ファーマーもじっくり構えて・・・チェンバースは、ますます重く・・・そんなメンバー全員が、誰かれ言うことなく「ためるノリ」の精神共同体になってしまったのだ(笑) 強いて言えば・・・やはりマクリーンのあのアルト~ソロの先発のマクリーンが、絶好調だったようで、あの重いサウンドで、タメにタメたノリで、充分に唄い上げてしまった~そのために、「そのノリ」が全員にノリ写ったのではないか?と推測している。もちろん、クラークのタッチは、この後も充分に「重く」「暗い」が、このアルバムでは、特別に重いような気がする。この辺りを捉えて「ファンキー路線」とか言われたこともあったようだが・・・「クール・ストラッティン」は、キャノンボールらの「ファンキー」とは全く違う。もっとシリアスでコクのある、素晴らしいジャズだと思う。

ただ・・・クラークの「マニア」は、あの「後ノリのクラーク」だけを好きになったのではないはずだ。ソニー・クラークという人間を本当に好きになってしまった人は~もうちょっと後のタイム盤「ソニー・クラーク・トリオ」や「アート・オブ・ザ・トリオ」「マイ・コンセプション」なで聴かれる~「思いつめたようなロマンティックな気持ち」みたいなものをクラークのピアノから感じ取ってしまったのだ、と思う。だから・・・クラークを好きになったはずなのだ。
そんなクラークにもウエストコースト時代(1952年~1955年くらい)があるのだ。Verveのバディ・デフランコとの録音がよく知られているようだ。クラークのマニアの方は、相当に多いようで、その証拠に、ポリドールが何度もクラーク入りデフランコを再発しているし、つい2年ほど前にも「紙ジャケCD」で、デフランコが何枚も出ている。Verveでのデフランコとの共演以外にも、いくつかの録音がある。僕が好きなのは・・・
Cal Tjader/Tjader Plays Tjazz(Fantasy 3278)050907_002

                                                                                                                                                                    

       

《ファンタジーというレーベルの「赤盤」の魅力というものには・・・やはり抗しがたいものがある。このFantasy赤盤は、90年ころ新宿DUにて入手。当時としては、かなり無理したように記憶している:笑》

10曲中6曲が、クラークとブリュー・ムーア入りのクインテットだ。Jeepers Creepers、A Minor Goof、それに Brew’s Bluesなどでは、とても「切れのいい」クラークのソロが聞かれる。バラードの Imagination では、わずか4小節だが、短くも美しいクラークのイントロが聞かれる。クラークのバラードのイントロってのは・・・これがまたいいのです。ぴしっとした中に、かすかに「ロマンティックな響き」が感じられる(ように思うのだ)

これらの録音には・・・さきほど説明したような「後ろ髪を~」なる特徴は、それほど強くは表れてはいないのだ。案外にあっさりしたノリだ。ただし・・・タッチは相当に強い。はっきりして迷わないタッチだ。そうして、クラークは、長いフレーズでは、その強めタッチの強弱を意識して弾いているようだ。この辺りを、さらに推し進めていくと・・・後の「後ろ髪~の後のり」になっていきそうな感じもある。当たり前のことではある。本人なのだから(笑) 
いずれにしても・・・これらウエストコース時代の録音は、どれもが「キラリと光る」プレイなのだ。どう光っているのか?ここで・・・僕は・・・ぴたっと筆が止まる(笑) うまく表現できないのだ。たしかにソニー・クラークは、モンクやエヴァンスほどの「スタイリスト」ではないだろう。「クール・ストラッティン」以降のクラークなら・・・あるいは、あの「超・後ノリのピアノ」を「クラークの個性」と言えるのかもしれない。しかし、ウエストコースト時代のプレイには、「ああ、あれね」と、誰にでもすぐ判るような特長がないのだ。でも、しかし・・・このウエストコースト時代のソニークラークのワンフレーズを聴くと・・・スカッとするのだ。なんとか説明してみると・・・こんな感じか。「タッチに覇気がある」「フレーズに迷いがない」「長いフレーズも一気に弾き切る」~そうして全体から、すごく「さわやか」な感じを受けるのだ。「品の良さ」と言ってもいい。それと、この時期の気迫あふれるプレイの中にも、さきほど書いたような「思いつめたようなロマンティックな気持ち」みたいなものが、やはり感じられるのだ。

そして、「ソニー・クラーク・メモリアル・アルバム」と「ジミー・レイニー・&ソニー・クラーク/トゥゲザー」の2枚(共にXanadu/クラウン)も、とてもいい。 050907_001
《僕の手持ちは、残念ながらCDです。この2枚は、CDがまだ3200円もした時に、クラーク聴きたさに、CD嫌いな僕としては、かなり無理して購入した(笑) 2枚とも、Xanaduのあの金色のジャケのシリーズでLPも出ていたはずだ。ちょっと丹念に探せば、安価で見つかると思う》

1954年1月のオスロ録音とされている。同じ時の録音で、クラーク入り1曲が、「ビリー・ホリデイ/ビリーズ・ブルース」(United Aritsits)から出ている。放送録音だかプライベート録音らしく、音質はかなり悪いのだが、これらの録音で聴かれる、ソニークラーク(22才)・・・これはもう・・・素晴らしい! もうピアノが弾きたくて弾きたくて~スタイルこそ、バド・パウエル風ではあるが~という気持ちがいっぱで、次々にフレーズが湧き出てきてしまって、それを押さえるのが大変・・・というくらいの強いタッチと、よどみのないアドリブなのだ。全て素晴らしいが、特に印象深いのは・・・「メモリアル」の方に入っている<Over The Rainbow>だ。ソロピアノの演奏である。ソニー・クラークという人に少しでも興味をお持ちの方には・・・なんとしても、この「メモリアル」を聴いてみてほしい。ミュージシャンが「自分の唄」を唄う、というのは、こういうことを言うのか・・・と感じていただけるかと思う。
あるいは・・・まず正規盤で音のいいブルーノートの「ソニー・クラーク・トリオ」の<I’ll Remember April>のピアノソロからの方がいいかもしれない。
というのは僕自身が、クラークの「もうひとつの個性」に気づいたのが~ウエストコースト時代のクラークまで、追いかけるキッカケとなった盤~Bluenoteの「ソニークラークトリオ」のB面に入っていた<I’ll Remember April>からなのだ。バップ~ハードバップ期の解釈としては、たいてい、この曲は急速長で演奏される。ところが、クラークは、この曲を「スロウなバラード」のピアノソロで演ったのだ。この演奏には、ちょっと「はっ!」とした。「あれ?ソニー・クラークって人は、もっと普通のハードバッパーじゃあなかったかな?」という気持ちだ。クラークは、この曲を~よくあるように途中でテンポアップすることもなく~淡々と丁寧に、そして切実に、 スロウテンポのまま唄い上げている。これを聴いて・・・端正ないい演奏だ、と感じた。そうして、僕はソニークラーク、という人を、それまでとは違う視線で捉えるようになったのだ。
そう・・・ソニークラークは、「真摯なピアノ弾き」なのだ。そして「スタンダードソング」を、おそらく、本当に自分が好きなスタンダードを、しっかりと、自分のものにして演奏するタイプなのだ。そうして得た「自分の唄」を丁寧に「唄う」ピアノだと思う。そんな視線で捉えなおすと・・・クラークの弾くスタンダードソングが、ぐうんと心に入り込んでくる。「クール・ストラッティン」のB面2曲目~<Deep Night>このスタンダードがいい。出足が<Blue Sky>とそっくりだ(笑) ちょっと渋さのある暗い曲調だが、じわじわと知らぬ間に、覚えてしまうような、シンプルなメロディが素晴らしい。これはピアノトリオで演奏されるのだが、クラークが多少の「アレンジ」を施したようだ。そのアレンジが、テーマの途中で何度も出てくる。そしてこれこそが、まさに「キラリと光る」フレ ーズなのだ。A面もいいが、B面も本当にいい「クール・ストラッティン」である。ちなみに・・・この<Deep Night>も・・・シナトラのヒット曲なのだ。クラークもまた、シナトラ信者だったのだろうか。それにしても、ジャズは、本当に素晴らしい。そして奥深い・・・。

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